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【パワハラDV】僕が体験した壮絶な職場のお話。【当たり前】


元反社のオーナーと
暴走族上がりで構成された職場。


僕にとって大阪は、東京に次いで大好きな街です。

21歳~27歳ぐらいまで梅田周辺に住んでいたこともあり、懐かしさを感じるために京都に帰ったときに一度は、大阪に立ち寄るようにしています。


僕は24歳のときから3年間、大阪の兎我野町という街にある風俗無料案内所で働いていたのですが、今思うととんでもない職場だったんですよ。

案内所は最終的に7店舗ぐらいまでに拡大したのですが、オーナーは元ヤ○ザで、幹部の人間は全員オーナーの息がかかった暴走族上がり。

とくに案内所の店長を任されている人間は、イケイケの武闘派でした。

働いていた当時、たまたま僕が休みの日に、全身にタトゥーが入った柄の悪い連中5人が、系列の案内所で暴れるという事件が起こったんですよ。

その翌日、僕が仲良くしていたバイトの子が、興奮気味にこう教えてくれました。

「暴れとったヤツらも大概強そうやったんすけど、あの人ら(案内所店長たち)ちゃいますわ。
全員瞬殺ですよ。瞬殺。
あんな漫画みたいになるんやって思いましたわ。
あの人ら、やっぱめっちゃ強いんすね」

仕事が暇な時間帯は、幹部連中の喧嘩武勇伝を聞くことも多かったので、やる、やるとは聞いてたけど、やっぱりほんまにやりよるんやなあと思った出来事でした。

でも、筋金入りの元ヤンだらけの職場だったけど、みんな気の良いヤツらで、毎日バカ笑いすることが絶えない職場だったんですよ。

職場でゲラゲラ笑って、それを飲み会でネタにしてまたゲラゲラ笑うぐらい、面白かったです。

理不尽なオーナーによる
恐怖政治。


しかしそんな楽しい職場にも、ピンと気が張り詰める空気が流れることがあります。

それは、オーナーの機嫌が悪いとき。

この職場ではオーナーが絶対権力だったので、彼が白と言ったものは黒でも裏返るほどでした。

この人は基本、冗談ばかり言って周りを笑わせるタイプなのですが、いつも目が笑ってないからめっちゃ怖いんですよ。

しかも、嫌われたら地獄だし、気に入られても地獄。

嫌われたヤツは理不尽な理由で怒られて、場合によっては暴力を振るわれます。


今でも忘れられないのが、系列店で副店長を任されていた男の子がミスをやらかして、僕の眼の前でオーナーのローキックを食らっていたんですよ。

たかが一発のローキックって思うじゃないですか。

でもこの子は、それから3日間ぐらい足を引きずって歩いてたんですよね。

ほかにも、系列店の店長が、2周間入院するぐらいオーナーにボコられるという出来事もありました。

たしかにことの発端は、この店長が悪いんですよ。

でも、さすがにやりすぎでしかないので、こういう光景を定期的に見るものだから、新人たちは恐怖に慄きます。


中には、「絶対にあんな目に遭いたくない!オーナーに気に入られよう!」と思って、取り入ろうとする人間も中にはいました。

しかしその後、きっちり地獄を見ます。

オーナーに気に入られたら、基本的に昇格します。

でも、「労働基準法ってなんですか?」と言わんばかりに働かされるんですよ。

覚えているのが、オーナーに気に入られて社員になり、新店舗に携わることになった新人スタッフがいたんですね。

その彼は、3ヶ月ほどして肺炎で入院する羽目になりました。

なぜなら、勤務時間が超絶エグかったからです。

朝10時オープンの翌日3時閉店を通しで、休みなし。

「嘘でしょ?」と思うでしょ?

