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第一章 夏 第三節 バルセロナの人生を変える美しさを考える


スペインはバルセロナに初めて行った。今のロンドンにある建築事務所で働き始めて最初の夏休み、ロンドンに遊びに来てくれた仲良しの先輩が日本に帰ってから私は1人、二日間だけバルセロナへ飛んだ。

ロンドンで働いていて素晴らしいところはこのように二、三日のヨーロッパ旅行が簡単にできるところである。


このNoteで書きたいことは山ほどあるのだが本当に建築を志すものとして間違いなく行ってよかった街だった。23歳、これまで14カ国ほどに行って3カ国に住んだけれど間違いなく建築への概念を一番変えてくれた街。全ての感覚や常識がひっくり返ってしまった。

私のありのままの感想を言葉にしようと思ったら消化するのに一週間もかかった。まだわかりきれていない部分もあるし、なぜか知らないけれど心を揺さぶられてしまう、そんなところが魅力の街だった。


1:バルセロナってどんな街? カタルーニャとは?

バルセロナパビリオンにあるバルセロナの旗


バルセロナはみなさんご存知スペインの街で、人口ではマドリッドの次に多い。地図を見るとかなりフランスに近いのがわかるのだが、そのフランスとの国境ピレネー山脈への距離はおよそ150kmほどである。


サグラダファミリアをはじめとするガウディ建築にその観光の目的を奪われがちだが海岸線の街なのでビーチもあったり旧市街があったりと結構いろんな側面が楽しめる。

そのバルセロナの起源はというと、古代ローマ帝国最強の敵と恐れられたハンニバル・バルカで有名なバルカ家の元領土であり、都市名BarcelonaもそのBarcaに由来している。ちなみにBarcaとは雷光を意味した。

19世紀に入り工業革命が起きると治安やインフラ状況が悪化し、オスマンがパリを作り替えたのとまるで同じように(実際にパリを訪れオスマンの計画も参考にしながら)カタルーニャの都市計画士であったイルフォンソ・セルダのバルセロナ拡張計画によって現在の碁盤の目のようにきれいに並んだバルセロナが生まれた。

(上記こちらを参照:https://ja.wikipedia.org/wiki/バルセロナ

Carmelの丘から望むバルセロナ市街


カタルーニャについては私もあまり詳しくなかったのだがバルセロナについて話すならカタルーニャは外せないトピックである。バルセロナ市はスペインカタルーニャ州の市なのだが、

そのカタルーニャ州は独自の歴史、文化、言語のある独立意識の高い地域で、

驚いたのはバルセロナの学校はみんなカタルーニャ語で授業が行われスペイン語は外国語として教えられるという点。スペインの重要都市として考えられることの多いバルセロナだがそれ以前にカタルーニャの重要起点であるということをバルセロナに行く前には覚えておきたい。 

(参照:https://ja.wikipedia.org/wiki/カタルーニャ州

2:ガウディって何がすごいの? 「曲線は神に属する」


カサ・ミラ


スペイン、そしてカタルーニャが誇る神の建築家、アントニオガウディ。見ての通りアール・ヌーヴォー期の建築家であるがガウディを他のアール・ヌーヴォーの建築家と束ねることには疑問を投げ掛ける人も多い。

私も大学時代アール・ヌーヴォーについて小論文を書く課題があった時にガウディを中心に添えて書くことは推奨されなかったことを覚えている。

それくらい彼の個性、哲学というのは何か他の流れとか流行りにポンと当てはめるには強烈すぎるのである。

当時でも狂人か、天才かと囁かれながら、だが数人の有力なパトロンの力もあり確かに強くバルセロナに足跡を残していった。

私が今回ちゃんと見に行くことができたのはサグラダファミリア、グエル公園、カサミラ。バルセロナにはもっと彼の作品があるが何せ二日しかなかったので。二日間サグラダファミリアを見つめるだけでも余裕で幸せになれる街なのである。

早朝にちらりと見たカサ・バトリョ



まず特筆すべきはサグラダファミリアだろう。舐めてはいけない。人生が変わってしまう。

生誕のファサード



世界遺産とか、完成しない名作とか、それが現実的にいったい何に属するのかについてが語られ、観光客を集めるのかもしれないが、

これはもう言葉にならない。サグラダファミリア自身が宗教であり心を揺さぶり目を閉じたら行ける心の天国を誰しもの記憶に残してしまう。何にも属さない。サグラダファミリアはサグラダファミリアにしか向けられない信仰心を集めるのである。

本当は当初、バルセロナに行くかどうかも、夏休み色々遊んでお金を使ったので迷ったのだが本当に今来ておいてよかった。

これ、後々建築士にもしなることができて、しばらく経ってから来ていたら私は本当に後悔していたと思う。今打ちのめされておいて本当によかった。

ステンドグラスの色とりどりの光が差し込む内部

ミラノのDuomoを見た時、ブダペストの国会議事堂を見たときのように圧倒的スケールに言葉を失ったり、ここまでは私にはできないと悔しく悲しくなる感情すら湧かない。

なんだかじんわり幸せにしてくれて面白いのである。どうなっているのかよくわからない。いずれにせよ図面で説明することもできない建物なのだからよくわからないのは当然なのである。


とにかくそこに神がいる。この世に重力があったことすら忘れる。

ガウディはこのように糸をつってできる曲線を造形に反映した


初めてのサグラダファミリアはガウディ通りから‥と思ってわざわざガウディ通りの端っこ、Recinte Modernista de Sant Pauまで(サグラダファミリアを見ないように)目を半開きにして歩いていった。

