見出し画像

博物館をめぐる旅 6days (その4 旅2日目)

その1〜3はこちらから。

旅2日目の朝を迎え、7時40分にはホテルをチェックアウト。
そのままヒスイ海岸に向かう。

ヒスイ海岸(糸魚川海岸)

翡翠を拾えるという浜辺は、糸魚川市近辺にいくつかある。
今回向かったのは、糸魚川駅から徒歩20分ほどの糸魚川海岸(通称:ヒスイ海岸)だ。

本当は、もっと西の方にある親不知海岸や青海海岸のほうが条件が良いらしいのだが、今回はそこまで行く時間が無かったので、近場で済ませることにした。

スケジュールとしては、糸魚川駅のアルプス口を9時30分に出発するバスに乗って糸魚川フォッサマグナミュージアムに向かうので、僕が海岸で過ごせるタイムリミットは9時まで。海岸で過ごせる時間は約1時間である。

糸魚川海岸の前に着くと、バイパスが通っていて、信号も無い。
バイパスを渡らないことには海岸に出れないのだが、どうやって渡るんだこれ、と思っていたら、随所に地下道が用意されていた。
(地下道の入口はこんな感じ↓)

画像1

地下道は、地元の小学生が描いたのだろうか、一面にかわいらしい絵が描かれている。

画像2

地下道を出ると、そこはもう糸魚川海岸。

画像3

浜辺の様子はこんな感じ。

画像4

波の力で、波打ち際が畝のようにうず高くなっている。

この浜辺は砂浜ではなく、ほぼすべて玉砂利のような小さな石で埋め尽くされている。
この砂利のどこかに翡翠が紛れ込んでいるのだろうが、なかなか果てしない話だ。

昔はそれでもけっこう拾えたようなのだが、近年は糸魚川の上流から流れてくる翡翠の量自体が減っているのか、なかなか見つからないようだ。
予習のために訪れた翡翠原石館(その2参照)の方に話を聞いたところ、その方は3日間探して小さな原石を1つ見つけられただけだったそうだ。

そもそもこの浜辺自体の侵食も進んでいて、浜辺が非常に小さくなってきているらしい。つまりは、新しく小石が打ち上げられるよりも、波に持っていかれる小石のほうが多い、ということだ。
どう考えても、翡翠探しにとっては悪条件である。

しかも、糸魚川海岸を始め、翡翠を拾える海岸についてはみな、翡翠ハンターたちがこまめに拾いに来るらしく、翡翠を拾うには朝早く訪れて、夜のうちに新たに打ち上げられたものを中心に探すしかないらしい。
ということは、この畝の向こう側に、足元を波で洗われる覚悟で行かないと探し出すのが難しいということだ。
とはいえ、靴を濡らすわけにもいかず、かといって寒空の下で素足になる根性も僕には無かった。

というわけで、畝の最上部あたりから波打ち際を見て歩くのだが、たまに勢い余った波が畝を越えて足元を襲う。波から逃げながら探すのは、なかなかしんどいものだ。実際、一度波をかぶってしまった。
やっぱり長靴を持ってくれば良かったなぁ。(日本野鳥の会謹製の折り畳める長靴を持参するか、荷造りの際に最後の最後まで迷った挙げ句、置いてきてしまった。)

結局、できるだけそれっぽい石を拾い集めたものの、持ち帰った後によく見てみると、どう見ても翡翠には見えないものばかり。

画像5

やっぱり、たかだか1時間ではどうしようもないなぁと、思い知らされて終わった。

糸魚川フォッサマグナミュージアム

9時30分に糸魚川駅のアルプス口前を出発するバスに乗るために、バス乗り場に到着したのは9時27分だった。

バス(といってもハイエースのようなワゴン車タイプだが)の乗客は僕一人。これならきっと博物館内も空いてるに違いない。(というのが誤りであることが、後に分かる。)

正味10分程度の乗車の後、フォッサマグナミュージアムに到着。

画像6

このあと2時間20分程度の時間で館内を見て、再びバスに乗り込んで糸魚川駅へ向かわなければならない。(そのバスを逃すと、次はさらに1時間20分後である。)

