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少数民族・先住民当事者の主体的な私営博物館の持続的な経営にむけた経営理念の合意形成とその理念に基づく博物館展示論・博物館経営論研究 クレット島の博物館再経営の実践計画研究

背景

①先住民私営博物館の経営問題

博物館は各学芸員の経験及び様々な博物館活動の事例研究に基づいて経営されている。特に私は近代化によるヒトを含めた生物多様性の地球史規模な危機を先住民・少数民族が経営する博物館経営とその展示そして仏教哲学に基づく仏教国の先住民・少数民族の博物館理念とくにタイのモーン族の私営博物館経営に関心がある。
 まず仏教徒ではない全般的な先住民の博物館経営の先行事例研究を上げる。2010年に閉館した北海道網走市のジャッカドフニは戦前に日本国籍を取得したサハリン先住民ニヴフのダニエンヒ夫妻と彼らを難民として支援してきた網走市とその市民が夫妻の生存や彼らの無形文化をまもるためにジャッカドフニの経営を支援してきた。夫妻を難民として引き受けた戦後の網走では、網走刑務所周辺で遺棄された囚人の遺体が発掘されたことがきっかけで、市民の公民権の意識が高まり、市民講座活動が始まった。その市民活動でダニエンヒ夫妻の文化活動・少数民族の公民権活動がはじまり、当時の国内観光ブームも追い風となり夫妻の博物館ジャッカドフニは盛況だった。ところが夫のゲンターヌは博物館開館の数年後になくなりバブル崩壊や木造の博物館の経年劣化でゲンターヌの妻である綾子は経営不振に困窮した。この困窮の根本的な問題の中には博物館開館以前から彼らの文化の観光資源化とその消費による収益化に依存し、他のニヴフとの無形文化財活用とくにシャーマニズム関連の観光資源化をめぐる利害関係が生じた。さらに博物館経営の要となる学芸員が不在であった。学芸員はこのような利害関係を市民とともに経営理念の合意形成を行う役目や学術調査・教育活動、保存、展示の職務がある。言い換えれば当事者のための文化を社会に発信し文化を守るために観光産業ばかりが重点におかれ、博物館の核となる博教育の機能とその博物館経営理念、教育が希薄であったといえる。しかしこの博物館は空前の灯火になった1990年代初頭に当時20歳前半の少女だった笹倉いるみ(現 北方民族博物館学芸学芸員 以下 笹倉)はゲンターヌの妻であり文化伝承者である綾子(当時 ジャッカドフニ館長)の弟子及びこの博物館学芸員としてジャッカドフニで文化調査活動をしてきた。綾子が他界後、笹倉が学芸員となって博物館を10年も経営し続けてきたが2010年に閉館した。ただし正式な手続きで廃館したのは2015年という。しかし綾子の1年間の生活とニヴフの生活文化が笹倉によって映像アーカイブス化されまた博物館展示資料は笹倉が働く北方民族博物館に引き取られており不幸中の幸いである。さらに生前のゲンターヌに会ったことがある和人の女性による彼らの刺繍の文化史研究や綾子の意思を引き継いだ笹倉による日本史におけるニヴフ研究が始まった。ニヴフの合意形成がうまくできていなく閉館になっててもダニエンヒ夫妻活動とその想いは市民へとひき継がれ始めている。
 しかし先住民・少数民族当事者が経営する博物館が経営不振となり閉館となったのは網走だけではない。南アフリカの先住民博物館やタイノンタブリー県クレット島のピサンというモーン族文化伝承者の資料館のを事例がある。ある南アフリカの博物館では先住民族主体の博物館を完全に観光施設化した結果「見世物」になり博物館経営不振となり、文化財破壊を招いたと稲村哲也は批判する。稲村哲也は「見せ物」と経営論との関係は何かを今後、研究する必要があると指摘する。ジャッカドフニの経営不振が「見世物」と批判する他の在日ウイルタとの対立が要因となったことと同様だと考えられる。私はどちらの博物館にせよ専門家となる文化伝承者および学芸員、そして市民に向けた理念の合意形成と経営理念が欠落すると先住民族・少数民族当事者が経営する博物館が閉館に追いやられ、彼らの文化財の散逸ないし破壊の危機が起きる傾向がある。経営不振と示唆する博物館展示の閑散を経験したことがある。ここでは私のアイヌ民族資料館及びその関連政治団体構成員との交流の体験をのべる。萱野茂の私営博物館では博物館資料を隣接の公立博物館に資料保存を委託しているものの、萱野茂が他界後にアイヌ当事者の経営者が経営理念を見失ない館内が閑散としていた。世界中で先住民の博物館は経営不振で絶望的だという。またその博物館に隣接する国連のアイヌ団体は理念を踏み外し、和人でアイヌ問題と直接無関係の個人を無差別に攻撃する活動するアイヌの年配者がいる。その背景には差別で貧困へと追い立てられ、これらの問題を解決する選択肢を与える彼らのための教育の機会がなく低階層民へと追い立てられるという負の循環は、正しい見識を持てず感情に流され暴論をはく市民活動を展開してしまっている。この負の循環によってまるでネオナチやアメリカのトランプ大統領支持者のように彼ら独自の民族系右翼団体を結成して活動を行なっている。このような動きはアイヌに限らず、ハワイのトラスクカーター、在日ミャンマーのモーン族、そして先住民ではない各国の大多数民族集団にいる特定の困窮に追い立てられた人々でも教育の機会損失と貧困が循環し、自他ともに無差別に人々を周縁化させる政治団体活動へと参加している。あるいは低社会階層へと追い立てられ非行へとはしっていく。あるいは追い立てられた結果、アメリカ先住民がドラッグや依存症へと招くカジノ経営に携わり生きている。また先住民に限らず様々な公立博物館にある和人の民族資料は市区町村長に権限がある公立である故にもし仮にその市区町村長が博物館とは教育系非営利団体であると理解できないほど民度・教育文化度が低かったならば収蔵このキャパオーバーを口実に近代以降の民具はゴミであると考え廃棄する命令を下すことが実際に起きている。私はこれらのような問題には生涯学習や社会教育によって民度を上げる必要があるとかんがえる。
この社会教育のなかで先住民教育は北海道を例にここ10年で彼ら主体の先住民学校教育と博物館教育が行われている。ただし世界と比べて四半世紀も遅れている。この活動はまず子供だけではなくまず誰一人とも教育の機会を取りこぼさないために地域住民の博物館教育から始まった。私は彼ら主体の教育が要と考えている。