ひと目見て、テラスで食事をする人たちとその客引きの間をすり抜けて生誕のファサードに近づいて。

ゾッとする。とても私なんかが解説できるような代物ではないので恐縮だが代わりに写真を貼らせてもらう。

生誕のファサード(The Nativity)には日本人の彫刻家である外尾悦郎さんの彫刻も使われており日本人なら必ず注目したい点である。私の祖父は彫刻家なのだが昔大学の後輩であった外尾さんに直々にここを案内してもらったとかで、とても羨ましい。

生誕のファサード


そしてその反対側が受難のファサード。

受難のファサード

コラムがまるで人の腱のようでも、強力に地面に根をはる木のようでもある。とても生誕のファサードはその場で描けそうになかったのでバルセロナのOn siteスケッチには受難のファサードを選んだ。

ユースホステルの共有スペースで深夜に絵を描くのが好き


中も素晴らしいの。建築として行ってすみませんという感じ。これは天国。じわじわとそれに気付かされる感じがうまく言葉にならない。

直線は人に属し、曲線は神に属するという言葉を残した彼だが、まさに曲線はガウディ(神)に属しているという感じがする。


ギャラリーに並んで、今でも使われている制作スタジオもチラ見できる。このてっぺんで作業する人たちはここからコルセローラ山地に沈む日が毎日見られるのかと思うとたまらない。

模型の置いてあるスタジオに興奮する
素晴らしい景色


グエル公園も最高。ただの公園と思ったら大間違い。これも人生変わる。世界中のデザイナーが真似をしたのもよくわかる。それでも絶対ここには勝てない。

とにかく土地を丸ごと抱いている。説明のつかない美しさ。物理とかグリッドとか私は一体何を学んでしまったのだろうと勘違いしてきた気分になる。

元々公共住宅としての計画だったが公園部分を作ったところで計画がストップ。そして今公共にこうして公開されている。

3:「神は細部に宿る」Mies van der Roheの足跡

そしてバルセロナといえばガウディだけではない。

私が個人的に嬉しかったのはこちら、Ludwig Mies van der Roheがバルセロナに残したバルセロナパビリオンに行けたこと。

Mies van der Roheをあまり知らない人でもかの有名なバルセロナチェアや、「美は細部に宿る」「Less is more」などの彼の言葉は聞いたことがあるだろう。ドイツ人である彼はバウハウスの第三代校長でもある。

こちらは1929年のバルセロナ万博の時にドイツ館として作られ(Mies van der Roheはドイツ人)、スペイン国王を迎えるレセプションとしての役割も果たした。パビリオンであるため一度は解体されたが80年代に復元され今に至る。

バルセロナチェアも置いてあるよ

実はこれ、私が大学一年生の時に建築学部で最初に一点透視の図を書くときに題材として選ばれていて、どうしても行きたかったのでとても嬉しかった。

入場料も少しかかるがモダニズム建築の巨匠の空気を吸いたい人はぜひ。私も四年越しにまた描きました。

時間がないのでとにかく下書きをたくさん描いた

嬉しかったなあ。本当に嬉しかったんだよ。私と建築との対峙の全てはここから始まったかもしれないのだから。

4:バルセロナは本物の天国だった

神のためにひざまづいて作られたものを人々が見られる場所。本当にどこを歩いていても素晴らしい。

この大通り(Pg. de Gracia) の幅の取り方とかそのそばに立つ建物とか素晴らしすぎて。カサミラもこの通りにある。


5:番外編 バルセロナの日差しとサングリア


二日とも30度越えの本当に暑かったバルセロナだったが(涼し目のロンドンから行ったので特に)それにこのキンキンに冷えたビールやサングリア、スペインワインと楽しめるタパスが最高すぎた! 

何がどのくらい出てくるのかわからなくて頼みすぎ

シーフードのフライヤピンチョスなど素晴らしい。ちゃんと海鮮の味がする(ロンドンをディスっているわけではありません)。

念願のチュロスも食べられてとても嬉しかったです! 砂糖のまぶしてある揚げたてのチュロスに甘くないチョコレートをつけて食べるのが面白かったです。(これと逆で甘くないチュロスを甘いチョコレートにつけるパターンも主流なよう)



まとめ

信じられない光景に、たくさん出会った。人生で初めて、「この街は人のためにできていない」と思った。神を受け入れるために、そして、Mies van der Roheが言ったように、どの細部にも神様がいつでも宿れる準備がなされているようだった。

パリはナポレオン3世が自分の地位を見せつけるために、ロンドンは王室を讃えるためにあるのなら、バルセロナは完全に神様のためにあった。

曲がりくねったバルコニーのディテール、朝早く、丘の上にそっと立つ小さな家の青いドア、受難のファサードのアキレス腱見たいなコラムとか、グエル公園の花々とか 全てが 膝をついて、神様を見上げていた

人とか見せ物のために作ったものでは決して超えられない壁を悠々と超えている 信じられない街だった。

また絶対に行きたい。これは決意です。次はもっと上手く言葉にできたらいいな。この感動。

読んでくれてありがとう。次はこの流れ(?)でバウハウスを学びにドイツに行きたいです。

ケンジントンの肖像‥というよりは、バルセロナの肖像がテーマでした。

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