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やっと出会えた仕事との別れ

社会人になってから転職続きの人生を送ってました。
理由は人間関係です。今考えれば、我慢できたことばかりだと思うのですが、当時は逃げる癖ができてしまっていました。
結婚してからも子供が生まれてからも落ち着くことがありませんでした。
大切な人たちの別れ、大切な人からの裏切りを受けて、営業の仕事も辞めた後でした。何もやる気が起こらずでも働かなきゃという思いで、歩きながら家に帰る途中、一枚の求人の張り紙を見つけました。内容は商品管理。電話番号だけが書いてあり、場所がどこかわかりませんでした。貼ってあったのは、やってるかどうかわからない喫茶店の壁。ここかな?と思いつつメモだけして、家に帰りました。
そのことがきっかけで人生が仕事に対する意識が変わりました。そのときすでに37歳。頑張ろうと思えるようになれたのです。

緊張で受話器の手が震える

私は極度のあがり症で、電話が大の苦手。人と関わるのが苦手。そんな私です。たかが電話も一本もすんなりかけられるはずもなく、番号を押しては切る、最後の番号が押せないの繰り返し・・・
結局最後までかけられたのは、40分後。手が震え、声まで上ずってる感じになってしまいましたが、何とか面接の日を決めることができました。
場所を確認したら、その喫茶店の裏のマンションの二階でした。あらためて見に行ったときは、「あやしい・・」と思ってしまうくらい会社の看板が出てるわけでもなく、下のポストも名前がなく大丈夫かなあと違う不安が出てきました。

あっけなく終わった面接


その会社はネット販売をしている会社でした。会社のドアを開いた瞬間、倉庫みたいになっていてびっしりと商品が並べられていました。CD,DVD,本などが並んでいました。奥が事務所みたいになっていて、そこに案内されて促されるまま奥に行きそのドアのところで面接がはじまりました。そうです。立ったままの面接です。仕事内容などお説明。倉庫なので暑さ、寒さはどうかという質問。仕事はやってみないとわからないからこういう作業をするけど大丈夫?みたいな身体的に大丈夫か心理的に大丈夫かあとは勤務する時間を最初週3日。11時~16時までの勤務。商品登録の仕事で慣れて行ってもらえればとの話で。。。即決で決まりました。緊張していた面接もあっさり終わりました。従業員は、代表、指導してくれる人、大学生の3人。とても小さな会社でした。

いよいよ出勤 すぐ楽しくなった


初出勤で緊張していましたが指導してくれた男性の方がとても親切で優しかったので、すぐ楽しくなってきて夢中で商品登録を覚えて行き、どんどん出品作業をしていきました。他の発送作業も手伝ったりしていました。
出品作業は慣れてくると単純作業が多かったのですが、気が抜けてしまうとミスをおかすのでそこは慎重にお客様のところに行く商品。そこは考えながら仕事をしていました。

代表の際立つ怖いオーラ


そこの代表に初めてお会いしたのは、入社してから二週間後ぐらいでした。
あの頃を思い出すとよく辞めずに私が続けられてたなと思うくらい「やめてやる」と思うことが頻繁に起こりました。
代表は、最初の印象。

自分勝手
口が悪い
人をみくだしてる
金遣いが荒い
会社に毎日来ない

こんなイメージ。すごい嫌なイメージですよね。代表が入ってきただけで立って挨拶して。ピリピリした雰囲気が室内を覆うくらいの感じです。失敗すればことごとくずっと文句や見下した発言「馬鹿じゃないの?」「なんでこんことできんの?」私の指導してくれた人も散々の言われようをしていました。あとから知った話ですが、代表と従弟の関係だったみたいです。

自分が間違ったことも感情を押さえられずこっちに文句をぶつけてきて、物を投げる大きな音をたてるなど、さまざまな勝手なことを平気でする人でした。本当の姿を知るまでは・・・・・・

一緒に働いてきた人との別れ


それから、3年後。仕事も出品から受注、お客様対応(メール)、梱包、発送まで一通り全部できるようになりました。実は、週3日しか働いていなかったので、そのマンションの一階にある介護の入浴デイサービスで少し働かせてもらってたのですが、どこか一つの仕事にしたいことを指導してくれてた人に相談したんです。そしたら、ちょうど他の場所で古本屋さんをやってたのですが、そこを閉めるということになったのです。指導してくれてた人は、古本屋とそこの会社の給料でやってたのですが、ここだけだと生活が厳しいと思っていて辞めようと思ってたと。代表に一か八か相談しました。
あの代表がといっては失礼ですが・・・
真剣に考えてくれたんです。相変わらず暴言が入りましたが、いつもと明らかに違かったんです。
本当に私たちが困らない方法を真剣に考えてくれて、指導してくれた人は、ネット販売の会社をやめ、建築関係に・・・大学生は、卒業論文を無事書き終わり就職も決まり社会人へ・・・私は、週3日から週5日に変わりすべて自分一人でやることになりました。
みんなそれぞれの道に旅経つことになりました。あの時は、応援する気持ちとさみしい気持ちと混同していたような気がします。