② 博物館のユニバーサルデザインとは宗教、宇宙観の展示活動による生物多様性の生成装置である

 誰一人とも教育の機会を提供する博物館とはユニバーサルデザインに基づく。博物館ユニバーサルデザインといえばまず最初に障害者の配慮した設備設置が思い浮かぶ。例えば視覚障害者のハンズオン展示と音声ガイドがある。しかしとくに日本では健常者が外見で理解され易い障害だけが守備範囲となり、当事者である私を含めた知的障害、発達障害、精神障害者は博物館を含めた生涯学習や大学といった生涯学習の現場から排除されてきた。あるいは法的には博物館に動物園が含むため、動物園の展示問題を事例に挙げれば、動物福祉が欠落した展示によってヒトと同じ類人猿のチンパンジーやゴリラをはじめとする生物は精神疾患になり来館者に鑑賞される。この展示装置はその様子を見た来館者が見られている動物=野蛮VS人間=理性という二項対立を市民の潜在意識に植え付けてしまっている。本来の自然での生き生きとした彼らを見せることは彼ら動物の幸せや自由であり、来館者が借景で彼らが住む生息環境に近い生態展示をみることでそのような来館者である市民の自然に対する偏見をなくすことができる。私は先住民・少数民族が障害者や展示される動物と同様の問題を抱えていると考えている。というのも「人類館事件」の延長には先住民・少数民族文化の観光資源とその観光施設が全面に押し出された博物館経営があり「見せ物」という批判や観光客や先住民・少数民族を含む観光事業者の慢性的な文化教育度・民度の低さが招く様々なオーバーツリズムを招いた。ただしこれは先住民自身が自発的に主体的に文化教育活動を実行しており決して動物園の展示とは違う。なぜなら動物は必ずしも自らの存在を来館者であるヒトに教育、啓発しているとは断言できない。先住民の福祉活動に繋がる彼ら自身が学芸員資格を取得し彼ら主体の博物館経営及び展示活動である。たとえもし移民になってしまった彼らがいたとしても、「リトルワールド」のように家屋の移築とともにその展示資料である家屋で彼ら主体の異文化交流、文化活動を行えばよい。


