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私に立ちはだかるの、だいたいフレネミー

とはいえ、大体友達。

そもそもフレネミーとは

友達のフリした敵みたいな感じのやつです。

ライバルってことやろ?
とか
合わん時あるよね!

というのこそ冒頭の「とはいえ、大体友達」と私は定義する。
そう、大半は「友人だけどちょっとイラつくとこもあるよねー」で済む。
別の面では楽しかったりするから。

そんな中、「こいつだけは確実にフレネミー」って思った人が私の人生で1人だけいる。

その子とは中高大一貫校の中学からの同級生だった。
中1の頃から何かと曰く付きの子だった。
一言で言うと

「痛々しい」

と言っても多様性や外しのテクニックではみ出してるのではなく、本当に「お前そんなん言う割になんもできてへんし努力の跡も見えへんやんけ」という方の痛々しさで中高6年、腫れ物に触るような扱いを受けている子だった。

恐らく初めの方は皆避けたりはしていたのだが、中高一貫。
良いのか悪いのか「それもキャラクター」位に落ち着いてしまったせいで「自分は派手にも地味にももう何も言われない!つまり「「愛され」」マスコットキャラに変化した!」と根拠なき暴論を振りかざすモンスターへと進化してしまった。

そして私も彼女もエスカレーター式に付属の大学に進学した。
1〜2年くらいまでは平凡に過ごしたんだと思う。それくらい、記憶がない。

3年からゼミが始まり、マスコットちゃんと同じになった。
4年で卒論を仕上げるのだが、卒論が大体二人組になって発表する、というものだった。
小さな大学で、さして志も低い学校では、卒論すら対になれ、といわれてしまうこともまぁ悲しい話だが。

何故私がそんなのと組まなきゃならなくなったかというと、愛されマスコットちゃん的には当然パーフェクトヒューマンちゃんが組んで下さいと頭を下げてくるだろう、と思っていたところ、しれっとパーフェクトヒューマンはゼミを移動してしまい、イライラしてたところに奇数になったゼミで1人で卒研をしようと意気込んでる私を見つけたから、というのが流れである。

当然、嫌がった。
そもそも卒論組むなんてめんどくさいところに、よりにもよってそんな暴論マスコットはいらん。

無茶振りしたら思いとどまるんじゃないかと思って無茶苦茶言ったり話逸らしたり逃げたりしたものの、最終的に袋小路に追い詰められ、
「それでも私は花奈ちゃんとやりたい」
としつこくお願いされ、仕方なく引き受けたら案の定全てにおいてのマウンティングが始まった。


典型的な家族や親戚自慢、妄想彼氏との赤裸々性事情もさることながら、とりわけマウンティングが多かったのが友達のことだった。

「〇〇ちゃんはあんたよりも私のこと、友達と思ってるから」
「〇〇ちゃん達とはあんたと違って、私は何年も一緒にいるし」
「なんでそんなに友達いないの?」

とにかく、私の友達が少ない、と言われ、その数少ないあんたの友人達はあんたなんかより私の方が大事だから!
という趣旨の事を卒業研究中なぜかずっと言われた。

これが友達が本当に多い子ならともかく。

思春期の獣状態の女の子達が成長して、言いたいことも人を傷つけるからやんわりと接する、を心得た接し方をするようになっただけで、そのみんなの優しさを、自分が愛されマスコットに変わったからだと思い込んでいると言うのが、分かるのが、つらい。

今ならそっと笑うだけだが、私もまだ幼かった。
クソデカボイスに負けてしまったのだ。

もちろん、はじめは何言ってるんだ?と思っていた。

大学生にもなって、友人の深さや濃さや人数を比較する人の存在に驚いた。

ただ、とにかく声がデカいのだ。
比喩的にも本質的にも。
とにかく何するにしても大きな声だった。

その上、しつこい。

脳にダイレクトに響く、うるさい「友達」という2文字は、卒論の本文よりも大きく、だんだん私をネガティブな気持ちにさせていった。

「私には沢山の仲間がいるの。あんたの友達は私の方が大事なの。あなたには誰もいないの。」
を何回も擦り付けられた。

3年の時に、マスコットちゃんと同じアイドルグループを好きになったのだが、いつの間にかチケットの譲渡に首を突っ込んできて、
「あんたに友達なんていない。私が私の好きなやつに配る!」と意気込み、「私のねぇちゃんがあんたのこと気に食わないから全部一緒に行くのなしな!あたしの選んだあたしの友達と行って!」とかややこしいこと言われ

