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田園記

中央線長野方面の鈍行電車に乗り、電波の届かない、不便で、暗くて長いトンネルを抜ける。ああ開けてきた、と思う頃には、景色ががらりと変わって、あたり一面田んぼだらけ。そうして、だいたい特急の待ち合わせが15分というお決まりのルートで今回も帰省した。開け放しになっているドアを出ると、目の前に広がる果樹園の懐かしい匂いがした。冬来た時は冬の匂いだった。田舎は夏の青々とした草木の匂いに変わっていたのだ。私は嬉しくなり、胸いっぱい田園の空気を取り込んだ。気づくと発車時刻になっている。慌てて電車に飛び乗った。

都会の暮らしに疲れると、度々帰郷をするのが私のリズムとして自然と組み込まれている。土の匂い。育ちつつあるトマトの青い匂い。窓を開ければ日々黄色く熟している庭のびわの実の成長が見える。屋根にはツバメが巣を作ろうとして飛んでいるのが見える。ツバメたちは庭をうろうろしている猫たちに気づくと、たまんねえとでも言いたげに、焦るようにして巣作りを諦め飛んでゆく。そのいじらしいようすや、鳥たちの甲斐甲斐しいのが私には大変おもしろい。毎晩、夜になると窓にヤモリが張り付いている。その白い腹が滑稽なこと。彼(?)は体を揺らすように踊り出てきて、明かりに集まった虫たちを容赦なく食らい尽くす。その晩、星座表を開いて、冷たいベランダから星を眺めた。いっとう明るい牛飼い座のアウクトゥルス、赤い星は獅子座のレグルス、青白い乙女座のスピカ、そして夏の大三角。夏の夜空になっていた。私は四季があることに嬉しくなって、ベランダから何度も星を眺めていた。そのうち夜鷹が鳴くのを聞いて、そろそろ眠ろうと体を横たえる。目を瞑ると、「そういえば宮沢賢治の童話があったなあ々と心の本棚に思いを馳せつつ、「あの話はとびきり美しく、悲しい話だ」と、一人切なくなってから眠る。田園のまんなか、ささやかで牧歌的な毎日。

飽きるまで本を読み、時々家族がちくちく小言をいうので隠れて煙草を吸い、夕方になると田んぼを歩いたりする。不毛の地と呼ばれていたここいらでも、農家のおいちゃんたちが、暑い中汗をふきふき毎日作業してるのを見ると、その美しさに涙が出そうになる。鳥居の壊れたお稲荷さんを遠くから見た。近所の人は祟られる、と近づかないところだ。よくつんだ花が、同じところにまだ生えている。陽が傾くにつれ、山の端が鮮明になってくる。あたりも暗くなりはじめる。それを見ると帰らなきゃ、という気持ちになるのは、幼い頃そうしていた癖なのだろう。
周辺の様子が変わらないこと。ここにいたころ、確かに暮らしをしていたこと。それをなぞりながら何度も歩く。

帰郷するたびにこんなところへ二度と来るものか、と思っていた。仕事をやめて、父も母も優しかった。アルバイト先の遊園地でもそこそこ楽しくやっていた。それでも、だだっ広い田園は私を憂鬱にする。永遠にこんなところにいるのだろうか。こんなところにいたら…と焦って、突然家出する。また新宿行きの高速バスに乗る。法事もすっぽかして帰らずにいる。都会でやぶれかぶれになって、また帰ってくる。親はため息をつく。仏壇に合わせる手も顔もない。まったく懲りずにそんなことばかりしていた。

ここ数年のことだ、やっと両親との折り合いがついてきて、安心して故郷に帰ることができるようになった。都会で暮らしている、という私に「田舎は何もない」と素朴な顔の人たちは照れ臭そうに笑う。同じく素朴な顔であろう私も、全く同感だとばかり思っていた。何も言えずに苦笑のが常だった。なぜなら、それはもう、ここは死にたくなるほど退屈で憂鬱しかなくて、悪態つくほど田舎にうんざりしていたから…が、田舎を出てわかったのは、何もないことはない、ということだ。ここには、生き物の生死という循環、季節の移り変わり、豊かさを示すだけの自然がたしかにあるということ。都会の遊びも退屈だということに気づいてしまった以上、生き物たちが自然に暮らしているのが新鮮に見え、これはどんな遊びよりも面白く、自分にとってこの観察は日々の楽しみのひとつかもしれない、ということにやっと気づいた。

庭の梅の木の下には死んでしまった猫の墓がある。その横を、また別の猫がのんびりと通り過ぎてゆく。墓に近づくのがむずかしいほど、そばに梅の木が生い茂り、その果てに諦めてしまった実がころころと落ちていた。土曜日は、猫の墓を踏まないように気をつけながら梅の実をもいだ。死んでしまったものと、生きている命があることの不思議さに、夏が始まる日差しに、ちょっとくらくらした。それでも、太陽のひざしに目を閉じながら、生きている心地にひそかに震えそうになりながら、腕を高く伸ばして、精一杯背伸びして、青い実をもいだ。

その日仏壇には、祖母の愛した梅の実をそなえた。明日は花を摘んで歩こう。その次の日は山を見に行こう。いいものが見つかったら仏壇にお供えしよう。ああそうだったこれを言葉で書き留めないと、なんてあてもないかんがえごとをしていると、突風に言葉が吹き飛んでしまった。そのあと、まあいっか、と思ってしまうほどののどかさがあって、今は安心して体を委ねる。向こうの人たちには、「海が恋しくなったら帰ります」と伝えることにした。

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