白い杖と金色の指輪
ある人から指輪を譲り受けたことがありました。大変申し訳ないことに、今その指輪がどこにあるのか定かではないのですが。
私は指輪とは縁がないのか、ことごとく神隠しにあったかのように、消えていきます。
言い訳でしかありませんが、この10数年の間に10回くらい引っ越しをしてきて、物を減らすたびに、いろんなものがもうどこに行ったのかわからなくなっています。
私のそばに小さなブラックホールのようなものがあって、そこに蟻の大群がお菓子のかけらを運ぶように、列になって別世界に指輪たちを持って行ってしまったのか、もしくは、小人がせっせと引き出しから指輪を運び出して、メルカリに出品したのかもしれません。
私に指輪を譲ってきたのは、40代後半か50代前後の声の高いマルタ人でした。仮にジョセフと呼びます。髭が根こそぎ剃られたツルツルのお顔で声が高いものだから、私は最初、おばさんなのかな?と一瞬思いましたがおじさんでした。
その頃、マルタという小さな島国に住み始め、シェアアパートメントに住んでいて、協調性も社交性もない私は、他の居住者と顔を合わせないことにエネルギーを注いでいて、彼女たちが帰宅する前に夕飯を済ませて出かけて、客のいないバーでタブレットを片手にビールを飲むのが日課でした。
開店時間すぐのバーは人があまりいませんから、腕組みしてテレビを睨みつける店主のおじさんと、バーカウンターにアジア人が1人いるという、静物画のような静寂の風景です。
そこに私と同じく、早い時間にやってきていたのがジョセフでした。ジョセフは杖をついて店に入ってきて、カウンターで店主サイモンに挨拶をして、レッドブルを注文します。
ジョセフはお酒は飲みませんが、明るくおしゃべりです。レッドブルだけを飲んで、時々レッドブルの甘い香りのするゲップをして「エクスキューズミー」と言いながら、話に花をセルフで咲かせてくれます。
カウンターに立ったままジョセフはサイモンやもう1人のおじさんとマルタ語で会話をして、隣に座っている私には英語で話しかけます。
目線の合わないジョセフの顔を見ながら話すうちに私は、彼が目が見えないこと、白い杖はそういう意味を示していることを知りました。
昔、隣のゴゾ島で仕事中、車の荷台に乗って配達をしていたところ事故にあい、怪我をしたことで失明したのだと教えてくれて、確かに額のあたりに傷跡がありました。
ジョセフは白い杖をついて1人でバーにやって来ましたから、てっきり徒歩圏内の近くに住んでいるのかと思いきや、バスに乗って隣町からやって来たと言うから、私はなんだかびっくりして、ジョセフが帰る時「バス停まで一緒に歩くよ」とついて行きました。
彼は何年も1人で白い杖をついて出歩いて生きて来たのだろうから、私の付き添いなんて自転車に乗れる人の自転車につけた補助輪のように全く意味がなく、必要ではなかったはず。
だけど、無意味な存在である私に対して、ジョセフは明るくおしゃべりですから、会話をしながら歩き、とりあえず私はバス停までついて行きました。
ジョセフは全然目が見えないわけではなくて、ほんの少し、ぼんやり光とかは見えるのだけど、でもそれを言うと、持ってる障害者手帳の等級が下げられちゃいけないから、ほとんど見えないことにして通しているのだと教えてくれて、バスに乗って帰っていきました。
障害者手帳でバスが無料か割引かで乗れるから、自分でバスに乗って、出かけているようです。バーでレッドブルを飲むだけなら、家の近くでもできるでしょうけど、隣町のバーまで来て雑談するのは楽しいお出かけだったのかもと推測します。
ジョセフは私に自分ことを話すのが気に入ったようで、何度もバーで会ううちに、「息子はサッカーをやってて結構強いんだよ、イタリアまで試合に行ったんだよ」と教えてくれたり、ある時には、自分が若かった頃の写真を持ってきて披露してくれました。
とはいえ本人には今は見えないから、白黒の写真を私に出して、「何が写ってる?」と聞いて、まだ目が見えていた時のエピソードについて語ってくれていました。
マルタは小さな国ですから、知り合いや友人や家族など、とても密な関係性のコミュニティで、新しく知り合いになった私のような異国人に自分の話をするのはジョセフにとって新鮮だったのかもしれません。
私の英語は流暢ではありませんでしたが、聞き手として存在するのには、それぐらいでちょうどよかったのかもしれません。
私たちはサイモンのバーでたびたびそうやって顔を合わすたびに、少し雑談をして友人と呼べるような存在になっていきました。私は日本ではいつも家にいて、いっさい1人で飲みに行ったりしたことがなかったので、何もしがらみのないおじさんと友だちになるというのは新鮮でした。
1人で出歩くとは、何かを抱えた者同士が、電球に集まる虫のように、どこかで出会うようになっているのかもしれません。
すっかり長くなりましたが、そのジョセフがある時、私に金色のシンプルな指輪をくれました。それは私にプロポーズして来た訳ではもちろんなく、ジョセフが持っていた彼の結婚指輪でした。
ジョセフは失明する前に結婚していたことがあって、息子もいるけど、すでに離婚していて、今は彼は両親と暮らしています。
「誓ったのにね、どんな時もって。彼女は無理だったんだよね」ということを言って、「友人であるキミに持っていて欲しいんだ」と、彼の過去となった結婚指輪を私に渡してきたのです。
私は結婚に対して憧れや好意的な思いも、離婚に対して奨励も批判する考えも何も思いがなかったものですから、その指輪も私にとっては「金色のシンプルなリング」以上の意味はなく、特に断る理由もないですから、受け取りました。
しかし、後から知ったところでは、私がジョセフと会う2年前まで、たった2011年までは、マルタでは離婚が法律で許されておらず、国民投票によって法律が変わったばかりだったのです。
国をあげて離婚NGな世界がつい最近まであったなんて私はつゆ知らず(今でもバチカンとフィリピンは離婚できないらしい。参照:2011 Maltese divorce referendum)。
カトリック教徒が国民の8割や9割と言われる信仰心が高い国では、離婚は当時おおごとだったようで。
もしかしたら、離婚が合法になってすぐにジョセフの元妻は手続きしたのかもしれません。詳しいことは聞かなかったので知る由もありませんが。
ジョセフが一体どんな気持ちで、この訳のわからない東洋人に自分の指輪を渡そうと思ったのか、私には想像さえできません。
余談ですが、2011年まで離婚が許されていなかったなんて保守的な国の印象を受けますが、同性愛者の結婚については2017年に法律で認められるようになりました。
どんな伝統的に見える世界でも変化は起こるのだなと思いました。
さて、私は手渡された指輪を、大切なものだったのだろうからなくしてはいけないと、どこかにしまい込み。そしてどこにしまい込んだのかすっかり忘れてしまいました。
木の実を埋めたままどこに埋めたか忘れるリスの脳みそと変わりありません。リスに失礼でしょうか、気を悪くしたリスの方がおられたらごめんなさい。
同じバーでの他の話▼