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なぜくもんの先生は「やめる」っていうと怒るのか??

プロの仕事って基本的には報酬を得るためにやるんだけど、それだけでは気持ちがもたないのはきとどんな職業でも同じだと思う。くもんの教室経営においても、報酬に魅力を感じてやってる人っていないんじゃないだろうか?魅力感じられるほどの報酬を得ている先生はほんの一握りだし。

私自身の話で言うなら、くもんの理念にある「地域社会に貢献する」が一番のモチベ。(今は地球社会に変わってるが)周りの人の役に立っているって気持ち(=自己効用感)が一番私にシアワセをもたらす感情。「やっててよかった」を言ってもらえるのが指導者のシアワセなのだと思う。

とはいえ会費をいただくときももちろんシアワセ❤️ だが、時々「会費いらないから来て欲しい!」と言いたくなる生徒さんもいる。中3で卒業の生徒さんとか先日研究教材(英語T)を修了したため、やる教材がなくなっちゃった(卒業せざるを得ない)生徒さんとか。

そんな生徒さんたちはもちろん、それぞれ事情があって退会する生徒さんたちに、理解はできるのだが、すぐに「了解!」みたいな返事はできない。場合によっては「怒り」「悲しみ」が生じる。指導者仲間とお話しするとよくそんな話題になる。「もう仕方ないかなあ」「ここまで面倒見たのに」「ここまでできるようになったのに」心残りを吐露する会話や保護者に怒りをぶつけてしまった後悔話などもある。わかる!わかるんだよ、その気持ち!指導者でないとわからんと思う。他人に話すと「そんなにお金(生徒)が欲しいの?」的なリアクション。違うの!そうじゃないの!

「私はあなたのためになっている」という実感は、生徒が教室に足を運んでくれて顔を見せてくれた時から感じ、「今日もくもん終わったー」という達成感に満ちた表情をした時が頂点。私があなたの役に立った、という自己効用感は何にも変え難い。保護者様から頂戴する会費から自分が手にする報酬はほんのわずかなこともあり、指導者はだんだんこの自己効用感のためだけに仕事をするようになっていく。そしてそれは、SNSなんかの「いいね」が欲しいのと同じ承認欲求へと膨らんでいく。

生徒さんの数は指導者の承認欲求を満たす「いいね」の数、フォロワーの数と考えるとそれが減ることを考えた時の残念な気持ちは伝わるのではないか。しかし、それに依存するようになったためにフォロワーの数はたくさんだけど、嘘ばかりのSNSも見かける。迷惑系ユーチューバーみたいなのも存在する。実際そんな指導者版も無きにしも非ず。生徒数は多いが実質成果は上がってない。面談等でなんとなく「よくできるようになりましたよ(中身は曖昧だけど)」「非認知能力が身についてきてます(未確認だけど)」と、保護者をいい気にさせて丸め込む。SNSで生徒のいい子自慢をしてあげるのが生徒への愛情表現だと勘違いする。えてして個人情報には無配慮。などなど。

言いたいのは、教室を経営している指導者は承認欲求に突き動かされながら仕事をしていて、世間から見るとアンバランスな幸福指標に基づいて動く生き物であると言うこと。バックアップする研究会も指導者のそんな感情を助長するようなことばかり仕掛けてくる。自己効用感と承認欲求を満たすことは似ているかもしれないが別もん。

タイトルに戻るが、生徒がやめる=数が減る=承認・効用感が損なわれる→「なんですってー💢」、、、ってそこまで短絡的ではないにせよ、生徒がやめること=裏切り行為と自動的にみなしてしまうよう指導者は躾けられてきてしまっているのではないか。退会する事情に関わらずこんな感情が湧き起こるようになったら危険かも。

自身のことを振り返る。「くもんやめます」を聞いた時。最近「怒り」は感じない。が「ごめんなさい」を感じる。それと「もう少しだけチャンスをください」的な気持ち。「公文やめます」と記述するだけで心がざわめく。自分も病んでる。死んだ母がよく言ってた「公文病」。生徒が「やめる」と言ったときに、「卒業おめでとう!」(私も今まで君からたくさんの自己効用感をもらえました。ありがとね!)と心の底から言える教室運営をしたい。

2024/06/08

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