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はつなつ

初夏に松ぼっくりを見た。
花をつけていたそぶりすら消えた桜並木の下に、わらわらと落ちていた。

初夏の、松ぼっくりだ。
すこしだけ、ふちが白ばんでいる。乾いているのだろうかと思って、欠けていたひとつを踏みしめた。履きなれたローファーの裏で、ぱりぱりと音がした。固かった。

それから少し脇の道を歩いて、電柱を優に越える高さまで伸びた背の高い松の木を見た。「カラスに注意」と括られた松の木とわたしの後ろを、カラスが通り過ぎる。

また少し進んで、歩道に覆い被さる大きな松の木を見た。茂る葉のなかに、眼下に落ちているよりはるかに無数の松ぼっくりがある。
そうか、と思った。

一年じゅう、落ちてくるのだという。家に帰って真っ先に調べた。気にしたこともなかったけど、よく考えたら以前にも、大学の構内で、初詣に行った境内で、それから、覚えてないようなどこかで見た気がする。けれどわたしの脳裏にいたのは、いつか都内の花屋でクリスマスシーズンに見た、銀色に塗りたくられた松ぼっくりだった。そこで買い物をしたのかどうか、忘れてしまった。うっすらとした思い出だ。




緑にするために、青を入れる。
カラー剤を塗ってもらった髪を触ってしまって、爪先が青くなった。いまのインナーカラーは緑だ。在宅勤務ばかりになったので、もう何色でもこわくないな、と思っている。所詮、半年ぶりに友人と会っても指摘されない程度なのだ。画面越しにわかるわけもないだろう。だったら、好きな色で気分を上げて、すこしでも生きやすくありたかった。

初夏の色。端午の節句が過ぎて、5月6日に入った菖蒲湯の緑からは、青い匂いがした。




この文章に取り掛かったのは実は6日なのだけれど、それから毎日だいたい数千字を書く生活をしていて、もう15日をすぎてしまった。(面白いけど)センテンスの因果関係が欠けた言葉を力技で直したりしていた。いくら「ので」と言ったところで、ひとりでに文章がつながるわけではない。当たり前だけど、大量に目の前にするとなかなかこれが、やりづらかった。

本名で書く文章はわたしのものだけど、「こうめだせら」のものではない。寝てる間はこうめだせら、とか、そういうことも特に起こらない。ざんねん。

だからといって、同じにしたいわけでもないけど。つまり、もう少し、こうめだせらとして文字を書きたいなと思っているけど、あんまりうまくいっていないということだ。いくつか書きかけの話があり、それをときどき、そのとき考えたいものを開いてみたりしている。それとは別に短歌を詠み、こうめだせらとして「ピリオドを打つ」時を増やせたらと思っている。


この文章も、そんなもののひとつだ。

初夏の桜の陰でひとりきり 松ぼっくりの白いふちを撫で

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