見出し画像

株式会社汎企画 代表取締役 香月達行と申します。

2005年 株式会社汎企画の代表取締役に就任しました。

15年も昔の話、自分も33歳位、写真は銀塩カメラによるもの、自分も若い。

現在創業46年目の汎企画、自分は経営者ではあるものの、起業家ではない。

2代目の社長、よく聞かれるのが「お父様からの引継ぎですか?」

実の父は佐賀で商売をやっていた(現在はリタイア)のでありえない。

 創業者の野沢正幸さんはちょっとお仕事したことあるだけで親族でもないし、僕は汎企画に勤めていたわけでもない。

 当時、自分は会社を辞め個人事業で独立しながら映像の仕事をしつつ、世界的な映画監督「若松孝二」氏に師事し若松プロダクションに出入し監督の元でいろんな事を勉強させていただいた頃。

若松監督があまり映画を撮れない時代で癌の手術されたり、いろんな葛藤をされていた頃。物凄い執念でリハビリされ、演出家として復帰できるよう努力され、そこからようやく「17歳の風景 少年は何を見たのか」の制作が決まり、自分もやっと作品に入る予定であったその頃 株式会社汎企画を引き継がないかという話がたちあがる。そこで何を思ったが、お世話になった若松プロダクションと若松監督に不義理をしてこの会社を引き継いだ。(なので今だに若松監督を師匠と公言することを憚っている)

この引継ぎには当時、野沢氏香月両方の身内から反対意見がでた。野沢サイドは歴史ある汎企画をどこのものかわからない若造に譲る気かと
僕の身内も「赤字だらけでリスクある会社を引き継がなくても起業すればよいのでは」という意見が

今だからいうが、汎企画の決算書は真っ赤でしかも既存のレギュラー仕事を先代はスパっと切った。(先代は自分が引退したまま形骸化した仕事を老害とみなし腹を切った)つまり僕らは会社を引き継ぐメリットはほぼなしで会社をスタート

今考えるとこの会社引継ぎは「どんな無理ゲー?」

 なぜ、めちゃくちゃ不利な会社経営を引き受けたか?それは野沢正幸の人間力、それだけである。結果を出していないからビジネスマンとしての成功者ではない。若松監督みたいな有名人ではない、野沢は欧州映画などを買い付け番販(テレビ局に放送権利を売る)していた。つまり汎企画1.0(初期)の仕事は映画の売買。

画像1

 野沢がどんな御仁から今回は割愛しますが、昔、日本映画界にあった五社協定(映画会社同士の専属監督・俳優の引き抜きの禁止にかんする取り決め)がおかしいと会社員の身で反旗を翻したり自身の信じた道を突き進み、くだらない常識や権威と戦う、まあめんどくさい人(笑)

 現在は佐渡島で悠々自適な人生を送られています。新潟放送を立ち上げたのにテレビはくだらない、バカだとテレビ関係者に直接噛みつき、85歳の老人なのに地上波はほぼ見ないでYOUTUBEで保守系のネット番組やお寺の読経の音声を聴いているそうです。

話は戻り2005年 汎企画は目白から調布駅前の間橋ビル2階に移転(今もある東口間橋たばこ店2階)狭い狭い2Kのアパートからのスタート、写真は事務所開きの時

先代はびしっとスーツで祝いに来てくれた。商売に関しては1年もつのか?というヤバさしかなかったけど、将来の可能性は無限大。スタートアップのすばらしさはこの写真から伝わってくるかな?

NOTE初投稿ですが、僕からみた経営や映像・映画について綴る予定です。よかったらフォローいただければ、やる気がでて(きっと)長続きします。よろしくお願いします。

画像2

株式会社汎企画 代表取締役  香月達行(48歳)

この記事が気に入ったら、サポートをしてみませんか?
気軽にクリエイターの支援と、記事のオススメができます!
9
株式会社汎企画 代表取締役  自分が2歳の時に創業した会社を引き継ぎました。 主なスキルは映像屋です。 会社経営の傍らJ SPORTS「MOTOR GAMES」のプロデューサーを務めたり 「汎、芸能部」というアーチスト・マネージメントオフィスを立ち上げています。
コメントを投稿するには、 ログイン または 会員登録 をする必要があります。