見出し画像

公務員新卒3か月でむかえた先輩の退職~公務員を辞めるときの雰囲気~

「実は私、今月末で辞めるんです。」
新卒として入局してわずか2か月が経った6月、教育係である先輩のその言葉に耳を疑いました。誰にも聞かれないよう誰一人いない最上階に連れられていた私。その日の曇り空や照明の薄暗さに混ざっていくように、心はもやもやとしていきました。

近いうちに辞めてやろうという後ろ向きな思いで新社会人となった私。内定後に組織へ違和感を抱いてしまい、その思いは、残りの大学生活3か月で急いで民間就活を始めて他の内定先を確保するほどでした。結局、親の反対を振り切れず諦めたのですが、いわゆる内定ブルーといったちっぽけな思いではありませんでした。

そんな中で、私の希望になってくれたのが先輩でした。部署で私の次に若い6つ上の女性で、偶然同じ大学の出身。いつも気遣ってくださって、先回りして問題を解決してくださって、雑談をしてくださって、たまにお菓子をくださって。人見知りでは片づけられないほど組織への不信感でひきつった笑顔しか見せられない私の心を、すぐにほぐしてくれました。気づけば、隣に座る先輩の方に身体を向けていることや、自分からも話しかけることが多くなっていました。

先輩がいるから今週もまあ頑張るかあ。そんな気持ちで日々を乗り越え、1日でも1か月でも辞めてやるという思いだったのに、あっという間に2か月が過ぎていました。この組織に骨をうずめたいとは思わなかったけど、先輩の存在が私にとってはあたたかい光で、憧れの人になっていました。これからどこでどう働こうと、先輩のようになりたい、そう思うようになりました。

そんな時に聞いた先輩の退職。人事異動の1か月前でした。順調にいけば、次は異動の予定であった先輩。同じ部署で毎日一緒に働けないけれど、同じ組織で同じ建物のどこかで働いている。そう自分に言い聞かせて、人事異動後もどうにか頑張ろうと思っていました。しかし、実現することはそもそもなかったのです。

先輩の辞める理由は、責任感、スピード感の求められる業務や長時間残業による精神的・体力的負担と、私生活との両立がままならないことでした。数年前に、体調やメンタルを崩して長期間休職していた時期もあったそうです。確かに、先輩のデスクには毎日モンスターが置いてありました。それを私は、「だめですよ先輩ー」「寝てくださいー」と心配する気持ちを隠して、冗談交じりに諭していました。それに対して「大丈夫。大丈夫」とやんわりと笑う先輩。そんな毎日をふと思い出して、「確かにモンスターいつも飲んでましたもんね」とつぶやいた私。退職の話を聞いたこの日ばかりは、「モンスターで済んだらよかったんだけどね」と返ってきたことに、胸が締めつけられ、本当の先輩に触れた気がしました。

それから3週間後の会期末。とうとう先輩が、部署のみなさんに退職を打ち明ける日が来ました。この日まで、管理職から他の人に内緒にするように言われた私は、一人で色んな感情を時間をかけて整理しました。先輩がいなくなる寂しさ。理由は違えど私と同じ退職の思いをもつ仲間を見つけられた安心感。ここまでお疲れ様です、解放されてよかったねという労いの思い。当の先輩はもっと複雑な感情だったはずです。みなさんで会期末後の話をしているとき、嘘をついているような後ろめたさで、どれだけ苦しかったことでしょう。

午後の業務中、管理職から、作業を止めて部屋の中央に集まるよう指示。その瞬間、とうとうか、とこれからの気まずい空気に立ち向かう準備をするように大きく息を吸いました。

先輩は、退職の理由を不満げに言うのではなく、言葉を選んで、丁寧に丁寧に報告していきました。突然の発表にみなさんは動揺しつつもまっすぐ先輩を見ていて、事情を知っている管理職はうつむき、私はこれまでこらえてきた涙がすぐに溢れてしまいました。

「恩を仇で返すようなことをしてしまい申し訳なく思っております。」そんな先輩の言葉に、思わず「そんなことないよ」という思いで首を振りそうになった私。入社して間もない私に向けられた言葉ではないとすぐに自分の感情をおさえ、ふと周りを確認しました。誰一人首を振っていなかったのです。それを見たら、息を吸うたびにどんどん胸が痛くなって、想像以上に冷たく重い空気に包まれていることを実感しました。

その後、講評や労いもなく「以上です。」という管理職の言葉で解散しました。急な報告に気持ちの整理ができていないだけで、それぞれのタイミングで先輩に話かけるのではないか。私はそういう結論に至り、何とか動揺した自分の心を落ち着かせ、業務に戻りました。

しかし、会期末となって全員が定時に退勤できるようになったこの日、先輩に個人的に話しかける人はいませんでした。私は少し残業をしていましたが、誰も先輩のデスクに足を運ぶことなく退勤しました。

もともと雑談などほとんどない組織全体に対して、私の部署は和気あいあいとしているため、他部署の人からも一番人気があると聞いていました。そんな部署でも辞めるときは、気働きで優秀な先輩のこれまでを否定されるような対応で、ビジネスライクとはこういうものなのか、と虚しい思いでいっぱいになりました。

管理署や私、同期の一人にしか報告していなかった先輩は、お世話になった方々へ、まずは廊下ですれちがった人から報告をしているようでした。部署の扉は開いているため、廊下から先輩と同僚の方のすすり泣きや涙交じりの声が聞こえ、止まった私の涙はまたこぼれてきました。広い広い組織の建物内で、全員にあいさつする時間はほとんど残されていないでしょう。

残りの限られた時間で、業務上の付き合いではなく、先輩を心から労ってくれる方に会えれば、そう願って、先輩の退職報告の日を終えました。













この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?