嘘であってほしいぐらい本当のことです。


しかも、オーナーを怒らせてはいけないプレッシャーと常に隣り合わせだし、彼のお気に入りの人間は、仕事終わりの飲みに付き合わないといけないこともしょっちゅうでした。

そりゃ倒れるわっちゅう話で、オーナーは一応この新人くんの見舞いに行ったそうなのですが、笑いながら「お前身体弱いな~」と言ってたそうです。

大人でも丸坊主に
されることがある職場。


僕はオーナーに気に入られても地獄だということを、幹部連中の様を見て学んでいたのですが、「絶対に気に入られてはマズい」と思ったきっかけが、“いきなり3人坊主事件”。

ことの顛末は、酔ったオーナーが夜中に電話をかけてきて、幹部3人が寝てて出れなかったそうなんですよ。

そしたら、幹部たちが電話に出なかったことに激怒したオーナーが、「罰じゃ!お前ら明日までに頭丸めてこい!」と怒鳴ったのだとか。

それでその3人は全員、次の日に丸坊主になってました。

彼らはとくにオーナーに気に入られていたため、常日頃から無茶振りをされていたのですが、この事件だけは心底ドン引きしました。

この事件をきっかけに、「オーナーに嫌われず好かれず、ちょうどいいポジションを目指そう」と強く思ったことを、今でも鮮明に覚えています。


幸いにも僕が勤務していた案内所は、元々違うオーナーが経営権を持っていたため、グループ店だけど別店舗扱いみたいになってたんですよ。

なので、僕がいた店舗の人たちは、僕を含めて少しだけ大目に見られていたような気もします。

オーナーを怒らせ
「終わった」と思った瞬間。


それでも一度、これは本気でヤバいと思ったのが、怖い方のオーナーの前でちょっとしたミスをしてしまったとき、めちゃめちゃ怒鳴られたんですよ。

「おい!コイツ全然使えへんやんけ!誰かほかのヤツ寄越せ!」みたいなことを言われ、その瞬間「終わった、目ぇ付けられた」と思いました。

それでもその後、仕事で挽回することができたので、運良く標的から免れることができました。

でも、後から聞いた話によると、仲良くしていた幹部連中がかなりかばってくれていたそうです。

「みんなマジでありがとう!」と思ったわけですが、僕はかなり仕事ができるポジションにいたため、再びオーナーの目に留まるのは時間の問題でした。

オーナーに気に入られるという
本来なら嬉しい出来事。


そんなこともつゆ知らず、毎日バカ笑いしながらみんなと楽しく過ごしていたのですが、ある日とんでもないニュースが舞い込んできたんですよ。

オーナーが、案内所の幹部連中の中でも使える人間だけを集めて、別の組織を作ろうとしていると。

その中に僕の名前も入っていると。

この話を聞いた瞬間、「勘弁してくれ!」と思ったのですが、そう思った理由はほかにもあるんですよ。

その理由は、オーナーの側近になると、忠誠の証として和彫りの入れ墨を入れないといけなくなるからです。

現に、オーナーが別組織を作ろうとしているのは幹部連中に前から聞いていたし、和彫りの件も「そうなんや~」ぐらいに聞いていたのですが、そこに僕の名前が入っているとなると、呑気に構えてられません。

僕は大概のことには動じないし、平然と構えてられる自信がありますが、このときばかりはめっちゃ焦ったことを覚えています。

藤本シゲユキは一体、オーナーの魔の手からどうやって抜け出したのか?