この博物館の印象としては、とにかく石だらけ、ということ。
入館して、ロビーの時点ですでに石だらけ。
なんといっても、水飲み場の踏み台が結晶片岩である。

画像9

展示室へのアプローチの通路にも、石、石、石。

画像7

画像8

無造作に皿に盛られた翡翠が、この博物館の気合を示している。こんなの他では見たことない。

この展示を見た時点で、自分が海岸で拾った石が翡翠じゃないことは明白で、翡翠に似ていると評判のキツネ石ですらなく、石英だのネフライトだの緑色岩だのといった凡庸な石である可能性が高いことに気付かされた。涙。

最初の展示室は、糸魚川で一般の方が採集された翡翠の原石の大量展示。

画像10

次の展示室も翡翠の話から始まるが、今度はもっとお勉強感が出てくる。

画像11

この展示室を見ている頃から、どんどん小中学生がクラス単位で押し寄せて来るようになった。
なかなかの騒がしさだが、やむを得まい。

さらに展示は、翡翠の話題から徐々に鉱物や岩石全般の話へと移っていく。

画像12

翡翠という、多くの人が興味を持ちやすいキャッチーな話題から、自然な流れで岩石全般の地味な話へ移行させる展示設計もさることながら、パネルの一つ一つがものすごくキレイだし、分かりやすくて感動すら覚える。
人口4万人強の市の市営施設なのに、ヘタな県立博物館よりも全般的にハイクオリティで、本当にすごい。

もちろん、「フォッサマグナ」ミュージアムであるから、フォッサマグナに関する展示や解説も豊富だ。

画像15

このようなパネル類も分かりやすくて理解が捗るのだが、別途用意されていた動画が非常に視覚的で理解しやすかった。
その動画のおかげで、いままでフォッサマグナ関連書籍を読んでもうまく腹落ちしなかった部分が見事に氷解した。

さらに、フォッサマグナの発見者であるナウマン博士のコーナーも。

画像13

ナウマンは明治時代の初頭に来日したお雇い外国人の1人で、主に日本の鉱脈について調査する目的で招聘された。
ナウマンはもちろんその目的に沿うような調査も行ったのだろうけれど、それ以上に、日本全国を回って地質図を作り上げたり、その過程でフォッサマグナを発見したりという功績の方が学術的には大きい。
他にも、日本では昔から竜の骨だと言われていた化石をゾウの化石であると看破し、論文に仕立ててヨーロッパに紹介した。そのゾウこそ、ナウマンの名前をとって現在「ナウマンゾウ」と呼ばれている古代のゾウである。

ナウマンの1人目の妻・ゾフィーの洗礼コップも。

画像14

なお、このコップも含め、ナウマンの事跡については『地質学者ナウマン伝 フォッサマグナに挑んだお雇い外国人』に詳しい。

他にも、お好きな人にはたまらないウィーヘルト式地震計や、

画像16

化石コーナーも。

画像17

この手の展示の人気者・異常巻きアンモナイトも間近で見られる。

画像18

そして、〆は大量の鉱物標本。

画像19

ひたすら大量の鉱物標本が並べられていて、いったい何百種類あるのかも分からない。

ここまでで所要時間2時間。ヘトヘトである。

ミュージアムショップでナウマン博士の肖像がプリントされたオリジナルTシャツを購入して博物館を後にした。

画像20

糸魚川から富山へ

フォッサマグナミュージアムを後にして、今度は富山県の立山博物館に向かう。

糸魚川から富山までは、この旅唯一の新幹線乗車。「はくたか」の神々しい姿。

画像21

普通列車だと1時間20分ほどの行程が、新幹線ならたったの30分。このチートが無ければ、立山博物館を訪ねることは叶わなかった。

途中、車窓からは、薄っすらと雪化粧をした北アルプスの山々が見えたが、残念ながら稜線にだけ雲がかかってしまっていた。

画像22

山の同定にはそこそこ自信があったが、こうなると全然分からん...