(関係ないが、切長のクールビューティなネェちゃんがただの糸目の人で、気に食わないなりに私の事を把握してるのかと思いきや、把握もしてないのも驚き)

趣味も自称愛されマスコットに支配されるようになり、メンタルがズタズタになった。
ガリッガリに痩せて毎日変な胃酸みたいなの吐いてた。

大学時代の後半、1番モラトリアムで楽しむべき日々が、地獄のように辛かった。

声がデカいのは周りにも影響して私はそのゼミでは完全に「なんか騒ぐあの子がうるさいから、とにかくこいつとは関わらない方が良い」という判断をされ、そこから友達が増えることも無くなった。
愛されマスコットちゃん的は「かわいいマスコットちゃんかあの相方?そりゃあ可愛いマスコットちゃんでしょ!」に見えただろうが、今の私が俯瞰的に見たら「なんか女朝青龍がぶひぶひうるさいしめんどくせーからこいつと距離置いとこ」だったんだろうな、と思う。

卒論提出よりも、提出後の飲み会でのゼミの先生の
「なんであいつはああなんだ…?」
が忘れられない。
心理学科の教師でも紐解けないモンスターの心理。

とにかくやっと社会人になった。

ただ、その頃には友人は私の中で完全にマスコットちゃんだけになっていた。
親友はこの子だけ、くらいに思ってた。
支配って怖いなぁ、と思う。

私は事務職、
マスコットは縁故で(えんこで)(コネ以外の何者でもない)でマジでデカい大企業のバリキャリ営業マンになった。

あんだけチケットで揉めたのに、自分でやる勇気を完全に失っていて、完全に「もう友達もおらんし、あんだけ騒がれるくらいなら丸投げしとこ」になり、案の定当日に違う人が隣に入っていても何も思わなくなってきていた。

でも、たまに「なんで?」と聞いたら、うるさいうるさい縁故採用のバリキャリウーマンは接待に麻雀に忙しいの!!の一点張りだった。

逆にそれが私にとって考える時間をくれたのだ。

なんか色々おかしくねーか?

何やってるんだろ?私?

我に返った。

馬鹿にされて、他の友達と会う機会も奪われ、好き勝手されても親友!とにこにこして接して。

ってか、別に特殊技能でもあるまいし、私にだってできるんじゃないか?

そう思い出したら早かった。

『あの子は私の方が友達だから!』
『あの子達と遊ぶとかちょっと引くわー。』

と言われてた子達と連絡をとるようになった。
というかとれるようになった。
遊んだらすごく楽しかった。
その子と共通の趣味だったことも、ずっと私には友達を作るスキルがないから一緒に行動しなきゃ、と思いこんでたけど、ちょうどSNSが発達した事で、自分が色々発信してるうちに、面白いねって言ってくれる人が増え、段々と新しい友達ができた。

急に人生が楽しくなった。

そのうち、その子と連絡を自然とこちらから取らなくなった。

そうなると、大概適当に放置されてたのに、その子から鬼のように電話や、なんの用もないのにメールが毎日毎日大量に着た。

怖いから返事しつつも、徐々に返信する回数を減らしていって、もう大分返事もしなくなった頃、とあるきっかけで完全に連絡を絶った。

共通の友達との結婚式で会うかもしれない、中高や大学の同窓会で会うかもしれない、そんな時どんな顔して会えばいいだろう?とも思ったけど、それよりもその子と付き合うことへの限界と、その子を介することがなくても私にも友達は作れるし、そもそも友達、いるんだった。
という当たり前なことを思い出すことができた。

時が過ぎて、自分に子どもができた。

あんなモンスターには育てまい、と寝顔を見ながら強く思った。





#眠れない夜に


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