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レモンのころ🍋~はなのかんづめ Ep.4~


はなのかんづめ 第4弾

(※はなのかんづめとは、花屋が敬愛してやまないさくらももこ氏に憧れて 書き始めた中身のないエッセイのことである)
身バレ防止も含めてある程度のフィクションも混ぜているので
どこかの世界で生きているOLがチラシの裏に書いている
妄想くらいに思って読み流して欲しい。

*レモンのころ🍋

高校時代、私は一時的に病気になったことがあり 半年以上学校に通うことが出来ず、自宅/病院での療養をしていた期間があった。

中学までは健康体の身体だったのである。
学校に行きたくても行けないことにストレスを感じ、 今まで得意だった科目や定期試験も受けることが出来ずがくんと成績の順位が右肩下がりになった。

たまに身体の調子が良い時に学校に行くことが出来ても、 途中で早退を繰り返す日々。

天然パーマの数学教師が教えていた正弦定理や、 相関係数の求め方についていくことが出来なくなっていた。

大好きな文系科目でさえ、
古典の動詞や助詞の活用がさっぱり理解できず
延々と50分間、自分の分からない内容を喋り続ける教師の話を訊くだけでも苦痛だったのである。

徐々に身体はよくなり、高2の秋くらいには
学校生活を送っても不自由ないくらいに回復していたが 如何せん丈夫な身体と引き換えに残ったのは勉強に対する"苦手意識"である。

英語の仮定法過去完了や、センター試験に向けた長文読解など
基礎学力がないまま挑んだ私は見事に撃沈し、完全に自暴自棄になった。

そして、冬が近付いていたある日、
自分の理解が出来ない授業を訊くのが嫌になった私はとつぜん担任に「体調が悪いので早退したい」と告げ、見知らぬバスに乗って遠くの街へ出かけることにした。

無論、身体などどこも悪くない。
完全なる仮病である。
ただ、その時は教室で自分の席に座っていることがどうしても耐えられず、
はじめて一人で知らない場所を旅してみたいと思ったのだ。

普段、自転車通学の私はバスに乗ることは滅多にない。
学校に愛車を放置したまま、目の前のバス停から出ていたバスに飛び乗ると
バスは真っ直ぐ見覚えのあるターミナル駅へと向かった。

ずっと乗っていれば知らない場所に着くほど、人生そう甘くは出来ていない。

予期せぬところで出鼻をくじかれ、乗り換えを迫られた私は、
周りを見回して高松/高知行きの汽車に乗るか
ちょうど駅に着いていた田舎の外れに位置する美術館行きのバスに乗るかの二択を迫られた。

考えるまでもなく、結論は決まっていた。
美術館一択である。

弁解させて頂くが、当時の私が美術館好きだったわけではない。
ただ汽車に乗るほどの度胸が無かったというだけだ。

見知らぬ街に行くことは出来ても、県外に出ることは出来ない。
小心者で田舎育ちのJKにとっては、日中に学校を抜け出して美術館に行くだけでハラハラドキドキの大冒険だったのである。

揺られること数時間、降り立った美術館は
それまで見ていた田畑の風景と一線を画していた。
言うなれば、高速道路からちょろっと顔を出すラブホテルのようなものである。

緑に囲まれ、直ぐ近くには海がある景観は
観光地として盛り上げるには間違いないが
なんとも場所が唐突過ぎるのだ。
それまで、木、山、森、虫、と囲まれていた場所に突然色とりどりの国旗が掲げられた駐車場と、立派過ぎる建物が建っている姿を想像して欲しい。

高校生ながら、建物のミスマッチ感に当時の私は何とも言えない不気味さを覚えた。

不気味な建物に対する居心地の悪さ、
そしてほんのちょっと背伸びをしたような昂揚感。

相反する気持ちを抱えたまま、美術館の入り口をくぐるとそこは無人の世界であった。
平日、昼間、こともあろうに貸し切りなのである。
ゴッホのひまわりも、陽の光で咲くモネの大睡蓮も、 モナリザの不気味な微笑みもこの瞬間に限り、──すべて私だけのものだった。

絵心はあまりなく、美術に関してもさほど興味を覚えなかった私だが
すべてレプリカの作品だと分かっていても作品や場所が醸し出す空気感に圧倒された。

特に、礼拝堂。
あの威力は恐ろしい。
足を踏み入れた瞬間、偽物が本物になるのである。

嫌だったこと、悲しかったこと、
すべてを浄化してくれるような
洗練された穢れのない空気を吸い、私は少しだけ涙を零した。

この感覚は、夜行バスに乗って車内で一夜を過ごしたあと、 旅する土地をはじめて一歩踏みしめたときの感覚に近い。
冷たい風が頬を撫でて、後には静けさと僅かに波打つ心の揺れだけが残るのである。
感動という言葉とは、すこし違う。
しかし、一生に一度、誰もがどこかで味わったことがある不思議な感覚だ。

わたしは勉強ができない。
けれど、できないことから逃げていてもそこから始まるものはなにもない。

信心深くもない。神様を信じるのは、一年に二回のクリスマスとお正月の時だけ。
ただ、学校をサボって知らない場所に逃げてきた私でも、
この場所にいるレプリカの神様から確かにパワーを貰ったのである。


余談
そしてこの数年後、私が救われたこの場所で
私の小・中学校の先輩がたくさんの蝋燭に包まれて 年末の歌番組に出演したということを、地元の友人から耳にした。

今でもあなたは 私の光

米津玄師"lemon"

心が疲弊し、光を求めてやってきた誰かにふさわしい場所で、
この曲が歌われたことを当時の私はまだ知らない。

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