代表と二人の会社に・・・


代表と二人になってしまった私は、プレッシャーとの戦いでした。
でも、代表は知ってか知らずか最初は、私の様子を見に毎日来ていましたが会社に来るのは毎日ではなく間が空くことも多くなりました。電話やメールなどでの連絡がメインになって、ほとんど任せてくれるようになりました。
その頃から代表に対する考えが変わってきて、代表を理解できるようになっていたのです。
ただ、身勝手に威張ってるだけの人もいるかもしれないけど代表は違うんだと。私は今まで以上に仕事に打ち込みました。
休みは日曜日とお正月休みは、元旦だけ。発送が終われば帰ると調整もさせていただいたり、働きやすい環境を与えてくれました。


代表のお兄さんの死


代表は3人兄弟で末っ子でした。「だから我がままだったんだぁ」と本人に言えるような関係になってました。いつからか私が一人になって任せてくれるようになってから、お互いそのまんまの姿を見せられるようになってたような気がします。それに気づいたのは、入社後5年後くらいです。
長男のことでいろいろ問題と抱えていてずっと振り回されてるような感じでした。親も長男には弱かったらしくいつもため息をついてるような姿を何度も見てきました。
そんな中お兄さんがガンになったと聞きました。お腹に腹水がたまっていて抜くと。またいうことを聞いてくれないお兄さんだったみたいで、病院も大阪という遠い病院での手術、入院生活。三か月入院生活をして、帰りたいとなり、自宅に帰っての自宅療養をしていました。
ある日何か食べに行きたいとなって、家族で外食して送った帰りマンションの下まで送ってそのあとなかなかなかに入らないのでまたわがままかあと思い「早く入れよ!!」と怒鳴ってしまったらしく、そのあとお兄さんの一言「今までごめんな。ありがとな・・・」と言われたそうです。「何言ってんの?今更」と暴言に近い言葉を放ってしまったそうです。
その日お兄さんは天国へと旅立ちました。
その話を代表が私に話してくれた時、途中から「それが最後になるなんて」と嗚咽を漏らしながら泣き始めました。あの恐ろしいくらい怖いと思っていた人の最初で最後の涙を見ました。もちろん私も号泣。辛さがあまりにも伝わってきて・・・・

会社の売り上げが低迷・・・・


そんな矢先だんだんと会社の売り上げが落ちていきました。ネット販売が普及してきて競争に勝てなくなってきたのです。ましてや扱ってる商品がCD,DVD,本などだったため、ネットで簡単に見れるVODとかもでてきたので、厳しい状況になりました。ここへ来るまでの間、いろいろなことがありました。先輩、仲間の退職、代表本人の病気、代表のお兄さんの病気。それでも、会社を守ろうと必死に策を練ったりしてきましたが、当時の私にはもう何もできない状態でした。
その時入社して9年。初めてこんなに続いた会社です。転職人生から終止符を打ってくれた会社。これから定年まで働いてそのあとは、自分でもやってみたいなあと夢を持たせてくれた会社。
そんな会社がなくなるかもしれないという恐怖感、不安感。
とうとう、今のうちにたたもうかと思うんだけどどう思う?と代表の言葉。
私もさすがにもう無理だなと思い、賛成しました。

倉庫の物がだんだんと姿を消す


まず、商品をどうにかしないといけないので、いつもお世話になっているバイヤーの人に連絡を入れました。うちではもう無理でしたがまだ売っている場所があるので買ってもらうためです。栃木のある会社さんを紹介して頂き、段取りの打ち合わせが始まりました。三回ほどやり取りさせていただいて、半分以上を引き取ってくれることになりました。
残りは別のバイヤーさんが引き取ってくれることになり、箱詰め作業。
どんどん物が無くなっていく倉庫を見て泣きそうになるのを我慢しながら、
全部詰めていきました。
最後は棚を片付け広い空き部屋状態になりました。梱包していた部屋もただの部屋。ごみを粗大ごみを引き取り場まで車で二往復して運び、三週間で物が無くなりました。何もかも終わった・・・脱力感しかなかった。


全てが終わった


そのあと、代表と奥さんと私の3人で食事に行きました。いつもお昼をご馳走してくれる時があり、この9年間でいろいろなところに連れて行っていただきました。私にとってはとても大切な存在のお二人でした。今でも奥様とは少しかかわりがありますが、本当に大切な方々です。代表とは、会社が無くなって以来話していませんが・・・・
電話が苦手、人と関わるのが苦手、仕事も長続きしない、気も弱い、そんな私を理解しつつ、厳しい面ももちつつ、心の底の優しさは計り知れないほどでした。もう、あれから2年が経とうとしていますが、私は今また一人で稼ぎたいという目標に向けて出発しました。右も左もわからず、情報に惑わされて前に進めなかった私がコピーライティングの無料の講座を受けながら勉強中です。大切な夢を持たせてくれた会社は、なくなりましたがそこでもらった体験は大切な宝物です。欠点だらけの自分がどこまでできるかわからないですが、すべてが終わったままにならないように頑張っていこうと思います。
最後まで読んでくださりありがとうございます。












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