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独立したいんだけど、反対されるのは辛い。

「はな独立までの道」というマガジンまで作っておいて何なんだが、どうしても独立したいわけではないことに気付いた。


私の場合、「会社員+複業では、体調を崩すから独立を目指す」という、妙な立ち位置にいる気がする。

「会社員+複業」が成立するのであれば、それでバリバリやりたいのが本音である。あれほど楽でゆるくて人間関係も心地良い会社、他にはない。会社で働くことは好きなのだと思う。

そんなめっちゃいい会社でさえ、めまいに悩まされてるんだから、「会社員+複業」が体の限界なのだと思う。



これまでの体調不良

私はよく体調を崩す。でも、子供の頃から体が弱かったわけではない。大人になってから、よく体調を崩すようになった。

過去に趣味で書いていた雑記ブログも100記事中60記事は「体調不良」や、その「体調を改善する為にやってきたこと」の記事だった。

「はなさんのブログ、“体調不良”のカテゴリーだけ記事数めっちゃ多いやん」と笑われた事もあるくらい、周りにも体調不良は認識されている。

・めまい
・頭痛
・コーガン病
・泣くほど痛い肩こり
・気管支喘息
・胃腸炎
・盲腸入院
・大腸ディスペプシア
・子宮内膜症
・排卵痛
・熱中症で救急車

などなど


でも、ほとんどが治ってる。
以前の仕事(外回りの営業)の時は、毎月別の病院に通うほどいろんな症状が重なった。働けば働くほど、医療費が増えていくほどだった。



過去の退職記録を振り返ってみる

▼18歳~23歳(ホテルマン)

某テーマパークのオフィシャルホテルで、フロント業務や経理事務をしてきた。ホテルではヒールで立ちっぱなしの歩きっぱなし、電車での通勤だったので、運動量は多かったように思う。

ここで約2年働いた。退社の理由は「遠距離恋愛の終止符を打つ」ため。当時、付き合っていた彼氏(今の旦那)が就職のため地元に帰り、遠距離恋愛をやめて近くに住みたかったため、仕事を辞めることにした。辞めるときは体調は良かった。


仕事中に経験した大きな体調不良は、「痛み止め薬の乱用により痙攣をおこし、救急車で運ばれたこと」である。

決算期でめちゃくちゃ忙しい時に生理痛がひどくて、昼に「バファリン」を飲み、痛みが治まらないので夕方頃に「違う種類の痛み止め」を飲んだ。

その後、頭がぼーっとして話すことができなくなり、痙攣を起こして救急車に運ばれた。薬の成分が別々だったようで、4時間空けずに飲んでいたのだと思う。 あまり覚えていない。

自分よりも仕事優先なタイプだったけど、
それよりも「愛」が優先だった。

懐かしのホテルマン時代


▼4ヶ月間(無職期間)

いろいろあって彼氏の実家に住むようになり、就職先を探していた約4ヶ月。二世帯住宅での専業主婦的なものを味わい、精神的に病んだ。

仕事をしない=社会と触れない
ことは、私にとっては大ダメージだったようだ。

「専業主婦をしながら、旦那の帰りを待ち、仕事せずのんびり暮らす」事は、私には合わないことを知った。

「愛」のためだけに生きる事はできない。



▼24歳~26歳(経理事務)

「キラキラした世界」が好きだった私は、県内でも大きい大手の飲料メーカーに就職した。ガラス張りのオフィス、受付嬢が挨拶をしてくれるオフィス、歩く度館内に響き渡るヒールの音。とても大好きだった。

その会社で、初めて「めまい」を起こした。
自分の運転で車酔いをして到着。経理部のある4階に着くと、ぐわんぐわんめまいを起こし、壁伝いでないと歩けない状態。座って仕事はできるが、デスクからプリンターまでの1.5mが歩けない。手すりがないと怖くて歩けない状態だった。

上司に紹介され、初めて「心療内科」で診察を受けた。
その結果、「やりたい事があるのに、それができなくて、心と体のバランスを崩している状態」との診断だった。

その当時、旦那と「サラリーマンで終わる人生は嫌だねー」と毎晩ウォーキングしながら語り合ってた。
私の両親が離島に住んでいて、「いつかこっちに来て、農業自営しないか?」と声をかけてくれていたこともあり、離島にするか、海外にでも行って何かお店を始めようか..など、割と具体的に考えていた時期でもあった。

退職の理由は「妊娠」。

心と体のバランスを崩しつつ、でも仕事はなかなか辞めれずボロボロだった頃に、自然と妊娠した。(事務のおばちゃんが言ってたんだけど、そういうメンタル落ちてる時は妊娠しやすい体になるらしい)

私たちにとって、初めての妊娠。家族が増える。
新しい人生が始まる。引っ越すなら今だ!と言うことで、妊娠8ヶ月で退職し、臨月ギリギリで鹿児島県の離島に引越しした。

「勢い」ってすごい。



▼27歳~30歳(農業自営(花卉栽培))

退職し、離島に移住し、島で出産し、農業を始めた。
初めは親元で働き、その後師匠の元で中国の方と働き、1年半後にハウス(土地)を借りて独立した。

自営なので、働く時間は自由とは言え、旦那はバリバリ1人でもやるタイプ。それについて行くのは大変だったが、それを大変だと思ったことがなかった。畑のど真ん中で、大声で喧嘩することもあったけど、なんだかんだで毎日一緒に仕事した。

農業だけで4年間生活した。生活できるほどの売上はあったが、ほとんど自転車操業。ギリギリの生活だった。

この頃はネット環境にいなかったので、旦那か親しか知らない生活だった。外のことを知らない生活だった。

退職の理由は、息子の病気。
島の医療では不安が大きかったため、島を出る決意をした。旦那は農業しながら宅建の資格をとって就職。島から出るタイミングで、農業も解散した。

