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保育園の廊下で寝転がる息子を見て、怒られないようにビクビク生きるより、やりたいようにやって怒られた方がいっか!と思えた話。

私は、怒られるのが苦手だ。

めちゃくちゃ苦手だ。


だって怖いし、申し訳ないし、1度怒られたら信頼なくすし、1人ぼっちになるし、言うこと聞いてなかったら誰も助けてくれないかもしれないし...。


そう思って生きてきた。

36年間、そんな風に思って生きてきた。


だから、真面目でいい子ちゃんだったし、ありとあらゆる人に怒られないように怒られないように、先回りして動いて生きてきた。



しょーーもなっ!

そう思う日ももちろんあったが、反発した後にはとても大きな後悔に襲われた。

「やっぱり言うこと聞いてた方が良かったな..」と。



そんな私が、保育園で自由に動き回る息子を見て、怒られても怒られても言うことを聞かず、自分のやりたいようにやる息子や子供達を見て、「怒られてもいっか!」と思えるようになった。


もしも怒られたら「やっべー!価値観違ったかぁー!」って思いながら、「すみません(価値観合わなくて)!!」って言えばいっか!って。



よくよく考えてみると、私が「怒られる!」って思うことって、相手と自分の価値観が違うときなんだなーってことにも気がついた。


時間を守ろうとか、家事は毎日きちんとしましょうとか、子供のお世話はしっかりしましょうとか、しつけの良い子に育てましょうとか、廊下で寝転がってはいけないとか、、


別に良くね?

って、そう思えるようになってきた。


多少時間すぎても死ぬわけじゃないし、1日家事しなくても死ぬわけじゃないし、子供のお世話は赤ちゃんの時に十分したし、しつけの良い子には関わる大人全員で育てたらいいと思うし、廊下で寝転がることで神経研ぎ澄まされて新たな感覚が刺激されるかもしれないし。



床に大の字になって寝転がってる息子を見て、「床に寝転がったら気持ちいいよなー。あ!やばい!園長先生来たから立って!!」って言ってた自分に拍手を送りたい。


そう、バレなきゃいいのだ。笑

したいようにすればいいのだ。

そして、もし怒られたら、一緒に謝ればいい。
「(価値観合わなくて)すみません!」って。


それでいいんだ..って思えた。



今までは、子供がちゃんとしてないと周りのお母さんや先生から冷たい目で見られると思ってたし、しつけがなってないのは親の責任だと思われると本気で思ってた。先生に怒られる親なんてありえないと思ってたし、先生に呆れられることで子供や他に害がいくかもしれない..だから、ちゃんとしなきゃちゃんとしなきゃって。

それで、息子にも「ちゃんとしなさい!(じゃなきゃママが怒られてしまうやないの!)」と言っていたような気がする。



寝転がる息子を見て、私と同じように微笑むお母さんもいたし、それを認めて笑ってる私を見て声出して笑ってくれるお母さんもいた。その方達はきっと私と同じ感覚の人。そんな人達の中で生きていれば、何も自分や息子を抑え込む必要は無いのだと思った。


そして、先生に怒られたら「すみません。やりたそうだったのでやらせてました」って言えばいいなーーって。それで呆れられても別にいっか!って。

そう思う。



息子に限らず、私もやりたいことはやりたいようにやってみたいと思う。

怒られないように動くのではなく、好きなように動いてもし怒られたら謝る人生システムにしていきたい。




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