 特定の博物館や大学といった生涯学習施設利用に関する排除や動物への差別を事例に挙げたのは博物館が展示・資料保存に関してICOM職業倫理規定を遵守し経営されている。その中には宗教および宗教と関連する生命倫理に関する博物館資料の展示が含まれる。また大学や博物館のユニバーサルデザインの英語名はユニバース(宇宙)という語源であるため、宇宙の真理探求とその好奇心を体現する教育活動が現代まで展開されてきた。つまり展示資料の採取地に関する自然観・生命倫理、宗教は博物館の経営理念、経営倫理にかかせない。私は博物館経営理念とそれに基づく展示方法の関係に着目する。倫理規定に遵守し博物館経営には展示資料の背後ににある宗教、所有者の尊厳、生命の尊厳に敬意を払わないといけない。この延長には博物館館活動として環境保全の任務がある。

 またユニバースと関連した語源の意味を持つ単語として宗教リリージョンがある。このリリージョンは本来、世界の再結合を意味している。さらに宗教学では宗教とは人知を超えた超越的存在に対する畏怖、聖視性、究極性(真理探求性)の精神活動と定義されている。特に欧米の博物館の歴史は18世紀以前半ごろにおける脅威の部屋・陳列館から宗教的真理探求と宇宙の真理探求の活動から始まってきた。現在では美術館でもあるロスコチャペルが信教の自由を取り入れてその精神活動を引き継いできた。ロスコチャペルは現代に作られた教会であるが特定の宗教のための施設ではない。あまねく祈る人々の空間である。そこにはこの教会を作った画家のマークロスコが感じた内面にある宗教的真理に触れた感覚が抽象画で描かれており来館者はロスコの絵画を通して彼の宗教的真理体験を共有している。そしてこのチャペルの新設時には各世界宗教の司祭がそれぞれの宗教儀礼で祝福を行った。この空間は様々な信教の人々がロスコの空間美術に触れた宗教的真理体験を語り集い新しい価値観を育みその価値観で社会をうごかそうとする展示装置である。これは18世紀前半の陳列館で来館者同士が真理探求をしようと館内の展示資料で感じた宗教的真理の経験を声に話して共有するという当時の習慣と共通している。この装置は市民を含めたすべての存在を受け入れ包み込みひとつの関係性の宇宙をつくる。教育活動は真理を探究する好奇心の精神活動の場であり、自然史観、宇宙観の再生産活動であり、この活動に参加した人々が獲得した体験の共有活動による人類の壮大な世界生成の営みである。不特定多数の利益となり脱私事化しておりつまり公共の空間である博物館が政教一致に抵触せず、さまざまな人々のコモンスペースとなっている。
 

 さて近代アジアおいて宗教と宇宙の真理を探究活動する博物館のコンセプトとなる思想は仏教の縁起、三界、曼荼羅、唯識に基づいて考えた博物学者・環境保全家の南方熊楠、農村社会における妖怪の存在論と環境保全の関係及び農村発展のための民俗資料活用を研究していた柳田國男やモンゴルの生態系と無形文化の関係をモンゴル仏教の世界観に基づいて描いた近代モンゴルの画僧であるマルザンシャラブが提唱したといえる。しかしこのような思想家ともいうべき彼らは現代アジアの博物館展示及び経営理念にどのくらい影響を与えたのかはとくに熊楠が描いた密教曼荼羅に関して仏教哲学と博物学が複雑にからみあっており絵ときが難解となっており研究が進展していない。さらにこれらは大乗仏教哲学および彼らの出身国の仏教と習合した自然崇拝に基づく博物館のユニバースデザインの思想といえる。

インド仏教文化学者、奈良康明はその福祉の問題は理性だけで理解できるものが絶対の真理であり理性で理解できないものは排除されるという二項対立の思想があり今日の福祉に関わる様々な人々及び動物への差別・偏見や人間が自然を支配する環境破壊の元凶ではないかとではないだろうか、むしろ慈悲ここそ誰も排除しない自他不二となり全てを縁起で包み込む一つの宗教的体験、真理・宇宙の世界があるのではという。また彼は人間釈尊の研究者でもあった。そして私は生涯学習論および僧侶の見習いとして最晩年の弟子であり、仏教文化国における仏教の生命倫理に基づく博物館経営の活動展開を私に勧めてきた。これは南方熊楠が胎蔵界曼荼羅、金剛界曼荼羅と博物学(現代でいう博物館学展示論、自然史)を組み合わせた熊楠曼荼羅の着想には古義真言宗高僧土宜法龍から仏教哲学を学んだことにから得ており、私と高僧から仏教哲学を学び博物館学、自然史観を探究してきた点で重なる。