そのお話をする前に、当時の風俗業界の背景について、お話させていただきます。

20年前の風俗業界は
めちゃめちゃだった。


今の風俗業界がどうなっているかはわかりませんが、僕が働いていた当時は、無法地帯もいいところでした。

お話したように、僕が勤務していた案内所は違うオーナーが経営権を持っていたため、ほかの系列店に比べると割と自由な方でした。

ただ自由と言っても、それは週に2日休みが取れるという一般社会だと至極当たり前の自由だったのですが、周りがひどすぎて恵まれてるなと思うほどだったんです。

系列店で働く従業員たちは基本休みなし。

しかも長時間労働が当たり前で、睡眠不足も当たり前。


中には集客が悪くすごく暇な店舗もあったのに、お客さんの数に比べて従業員の数が明らかに多いんですよ。

なぜかと言うと、「みんな同じ条件で頑張ってるから」という訳のわからない理由で、働かないといけなかったからです。


でも、過酷な労働環境はこの案内所だけではありませんでした。

案内所にパネルを掲載してくれていた風俗店のほとんども、大概ヤバかったです。

僕がいた案内所は通称“ナイトラ(名前は変えています)”と呼ばれていたのですが、休みの翌日に出勤したら、当時仲良くしていた風俗店の店長が僕のところに来たんですよ。

「昨日シゲチャンおらんかったやん!
頼みたいことあったのにどこ行ってたん?
え、休み?えっ、ナイトラさん休みあんの!?マジで!?
ええなあ…マジかあ…」

こんな感じで、うちの案内所に休みがあることを知ると、みんな驚いてその後のテンションが低くなってました。

しかし、うちが特殊だっただけで、休みがないのがむしろ当たり前の業界だったんです。

なので、休みがあることのありがたさを感じるほどだったのですが、過酷な労働環境というのは労働時間の長さじゃなくて、うちより暴力がひどいお店が普通にあったことなんです。

暴力が当たり前の
店舗が結構あった。


中でもひどかったのは、当時梅田で4店舗のセクシーキャバクラを経営していたKさんというオーナー。

彼が闇金ウシジマくんの敵キャラに出てきても、なんら違和感がありません。

なぜならKさんは、浅黒い肌で歯が白く、小柄な割にがっしりしていて、いつも店前でゴルフの素振りを練習している喜平の金ネックレスをしたおじさんだったからです。

僕がお客さんの案内から帰ってる途中、Kさんに呼び止められて、「ちょうどええわ!集金来てや!」と言われたんですね。

正直、このグループ店にお客さんを送っても悪いことしか聞かないし、送ったあとのお客さんにブチ切れられることも多々あったから、あまり送ってなかったんですよ。

あまりにキレられすぎて、首を絞められたこともあるほどです。

一体、どんなサービスと女の子の質の悪さなんだろうと思いました。


「うわ~面倒いなあ。詰められるんかなあ」と思いながらKさんの事務所に入っていったら、予想に反してめちゃめちゃ愛想が良いんです。

「もうちょっと客送ってや~。来月は頼むで!なっ!」と言われ、安心していたところに、初老の男性スタッフがKさんのところに申し訳なさそうな顔をしてやってきました。

ちなみにKさんのお店で働く男性従業員は、年齢層がすごく高めでした。

しかも全員、覇気がありません。

基本的に風俗店のスタッフは当時、「働く場所がない人が集まる」と言われていたこともあり、世知辛いなと思いながらその様子を見ていたのですが、覇気がない理由はこのときわかりました。

Kさん
「ああ?○○(店のNo.1の子)の出勤が今日じゃない?
お前、今日出勤するって昨日の夜に確認取ったんちゃうんか!
お前の管理ミスで店の売上変わるねんぞ!
ケツ出せ!」

Kさんに言われるがまま初老の男性スタッフは壁に手をつきお尻を突き出すと、その直後、思いっきりゴルフクラブで叩かれていました。

どれぐらいの強さかと言うと、大晦日でやっていたガキ使のケツバットぐらいのスイングです。

叩かれた男性は床にへたり込み、声にならない謝罪をKさんにしていたんですよね。

絶句していた僕を見て彼は、「変なもん見せてすまんかったな!ま、来月も頼むわな!」と言ってどこかへ去っていきました。

ほかにも暴力が当たり前の風俗店はありましたが、自分より若い人間に暴力込みで詰められるという図式を目の当たりにしたこともあり、Kさんとこが一番ひどいなと思いました。

