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愛と、愛に見えるもの。
『愛』、とは、そう簡単に語れるものではない代物のようでいて、しかし元来とてつもなくシンプルなものを、人間がただこじらせているだけのもの、のようにも思える。
交流する中で『愛』を感じたことのない誰かから、面と向かって『愛』を語られたとしよう。斜に構えた私ならきっと、「あんたが偉そうに愛を語るんじゃないよ」と思うのだが、よくよく考えてみれば、果たしてその誰かと私の中にある『愛』が完全一致しているはずもなく、「一体何を語り合っているのだろう」という払拭できないもやもやとした、輪郭の掴めない何かに包まれて、喉にひっかかった魚の骨みたいに時折、痛いと叫ぶほどでもないのに存在感のある確かな痛みを思い出しては、『愛』の一文字を虚空に転がして眺めている。
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『愛』なんて語れそうにないし、語る氣もない。
でも、『愛に見えるもの』なら、たくさん知っている氣がする。
宇宙的視座から「すべては愛だ」なんて言うのは簡単で、それは至極、至極、簡単に言えば人間レベルでは「捉え方次第」のような側面もあるわけだが、人の世に蔓延る諸問題の根源である ”人間関係” にフォーカスするならば、誰かに『愛を向けている』のか『愛に見えるものを向けている』のか、あるいは誰かから『愛を贈られている』のか、『愛に見える何かをくらっている』のかでは、何やら雲泥の差を感じるわけである。
当人の意識、無意識に関わらず、言動、行い、その他諸々、己から発せられるものすべて、『愛』であると誰に言えたものだろうか。私にしろ、誰かにしろ。『愛』なんて語れそうにないけれども、『愛に見えるもの』ならば、きっと誰もが語れそうな氣がする。
氣遣いの裏に隠れた腹黒さや、余裕を取り繕った顔の裏にある焦燥。優しい笑顔の下の傲慢や、柔和な物腰の陰にある冷酷。『愛に見えるもの』を並べてみてわかるのは、ただ、「美しくない」ということだけだ。少なくとも私はそこに、美しさを見出せない。
こうした数ある『愛に見えるもの』に人はいつも翻弄され、揺さぶられ、氣づき、学んでいくのだろう。いかにも人間らしいことだ。『愛に見えるもの』を知り、『愛に見えるもの』を見極める目を養い、遠回りしながらようやく、『愛』へと導かれる。
人は、いつもそうだ。
遠回りしなければ、わからない。
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たくさんの『愛に見えるもの』に、きっと疲れたのだろうと思う。『愛』のフリをした人や、想い。すべての偽物に。『愛に見えるもの』を知っていればこそ、冷静でさえいられれば、逆説的にであれど『愛』に氣づけるのに、それすらできないほどに、疲れていたのだろう。
教えてあげたかったよ。『愛』と『愛に見えるもの』が、この世界にはあるんだと。純粋なその目にはわからなかったのかもしれない。『愛に見えるもの』のほうが人間社会では存在感があって、それはさながらカメレオンのように、『愛』に化けるのが上手いことを、教えてあげられたらよかった。純粋であればあるほど、素直で真面目であればあるほど、『愛に見えるもの』に蝕まれていくのだと教えてあげられたら、どれだけよかったことか。
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今、どこにいるのかわからないけれど、きっと君はどこかで迷子になっていて、膝を抱えてじっとしているんだと思う。『愛に見えるもの』に蝕まれてしまった魂は傷ついて、癒えるのに時間がかかるから、きっと君はそこを、しばらく動けない。
『愛に見えるもの』なんて、なくなればいい。君がいなくなってから、さらに深く、そう思うようになった。『愛に見えるもの』から『愛』を学ぶなんてそんなプロセスは、さっさとこの世界から消え去ってしまって、永久に葬られてしまえばいいと。
そんなことを願って止まない日々を、しばらく送っていたの。君のように、傷つく人がこれ以上、増えないように。君を喪ってしまった私たちのように、悲しむ人がこれ以上、増えないように。祈るしかないって、わかっていたって他に何かできたんじゃないかって、氣づくと考えてしまうから、『愛に見えるもの』なんて…と、こんなところでぶちまけている。
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『愛』なんて語れそうにないし、語る氣もないんだけど。
でも、『愛に見えるもの』ならたくさん知っていて、なくなればいいと思っている。だから、私の知っている『愛』をとにかく与えるしかないんだ。共感してくれる誰かと、世界を51%以上の『愛』で埋め尽くすしかない。ねえ。なんでこんなこと、人間は氣づかないんだろう。膝を抱えた君に見えているとしたら、君は今、どう思っているんだろう。
くだらないよね。トップニュースのほとんどが。
馬鹿げてる。いつも誰かが誰かの足を引っ張っていて。
もったいないの。『愛に見えるもの』にフォーカスする時間が。
そんな暇はない。人間の時間は有限だから。
だから。
『愛に見えるもの』なんて、要らない。
本当に、心の底から、要らない。
『愛に見えるもの』に氣づいてほしい。
そして、あなた自身から遠ざけてほしい。
あなたの愛する人から、遠ざけてほしい。
そして『愛』で守ってほしい。
『愛』だけを贈ってほしい。
何のために生まれて来たのか。
『愛に見えるもの』のために、右往左往するためじゃない。
『愛』を贈るために生まれて来たんだ。
『愛』なんて語れない。きっとわかってなんていないんだ。
けれど、『愛に見えるもの』を相手にしてる暇なんてないんだって。
一秒でも早く、氣づいてほしい。
地球も、宇宙も、待ってはくれないのだから。
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