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【100おく駅】逆向きの矢はない、と思う。

自然に対して、ワレワレは、あるがままをうけいれることだけしかできない。

時間や空間も自然のひとつ。

波には、流れに沿って、巻き込まれたり、乗ったりして、
同じ方向に向かっていくことしかできない。

これを、逆流することはできない。と思う。

車で走ってて、全く違う場所にでる、とか。時間のもつれで。

ある地点から、ある地点に、弾かれて行くことは、できるかもしれないけど。
数値で表せるものではないし、意図したところにいくのは難しいかな。

時計のイメージは強いけど、元々時間は時計と関係ないものね。人間が関連付けてるだけで。

行った先では、時間はだいたい同じように流れて、
その中で時間を受け取るしかない。のだろうな、と思う。

理論とか、概念って、違うものが関連付けられるとズレが出てきて、
全く的外れになっちゃう。頭だけで考えると、なんだか外れちゃう。

見えないものは、確かめる方法もないから、予想の範囲もわからない。
だけれども、見えないものの近くをウロウロすると、
ぞわわ、という感覚がするものだと思ってる。

今のところ、生まれて死ぬまでが、生物としての勝負(意志を持って動ける)だと思うけど、思念の部分が存在しないとも言い難いような気もする。
だから、こわくて(平たくいうと死ぬのが怖い。だから、生きるのも怖い)見てみぬふりをする。

夢もそうだ。
過去に、裏の建物のボヤ騒ぎとか、津波で車が浸水する夢を見た。
実際にそういうことがあっても、気のせいだよね、となんでもないふりをして。
「みなかったことにしよう、こわいから」で、深く考えない。
(娘曰く、「ハムはこわがりだから。」そうです、そのとうり!)

心霊とかホラーとか、オカルトとか、予知とか、超能力とか、ムーとか。

5年くらい前は、本棚から誰も触っていない本が飛び出してた。けど、
そんなこと、よくあることでしょ。(内心プルプルしてる)

なんでもないけど、なんだろーって気配。ぞわわわわってするとき、あるよね。

形を捉えようにも、形がすぐ変化してしまって捉えられない。

時間や空間も、水や炎と同じように、すぐ変化をしてしまうだけで、
実態があるものかもしれない。
ただ、人間の感覚で見たり捉えることは、ほぼ無理なのではないか、と思う。

見えるもの、触れるものに感謝して、ありがたく享受させていただく。
それが、自然に謙虚に生きること、だと思っている。

ただ、見えないものも、自然の一部。
あることにかわりがない。

見えないからといって、ないわけではない。
目をそらしてみないことにするだけでなく、
謙虚に受け止めていこうと思う今日この頃です。
(でも、こわいものはこわいよ〜)

横たわる時間の波に乗ってるゼ

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