13:16、定刻通り富山駅到着。
ここで富山地方鉄道に乗り換えるのだが、ここで微妙に時間があくので、売店で名物ます寿司を買って慌ただしく昼食とする。ます寿司最高!(最高すぎて、写真を撮る前に食い終わってしまった。)

ます寿司を食べ終わった頃に、これから乗る立山線の列車が入線。

画像23

謎の2階建て仕様にテンションが上り、2階座席に着席。

画像24

この列車で、終点の3つ手前の千垣駅まで向かう。

千垣駅からは町営バス(といっても、糸魚川と同じでワゴン車仕様だが)で立山博物館に向かう。

立山博物館

町営バスは、雄山神社前というバス停で降りる。
名前の通り、目の前には雄山神社。

画像26

この神社の隣が、立山博物館の展示館だ。

画像26

立山博物館は、この展示館だけを指すのではなく、この付近13ヘクタールの敷地に点在する11の施設で構成されている、集合体としての博物館なのだ。
扱っている分野は、富山(特に立山)の動植物や地質、地形の成り立ち、歴史や文化など。特に立山信仰や、その中枢をなす立山曼荼羅の展示は、他ではなかなか見られない重厚さだ。(歴史や文化のフロアは撮影禁止。無念。)

動植物についての展示は非常にサラッとしているが、地質・地形に関する展示は、かなり気合が入っている。

特に、断層の剥ぎ取り標本などは大迫力だ。

画像27

こんな明瞭な断層、プレートの圧力の凄さをひしひしと感じる。

歴史と文化のフロアでは、かつての領主に関する展示と立山信仰に関する展示が主だ。(写真撮影は禁止)

僕はかつて立山三山を縦走した際に、室堂や美女平などで立山信仰関連の展示を見て興味を持ち、その後何冊か本も読んだのだが、立山曼荼羅の実物はまだ見たことが無かった。
ここではそれの実物を見ることができる。しかも何種類も。
バージョン違いで、天狗が描かれていたりいなかったり、鬼の配置が違ったり、細かい差異があるのもまた興味深い。
ただ、どうも学生さんの博物館実習か何かなのか、曼荼羅の前で10人以上の若い女性が陣取って熱心に学芸員さんらしき人の解説を聞いていて、オッサンの身では近づきにくく、肝心の曼荼羅を見る時間を十分に確保できなかった。無念。
オッサンなどに生まれてくるものではないなぁ。(生まれつきオッサンなわけではないけれど。)

他にも、剱岳山頂で発見された銅錫杖や鉄剣の実物が展示されていたりして、それだけでテンションが上がり、剱岳に登りたくなる。

次に特別企画展フロアへ移動する。

この時の特別企画展は、「戦国武将と立山」。

画像28

残念ながらここも撮影NG。

「戦国」と銘打っているいるものの、丁寧に南北朝時代から展示・解説され、かつ、戦国が終わった後の前田家による統治まで追っている。

濃い展示内容にヘトヘトになって展示館を出たのが16時前。そこから、山岳集古未来館へ移動。これも立山博物館の構成施設の1つだ。登山好きとしては見逃してはなるまい。

画像29

展示内容は、立山や剱岳ゆかりの登山家たちに関する展示が中心。
小さな博物館なので、15分ほどで見終わってしまった。

ここで、究極の選択に直面する。

16:25のバスに乗ってさっさと帰ってしまうか、その次のバスまで粘るか。
ちなみに「その次のバス」というのは、17:38である。17:00で施設が閉まってしまう中、ほぼそれと同時刻に日没も迎え、博物館と神社以外ほとんど何もない場所で待ちぼうけとなるのを覚悟でさらに別の施設を見学しに行くのか。それともここまでで良しとするのか。

3分迷った結果、日和って16:25のバスに乗ることにした。
もうクタクタなのである。

千垣から金沢へ

列車は、夕日を浴びながら定刻通り入線。

画像30

車窓からは、日没の太陽が眩しい。

画像31

暗くなっていく風景を見ながら、次のバスにしなくて良かったと心から思った。

富山駅で、あいの風とやま鉄道に乗換えて金沢へ。
帰宅ラッシュの時間なのか、めちゃくちゃ混んでいて金沢まで座れず。

金沢駅に着いて駅を出ると、謎の巨大構造物があった。

画像32

鼓門という名前らしいが、よく分からない。

ホテルにチェックインを済ませた後、お目当ての金沢地ビールであるオリエンタルブルワリーの直営店に行ってビールを飲んで、この日の全行程を終了した。

その5へつづく。)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?