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ネバネバ病とサヨナラする方が良い?

私には、ネバネバ病があります。

学生時代は「勉強せねば」「学校へ行かねば」「進路を決めなければ」。

会社員となりフルタイム勤務になると、「仕事に行かねば」「早くこなせるようにならねば」「仕事を続けなければ」

家に帰ると「食事を作らねば」「洗濯せねば」「掃除をせねば」

私のネバネバ病は重度です。休日は「休まねば」。趣味においても、ジムに「行かねば」、一眼レフカメラで「撮らねば」、旅行の「お金を貯めねば」・・・おっとこれは正論でしたね。

このように私の生活の多くは、ネバネバ病に侵されていました。

ネバネバ病の主症状は、思考回路が「~しなければ」に支配されることです。副症状は個人差はありますが、力の抜き方が下手であったり、適当が苦手であったり、適当にすると自分自身に罪悪感を抱いてしまうことが挙げられます。

さらにネバネバ病の悪いところは、指摘されるまでほぼ無自覚であることです。そして自覚したとしてもその思考回路を修正することは根気のいる作業。いきなりプツッと切れてしまうことだってあります。

実際に私がそうでした。生活のほぼすべてが「ネバ」に支配されており、それに全く気づくこともなく、「ネバ」を達成すると達成感が得られる。疲れているけれどそれは皆同じだから「頑張らねば」!甘えてはいけぬ、「やり遂げねば」。

ここまで来た時、私の場合は心にも体にも症状が出ました。原因は分かっていないけれど色々と重なった時に、突発性難聴になり、メニエール病も発症。寛解したかと思えばうつ状態になり、強制的に受診させられた病院では「休みなさい」と自分の思考が追いつかないままに休職まで至ったことがありました。

はてさて休むとは・・・。ここでふと、それまでは「休まねば」と休んでいるつもりでも、全然休めていなかったことに気づいたのです。休日に友達や家族と会うこと、旅行にいくことなど大抵の気晴らしはやっていたつもりでしたが、根本にはやっかいなネバ思考に侵されていたのです。

休職した時、主人に「ネバネバせずに休みなさい」と言われ、言葉に甘えてみることにしました。しかし、根強いネバネバ病がここでも威力を発揮しました。家で休んでいるのだから私が「掃除せねば」「家事せねば」。そして出来ない自分に失望する。そんな日々を繰り返していました。

私は「家事なんてしなくていいから休むのが仕事だよ」という温かい言葉すらも頭では有り難いと思いながらも素直に聞けない状況でした。言われる度にそうできない自分が苦しくもありました。そんな私の考えも主人にはお見通しだったようで、私を見るなり


でた!ネバネバ病!尊敬するレベルで重症や!


と笑ってくれました。私はその瞬間、全身から力が抜けました。なんだ、それで良いのか。

私はネバネバ病重症者。だけどその症状を「治さねば」ではなく、それも私の一部だと、ユーモアに変えてくれる人がいる。私のアイデンティティのひとつでもあると認めてくれる人がいる。

ネバネバ病を克服しようとは今は思いません。ネバネバ病は悪いだけではないと思います。ネバネバしているから継続できること、力になること、諦めずに頑張れることもあるのかなと思います。

これからも私の人生のターニングポイントではきっとその力を発揮してくれるだろう、ネバネバ病。用量を守って、根気強く向き合っていこう。そしてたまに、ネバネバ症状を笑ってあげられる自分になろう。

そんなことをふと思い出してしまったので、アウトプットせねばと思い、書き綴りました。

#君のことばに救われた

最後まで読んでいただいてありがとうございました!「スキ」とても励みになります。マイペースに投稿しますが、これからも時々覗いてみてください。