見出し画像

もう大丈夫、っていえるよ

あの選択は正解だったんだ、今立っているこの場所に胸を張れるよと、3日に1回は思っている。

母親や親友、近しい人にはいつも肯定してもらえている人生なのに、それでもずっと自信がもてなかった。人生の岐路に出会うたび真剣に頭を悩ませて自分で考えて答えを出してきたから、選択そのものに後悔したことは一度もない。けれど選択した環境からやむを得ず離れてしまったことが何度かあり、そのたびにまるで大失恋をしたかのように気持ちを引きずった。引きずったその気持ちはだいたい時間に解決してもらっていたのだけど、この半年ほどでようやく根本から前を向いて元気になれたように思う。

先月、資格試験を受けた。今の仕事を始めたタイミングで試験勉強をスタートして5ヶ月。まだ結果は出ていないけれどたぶん合格。試験勉強、すごく面白かった。大人になってから自分の興味のあることを自分の意思で学ぶって、こんなに面白いことなんだって目を見開いた。この間まで大学院で研究をしていた夫の気持ちが少しわかった気がした。試験が終わって少し休憩してから実践用の書籍を3つ買ったけれど、試験範囲をもっと自分に落とし込んだほうがスムーズに学べるんだろう。本当は参考書も過去問集も試験が終わったら売ってしまおうと思っていたけれど、これからも愚直にお勉強したくて売るのはやめた。そもそもこの試験は私が本当に学びたいことの通過点のようなところで、試験が終わるまでそっちの勉強はおあずけ!だったので、これからはそっちの勉強もしていきたい。そんなわけで試験範囲の落とし込みと実践的な勉強と本当に興味のあることの勉強(試験範囲も気づけばとっても興味が湧いてきたのだけど)、3つを地道に並行してすすめていこうとしている学習意欲。我ながらすごい。

勉強しているのは医薬系で、呪文のような言葉を暗記しなければいけなかったり感覚的な世界だったりもするけれど、結局全部自分の役に立っていくだろうと勉強しながら感じられて興奮してしまう。20代は販売か接客をひたすらにやっていたけれど目に見えるスキルがなんにもなくて、いつも「たまたま平和に生きていられてる」と思っていた。わたしにはなんにもないけれど、たまたま雇ってくれている職場があるから。そんな宙ぶらりんの気持ちで過ごした20代を終えて30歳を迎えたとき、安心できるなにかがほしくてほしくてたどり着いたのが医薬系の知識を深めること。資格取得を目指してそれに近づける職場で働くこと。資格勉強が一段落して日々の勉強が趣味のようになってきた今、勉強をすると決めた自分の選択や行動が、たった今の自分と自分のこれからを安心させるようになってきた。パート勤務で勤務時間も長くはないしお給料だってたかが知れているけれど、だからこそ勉強という自己研鑽を積み上げていきたい。過去の自分の選択が間違ってなかったよっていうための選択。手段。自信の源。正社員勤務の仕事をやめなよと提案してくれて、背中を押し、隣でずっと見守ってくれている夫に盛大なる感謝をしながら。

自分の過去に囚われていた日々をこれからも相変わらず思い出すだろうけれど、今はもう、目標に向かっていく自分を印籠のようにかざして、納得して生きていける。もうわたしは大丈夫なんだって、何度振り返っても思える。大げさに聞こえるかもしれないけれど、わたしはようやく大丈夫になれました。うれしい。勉強がんばります!

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?