 しかし史実の人間釈尊の生き方を簡素に語る原始仏典を根本経典とする上座部仏教国の博物館はなおさらいっそうわからない。なぜなら石井米雄をはじめとするタイ学者は上座部国=純粋な仏教を信仰する善良な仏教徒の国という現地の保守系ないし極右政治家の偏見に基づいて民族誌が描かれてきた。もしタイの若者からそのような民族誌を読んだ場合ステレオタイプであり軍政に忖度して研究していたと批判されるだろう。また武蔵野美術大学はかつて大美術研究で有名だったが研究者が他界して後継者となる大学教授が日本からいなくなった。チュラルロンコン大学には芸術学者隅教授がいるが、博物館学や文化人類学が専門外である。従ってユニバースつまり宇宙観とその存在論の生命倫理がどのように変遷してきたかがわからないため、現地の博物館の経営倫理を考察することができない。とりわけ日本での研究が困難である。

 ただし日本の先行研究には研究の手がかりがある。石井米雄はタイの地域社会が寺と学校及び王室と家庭の三連携を紹介した。これは古代インドにおける仏教に基づく統治を受け継いでいると言える。この統治方法によって僧侶がいわゆる地域福祉、社会教育活動担い手になってきた。博物館経営は博物館が非営利法人であり地域社会と連携する公共の教育機関であるため仏教と博物館経営・博物館展示との関係は今の所、日本では研究されていない。また田中忠治は冷戦を背景に始まった「緑の革命」が起きた当時のタイで、シャム民族主義な極右の為政者がイサーン(東北)地方の農民を多額の納税で搾取していたこと、農民を警察がリンチしていた問題の背景を研究していた。その極右独裁国家の政治経済は近代以前のタイの宗教に基づく存在論であるイデオロギーによって統治されていた。つまり近代以前の自然観・宇宙観に基づく法哲学・政治哲学が独裁政治統治の中で受け継がれてきたということである。現代タイの問題の根底にはには近代化と近代以前の世界観に基づく文化・彼らの生き方との対立がある。従って博物館活動は文化財保護によって環境保全や教育による民主化の推進が任務だとICOM(国際博物館会議)で提案されており、博物館活動が現地の開発支援となり得る。この文化財には宗教といった無形文化財が含まれる。

とくにノンタブリー県クレット島のワットパラマイ寺院立博物館のようなタイ各地の寺院立博物館は 日本の東南アジア学会で酷評である。寺院立博物館を「物置」と京都大学石川華子教授はいう。私はタイの政教一致問題をともなう民主化問題を背景に「国家鎮護の宝物館」と揶揄する。とにかく、資料の展示も管理も修繕もされておらずとにかく経営がひどい。それは学芸員不在の先に述べた先住民・少数民族私営博物館と同様の問題がある。
 私はバンコク郊外クレット島へ行きモーン族の文化伝承者と交流し参与観察する中でワットパラマイを含むそのクレット島内の少数民族私営博物館を研究対象としてきた。現代の博物館で求められるものは近代化を伴う気候変動及びその現代の人類における地球史の改編「人新世」への社会教育である。それは文化人類学系博物館において近代以前の宗教的生命倫理という無形文化を現在の環境保全活動の理念として活用することである。私は学芸員資格を学びかつ仏教者であるためその社会教育は仏教の生物多様性の思想である浄土論注の「二種回向」や原始仏典 慈経の「慈悲」を実践することとかんがえる。また少数民族の私営博物館であるため文化人類学のフィールドワークでもある。

