大人になるということ

もちろんまだ社会人になっていないし、自分を立派な大人とは呼ぶことはできないけど、大人になるって諦めるということなんだろうなと思い始めた。

子どものころは大人がすごい楽しそうで、自由でなんでもできる存在だと思っていたし、好きなものを好きなだけ買えることも、好きな人とラブラブできることも、好きな時間に好きな場所に出かけることも、自分専用の携帯電話があることも、大人がすること成すことが羨ましくて夢を見ていた。
早く大人になりたかった。

まあ、正直子供のころから諦めなくてはいけないことが多かったので、同年代の人たちに比べたら精神的には大人であったように思う。年の割には達観しているよねと何人かに言われたこともあるし。

けれども、成長するにつれて自分は大人の綺麗な部分だけ見ていたんだなと実感することが増えた。夢は叶わないし理想は簡単に打ち砕かれる。楽しいだけではやっていけなくて、楽しく過ごすためにはそれと同じくらい辛いことを乗り越える必要があるのかもしれない。欲しいものがあるなら何かを犠牲にする必要があるのかもしれない。幸せになるためにはそれなりに対価が必要だと感じた。
人間関係はドロドロしているし、仕事は(もちろん楽しんでいる人もいることも承知だけど大半の人にとっては)大変そうだし、好きなものを好きなだけ買えるようにするにはお金がなければ始まらないし、サンタさんはいないし運命の人もいない。この人と一緒にいたいなと思っても関係なんて簡単に終わる。恋愛も好きという感情だけではやっていけないし。今なら2番目に好きな人の方が上手く行くという言葉の意味が良く分かってしまう。

今となっては子供のころの純粋な気持ちが欲しくて仕方ない。
知らないっていいよね。無限の可能性がある。
いつのころからか打算的になってしまったような気がする。

でも、完全に人生に対して諦めているわけでもないし、臆病すぎて動けないわけでもない。
自分の欲しいものくらい自分で取りに行くくらいの精神はまだ全然残っている。自分の人生だもん。環境のせいにして何もしないのは一番カッコ悪いと思っている。

ただ、昔ほどは、物事や他人に対して期待しなくなったよなあと感じたという話。

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