すぐそこに、音楽が溢れている | 蜜蜂と遠雷| 読書感想文
心動かされる一冊に出会った。この魅力をなんとか言語化できないか。ということで、本日は書いて参ります。
ギフトか、災厄か
この本を読み始めて、課題として突きつけられるのがこの一言。
3年に一度開催される芳ヶ江国際ピアノコンクールで、昨年亡くなった有名なピアニストの教え子をはじめとする4人が主人公。
この少年、そしてコンテスタントを巡ったそれぞれの人生ドラマが、2段組みの500ページというボリュームに渡って描かれていた。お腹一杯の読み応え。
描写の美しさ、言葉から感じ取る音楽
最初のページに代表されるように、この小説では"音"の描写がなんともリアルで美しい。言葉を通して美しいリズムを感じるほどだ。
長期に渡るコンクールで演奏される様々な音、曲一つ一つの様子が、知らない曲でも手に取るように伝わってくる。言葉と音楽の気持ちよさが最大限にいかされているのだ。
舞台はコンクールだけど
舞台はコンクール。となると、ぎすぎすした勝負が繰り広げられるのではないか?と少し心配していた。しかし、この本は「コンクールという勝負事の物語」という感じが全くしない。
もちろん、コンテスタントの緊張や会場の熱気はあるのだけれど、主人公は皆、決して”勝負をするため”にコンクールに来ているようではない。コンクールは目的ではなく手段のひとつにすぎないのだ。
幼い頃の突然の失踪から7年ぶりにコンクールに現れた栄伝亜夜。彼女がコンクールを通して自分にとっての音楽を模索する様子がいかにも苦しく、美しく描かれている。
私にとって、音楽とは?
亜夜は昔、「ピアノはきらきらとした何かが詰まっているおもちゃ箱」だと思っていた、今すぐ駆け寄って、その音を取り出したくなるような。
でも、それは少し違ったのだ。
亜夜は本選の演奏前になって気づく。
音楽は、ピアノの中にあるんじゃなくて、私の中にあるんだ。と。
マサルは言う。
音楽は、世界に常に溢れていて、自分はそれを媒介して外に戻すだけだ。自然に還元するだけだ。と。
4人のコンテスタントの人生を追う中で、それぞれが繋がり、影響しあい、”天才”に磨きがかかっていく様子が伺える。
コンクールの際に他人の演奏を聴き、楽しむことができる4人の精神力も才能の一つだと思うが、皆の感受性の深さには目を見張るものがある。
マーくんとアーちゃん
最初のほうは、主人公の概要をつかむのに精いっぱい。やっと覚えてきたかな~くらいで、繋がっちゃうのです。
幼いころ近所に暮らしていたマサルとアーちゃんの再会は本当に感動的だった。
運命の巡りあわせでもあり、きっと音楽における魂の色が、お互いに美しいいと感じるものだったのだろな...と思う。
マーくんの王子様感は全女子を虜にすることでしょう。正統派王子様だった。。。
”芸術”というものは、一瞬の出来事
この物語でも取り上げられた音楽、生け花、また小説や絵画といったものも同じだと思う。
鳥肌が立った。だから私は楽しい時は写真を撮りたくなるし、こうして感動を文章にしたくなるのだと思う。
音楽を作った人も、きっとこの一瞬を永遠にしたくて、曲を作ったのだと。
気づけば、自粛期間を経てから、いい意味でも悪い意味でも周りの環境に敏感になるようになった。
公園を散歩しているときに聞く草の音、におい。電車の音。雨の音。雷の音。セミの音。
無機物だと思っていた世界には、意外と音楽が流れている。
ただ、機械音などによって音楽とは言えない、生命の気配を感じない音が多い世の中だからこそ気づけないこともあるのだが。
そんな風に思った。
音楽の神様に愛されているのは、誰?
映画版も鑑賞したのだけれど、この一言も物語のテーマだと言ってもよい。
正直なところ、ページを捲る動機はコンクールの結果がどうなるか。ということより主人公がみるみる変わっていく様子がスリルでたまらなかったからだ。
人の心を動かすのはその人の人生に原因があり、感じる人の人生にも依るのだと思う。だからこそ、芸術は自由であるものなのだ。自分の世界を自由に広げる手段なのだ。
映画と本
読み終わった余韻に浸りたいという気持ちと、曲と一緒に物語を追うことへの興味で、映画も鑑賞。
2時間という尺に収めることや映像化することによる数えきれない苦労の上で、あそこまでの完成度はすごいと思う。
ただ、4人を取り巻く周りの人物がバッサリいかれていたのはちょっと惜しかった。
特に、亜夜をピアニストの世界に戻すきっかけを作り、支え続けた奏のこと。
コンクールで、4人のコンテスタントが影響し合ったように、周りの人間も、影響し合って成長していく。生きていく。そんな普遍的なことを、音楽の世界を用いて切り取った物語だった。
続編の「祝祭と予感」もたのしみ。
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