 さてその博物館がある地域はタイのバンコクの洪水と気候変動が先行研究されてきた。民主化政治問題を背景にする防災制作問題がある。軍事政府が防災を取り仕切り、民主的な都市開発を伴う防災政策ができていないという。今年2024年、2011年の洪水を契機に防災制作として作ったノンタブリー県の堤防が決壊した。 さらに一昨年、軍隊がモンスーンの大雨によるダム崩壊を口実にダム放水をしクレット島が床下浸水となり、島民の心を傷つけてきた。さらに温暖化によりタイ湾沿岸の海洋侵食やバンコク平野の地盤沈下がおきている。またバンコク近郊には少数民族モーン族が住んでおり、彼らの文化財が脅かされているのに都市開発の国際援助のために民族問題が観光開発のプロパガンダで彼らの困窮は隠蔽されてきた。そのプロパガンダ及び都市開発は日本政府とその日本政府の関連機JICAが関与してきた。とくに政府の御用聞きになろうとするカセサートとその大学と関わりのある日本の大学が今まで彼らの支援と称して将来に彼らの文化財を脅かす利益誘導を伴う活動をしてきた。とくにタイ大使館にあるお互い様ファンデーションという近代化したバンコク都民のための防災都市開発の団体に所属していた長崎大学学生(当時)の玉島聡子はクレット島にはモーンではなくメジャーな民族であるタイ人=シャム族が洪水の復興のために観光開発をしてきたという記事を書いて朝日新聞に投稿し印象操作した。担当記者に取材したところこの学生を信用して記事を出したとのこと。私は悪く言えば学生が政治工作として利用されたと考える。そして長期で見た場合、持続的な開発が怪しく、かつ伝承文化を形骸化させ、伝承文化が守ってきた野生動物が住む生態系ごとなくす恐れがある。さらにバンコクには先住民、モーン族がいないという言説が他にもある。トンチャイウィニチャクンといったインテリをはじめとするシャム族の市民による「モンはビルマ人」という差別的な言説がよく聞かれる。ビルマとはミャンマー独裁者が使うミャンマーの国名であり、かなり歪な歴史観を持つナショナリズムのニュアンスを持つ。ミャンマーやタイの独裁者の都合の良い歴史観・国史や冷戦期におけるタイと隣接する社会主義国との関係でタイの国境地帯の少数民族を先住民としてきた。さらにビルマ独裁者によって彼らは古代のバンコク平野にもいた証拠となる遺跡があるのに、ビルマの土着民としクレットのような彼らを「移り住んだ」人々と在日ミャンマーのモーンに言われる。差別ではないだろうか?そこで私は彼らは移民なのか先住民族なのかを北海道大学丹菊逸治准教授に問い合わせた。


現代社会における「先住民族」とは近代国家の成立時に編入され周縁化された人々のことを指します。近世より前の事は連続性がない限り意味がありません。ご指摘の民族の場合「近世にある地域に存在し、近代国家に編入され周縁化された」という点で先住民族です。古代にどこにいたかは関係ありません。丹菊逸治 https://x.com/itangiku/status/1814472308276506872

 https://x.com/itangiku/status/1814472308276506872


 もし丹菊順教授が言うように彼らが先住民であるならばタイ政府は先住民の国連宣言に遵守しておらず大問題である。
さらに洞爺湖サミットの裏で行われた「先住民サミット」に参加した世界の先住民から近代化が招いた戦争、環境破壊、貧困といった地球的な危機はすべて先進国の中央政府のせいだというスピーチがあった。その先進国である日本政府はアイヌの迫害をやめた途端にODAのためなら海外の先住民の迫害をしていいと正当化していないだろうか?近代以降のアイヌが展示されなかった四半世紀前の北海道立博物館のように、彼らの現代の困窮を含めたありようが展示されていない。ウポポイのような彼ら主体の博物館経営および展示活動が必要である。
さらに戦後の日本において中央政府の歴史観の補完となり、蝦夷と差別してきた今日のアイヌ問題につながる「蝦夷討伐」の残虐性を展示資料から伝える宮城県立歴史博物館を事例に地方や少数民族の歴史観が展示されることが求められる。戦前の日本同様、軍政の都合の良い国史に基づく文化・教育政策の批判が求められている。その軍政の博物館はナチスドイツの博物館、文化財活用のように異文化排斥になっていないだろうか。とくにビルマ独裁者の文化政策で民族衣装の色が赤に統制されたように、彼らが自由に文化を創作し伝承し、異文化の誰かと伝統文化の共創を妨げている。