この頃Twitterしてたら、世界観違って面白かったと思う。



▼31歳~35歳(外回り営業)

島から本土に戻り、就活を始めた。
その頃は日本一待機児童の多い県だったため、就活よりも保活(保育園に子供を預けること)の方が難しかった。保育園に預けるには仕事をしていないといけない、就職するには子供の預け先が決まっていないといけない、と板挟みだった。

そのため、「託児所付きの仕事先」しか選択肢が無かった。

営業の仕事なんてした事無かったけれど、子供の保育園が決まるまでの辛抱だ..と思い、2ヶ月だけ働く予定で外回り営業の仕事を選んだ。マイペースで仕事することが合っていたのか4年も続いた。
「いつも明るくて元気な営業さん」の好印象を持ってもらい、売上も高く楽しかった。声をかければ売れる、と思えていた程だった。

売上が伸び悩んだ頃、体調を崩すようになり、「頑張りたいのに頑張れない」症候群に陥る。子宮内膜症悪化、排卵痛で歩けない、泣くほどの肩こり、喉の締め付け、同じ年にインフルエンザに3回かかったり気管支喘息発症したりと、「これまで味わったことの無い体調不良」に次々と襲われた。

「外回りの仕事」に限界を感じ始めつつも、仕事は楽しかった。楽しかったけど思い通りに動かない体が辛かった。

外回りをせずに、自分の知識を伝える方法は無いか?商品を売らなくても、知識自体が収入になればいいのに、を考えるようになり、ブログアフィリエイトを知った。

厄年だった事もあったと思う


▼36歳~今(卸会社のweb担当)

体調はどんどん崩れ、「元気で明るい営業さん」の姿はなくなっていった。

独学でブログの勉強をしていたため、結果が出るまでに時間がかかったし、結果が出ても生活ができる程にはなれなかった。でも、ブログからデザインに興味を持つようになり、web制作も出来るようになり、外回りではなくweb系の仕事がしたい!と思うようになった。

「初心者歓迎」のweb担当に応募。面接で離島での農業に興味を持たれ、「好奇心旺盛さ」が決め手となり、今の会社に正社員で転職できた。

田舎の小さな会社。良く言えば歴史ある会社。悪く言えば昭和時代から何も変わっていない会社。Excelは2003のままだし、パソコンが苦手な人も多く、今どき手書き当たり前の会社。

そんな中、唯一プログラマー並のIT知識がある上司とデザイン知識のある私だけが「パソコンに詳しい人」のポジションをとれている。
2人でテレワークのシステムも構築させ、おかげで、めまいで会社までたどり着けなかった日はテレワークもさせてもらえるようになった。

必要とされる会社は居心地がいいものである


仕事は楽しいが、もっと楽しそうなことを見つけたのだと思う。コーチングやデザイン制作、自分の作品(漫画や書籍、デザイングッズなど)を販売したりしながら、好きな時間に働き、好きな時間に休み、子供たちとの時間も増え、自分の時間も増え、週末に県外に行ったり、あちこち飛び回る人生楽しそうだと思ったのだと思う。

そして、実際に周りの人がそんな生活を始め、「私もやりたい!」気持ちが強くなった。でも、変わっていない現実。変えられない現実。「子供達を守るため、生活するには、安定したお金がいる」という旦那の言葉。

「好きにしたいのに、できない自分」が耐えられずに、めまいを起こしているような気がしている。何年か前と同じ状況。

自分の気持ちもわかるが、旦那の気持ちもよくわかる。旦那も元々好き勝手やりたいタイプだけれど、大人になってしまった。昔のように突然車を売って、下見もせずに島に飛び出す人ではなくなってしまった。お金が手元にあって、子供たちを育てられる程の余裕が出来たら好きにしたいと言っている。とても頭の賢い人だと思う。そして、それを私にも強いられる。

だから、「安定の正社員」「挑戦の複業」が成立すれば、私の心の平和は守られると思い、「会社員+複業」を極めたいと思ったのだと思う。

でも、私の体は悲鳴を上げている。

遊びたいけど家庭内平和も守りたい


旦那さんに反対されながら独立するのは辛い

つまり、
複業で「これからも生きていける確信」が持てれば、正社員を辞められる…ような気がしている。

というより、「旦那さんに応援されながら独立したい」んだろうな。

私の中では、もう「正社員+複業」はできないと気付いていて、でもそれを旦那さんに応援される自信が無くて、「辞めて複業頑張るわー!」と言いきれない自分がいる。

収入減ったら、その分俺に負担がかかる。
今より生活水準を下げるのは嫌だ。
俺は我慢して正社員続けてるのに。
投資である程度貯まるまでは我慢。

と心の声が聞こえてきそうだ..


つまり、今よりも収入が上がって安定(月額、または年収の安定)もする確信が持てれば、きっと旦那さんも応援してくれるのだと思う。


冒頭に書いた「会社員+複業」ができれば1番いいと思っていたのは、自分の気持ちを守りつつ、旦那の意見も取り込んだハイスペックな答えだったのだと思う。


今は、ただただ不安である。


旦那は「収入が今よりも減ることへの不安」があり、私は稼げるか稼げないかに対する不安ではなく、「旦那に応援されないこと」が不安なのだと気付いた。


それがなかったら、とっとと辞めてると思う。
「稼げなかったら生活どうしよう」よりも、「稼げなかったら家庭内平和が壊れる不安」が大きい。

でもそれは、旦那さんが稼いでくれているから「収入に対する不安が強くないという安定」の上だからこそ生まれる悩みだとも思う。

うーむ、
あまりスッキリとした答えが出なかったが記念に公開して置いておこうと思う。












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