和彫りを掘らされるという
謎すぎるルール。


とはいえ、大なり小なり暴力がある業界なんだなという思い込みがあったため、当時の僕はかなり麻痺していたと思います。

自分が暴力を振るう側には絶対に回らなかったけど、業界的に「そういうものなんだろう」と思ってたし、うちはまだましだなあなんて呑気に思ってたほどです。


しかし。

その呑気さも先ほどお話したように覆されるわけですよ。

オーナーが側近だけを集めて別組織を作り、その中に僕も入れられているという情報によって。

何が嫌かって、オーナーの機嫌一つで理不尽な目に遭わされるのも嫌だけど、和彫りの入れ墨を入れないといけないのが一番嫌でした。

その別組織に、すでに加入が決定していたYさんという兄貴分的存在がいたのですが、早速墨を彫りに行かされた彼はこう言ってました。

「筋彫り(線入れ)だけでめっちゃ痛いねん!
こんなん色入れるのとか絶対無理やわ!」

そう言いながら、筋彫り状態の入れ墨をYさんは見せてくれたのですが、その顔は涙目で、別組織に入ったことを後悔しているようにも見えました。

ちなみに彼が入れたのは、金太郎が鯉を抱いた入れ墨で通称「抱き鯉」と呼ばれるものでした。

しかも、この墨を入れた人間は早死にするという噂がまことしやかに飛び交っていたので、その場にいた全員はYさんがいなくなってから、「あ~あ…」と言っていたのを覚えています。

警察による一斉捜査で
辞めることを決意。


さらに悪いことは重なるもので、この頃はまだ風営法が改正される前で、違法風俗店が乱立してたせいもあり、警察の目が厳しかったんですよ。

「違法店をパネル掲載して案内していないか?」「風営法に反していることはしていないか?」という理由でガサ入れが入り、店長以上の役職がついた人間のほとんどが、取り調べを受けることになりました。

別に何も違反するようなことはしていないのに、想像以上のキツい取り調べだったらしく、帰ってきたときには全員クタクタになってたんですよね。


そんな様子を間近で見ていたものだから、こう思いました。

「辞めるなら今しかない」と。

ちょうどその頃、母親が「京都でまたクラブを出すから、戻ってきて手伝ってくれ」と言われていたんですよ。

僕は京都には帰りたくなかったので断っていたのですが、状況的により好みしていられる場合ではありません。

退職する旨を伝えてすんなりことが運べばいいけれど、あのオーナーだったら「辞めてもええけど、梅田で会ったら覚えとけよ」的な展開になりかねないかもしれない。

というのも、入った新人はほとんど飛んで辞めていたので、筋を通して辞めた人間が一人もいなかったんですよね。

つまり、「ちゃんと辞めた」という前例がないわけです。

なので、一瞬飛ぶ(何も言わずにいきなり辞める行為)ことも考えたのですが、この案内所には友達の紹介で入っていたので、飛んだらそいつに迷惑がかかることになるかもしれない。

だから意を決して、オーナーに案内所を辞める意向を伝えました。

大概のことに動じなくなった
藤本シゲユキ。


そしたらなんと。

たまたまそのときは機嫌が良かったのか、「おお、そうか。残念やけどしゃあないな。頑張ってな」と言われて終わったんですよね。

このとき、オーナーの別組織加入者に僕の名前が挙がっていると聞いてから1ヶ月ほど経っていましたが、当時はまだ僕も若かったせいもあり、本当に生きた心地がしませんでした。

今となっては思い返しても「なんだかんだ楽しい時間だったな」と思うことが多いのですが、オーナーという別次元の人間に遭遇したことによって、大概のことにはビビらなくなりました。

ホストクラブを経営していたときも、怖い目にはたくさん遭いましたが、あのオーナーの逆鱗に触れることに比べたら全然余裕です。

本職の人に目をつけられるという出来事も何度かありましたが、「話せばわかってくれる人」である以上、オーナーより全然ましです。


今の仕事をする前は会社員勤めをしていましたが、運悪く一番最初の上司がパワハラで、僕はそいつにかなり嫌われてたんですよね。

でも何も怖くなかったし、「所詮コイツは図体がデカいだけのただの一般人やもんなあ」で終わりです。

僕が何もビビってないから、その上司は怯みながら怒鳴るという、竹中直人の笑いながら怒る人みたいな謎のテンションになってました。


世の中にはメンタルを強くする方法が色々出回っています。

しかしそれは、受け流す方法だったり、捉え方を変えるものだったりすることが多く、残念ながらメンタル強化にはつながっていないんですよね。

本当にメンタルを強くしたいなら、理不尽を経験して乗り越えるしかないんだなと改めて思った出来事であり、もうあんな怖い人間には二度と会いたくねえよと思った出来事でもあります。

ちなみに、僕がこの経験から得た「過酷な職場環境の生き残り方」を、下記にまとめておりますので、ご興味がおありの方はぜひご覧ください。


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