 少なくとも世界中の博物館展示は「国史」とくに「古代」とその展示資料は国家形成のための国民統合の道具となり歴史修正を伴う他者を迫害・周辺化させてきた。例えばナチス、戦前の日本、インドネシアそして現代のミャンマーとタイが当てはまる。しかし国立歴史民族博博物館やペルーの国立博物館では国民のルーツとなる古代を出アフリカと関連づけて常設展した事例がある。さらに北米のアメリカ先住民の博物館では彼らの存在論となる神話に基づく彼らの歴史が展示され、展示パネルには「私たちの〇〇」ではじまるようにしている。その「私たち」はアメリカ先住民ではなく全人類である。さらにそのアメリカ先住民や奈良県立博物館では宗教関連の展示資料に対してこの資料の宗教にたづさわる宗教家を招いてその宗教の尊厳のために供養儀礼が行われている。そして現在タイの芸術家が国史を映像制作で批判してきている。また王室批判が重犯罪とされているため遠巻きな言い回しになっているが、先行研究論文にラーマ5世が建立したパラマイ寺伽藍のデザインから民族同化があると示唆されている。

研究目的 バンコクのモーンを先住民として公認するための市民に向けた合意形成とその博物館活動

 近年、タイは民主化問題や政教一致問題を背景に、若者が新しい仏教教学並びに歴史観を公民権運動として芸術活動および博物館活動で求め、目覚ましい文化芸術活動の発展がある。タイは国際的な博物館活動の季節を迎えている。私の研究目的は博物館展示及びその経営倫理として仏教とくに原始仏典の生命倫理や先住民・少数民族の無形文化財を活用した博物館経営・文化財保護及び生物多様性の危機に対する環境保全について博物館活動実践の解明である。つまりタイ民主化問題を背景にした博物館再経営の「ステークホルダー」にたいする合意形成とその博物館活動の実践研究である。博物館施設ごと経営と共に島内の展示をリニューアルする必要がある。

 まず私は現在、日本にいる。洪水によって破壊され消えゆくモーンの陶磁器を守るために築窯の研究を行なっている。東京の北千住にある工房でレンガを焼成し、長野で組み立てている。のこり18丁程度でレンガの成形が全て終わるところである。その工程を随時、録画しクレット島の陶工の元へ送っている。一人の親方が制作の進み具合を喜んでいる。同時に彼らとの信頼関係や博物館再経営の合意を形成するために学芸員資格を取得している。来年には博物館実習となり学芸員資格を取得できる。そして現地での免許更新を予定している。またタイ語を学び続けている。博物館実習が終わり次第、在日ミャンマーのモーン族の中で現地の極右系文化団体と関係が薄い当事者の中で母語話者を雇い、モーン語を習う予定である。モーン語を学ばないと史跡の碑文、クレット島周辺の方言の辞書も読めないし、地域の文化の核となる言語を守ることができない。
 現在、ビルマ人という差別的な言説にたいしクレットの地域住民でクレット島の広報活動をするシャム族の「ナットシャーシャー」という映像作家が抗議活動につながるYoutubeを投稿した。この映像作家は大手映画制作会社タイのGDHの元社員である。この会社は前の会社名であるGTHが7周年目に近代化および政教一致の抑圧による若者の寺院離れを背景にした青年発達心理と悟りの改訂を扱った恋愛映画《セブンサムシング》を製作した。多少たりとも彼女は仏教の公共性と美術活動にも精通していると見られる。そしてタイ在住の吉本芸人あっぱれ小泉はおもに先住民族グイ族が経営するゾウの動物園における動物福祉活動や芸能活動を行いつつ定期的に島内のモーンの困窮について調査を継続している。彼らは私の研究仲間でもある。
 タイへ戻った時は学芸員免許更新をしああと、彼らと共にモーン文化伝承者を巻き込んでアートワークといった博物館活動を行い、もう一度彼らのアイデンティティを捉え直す機会を市民に提供していきたい。そのなかでムタウ仏塔の様変わりを近代科学と仏教哲学及び彼らの存在論・世界観や自然史及び人類史にもとづく博物館を伝えていきたい。彼らのアイデンティティ及び彼らの世界観を再構築し生物多様性につなげていきたい。私は博物館再経営としての陶芸、染色といった芸術活動、彼ら一緒に地域の古代史跡の活用とその歴史研究をすすめていきたい。その過程をフィールドワークとし活動を映像化アーカイブ化することで、民主主義の博物館へと導き、無形文化財保護による環境保全への変えてゆくことが期待される。

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