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映画「あんのこと」そと。忘れられない彼女のこと。

映画「あんのこと」の鑑賞日記のあとに。

わたしには、思い出す より、「忘れることのほうが少ない」人物がいる。その人と会ったことはない。だけど3度知ることになる。

彼女は、親にネグレクトされ、12歳ころから兄姉とその仲間に斡旋され身を売っていた。

彼女をはじめて見たのは、11歳のとき。
小学5年生。新しい担任の男性教師は隣町の小学校から着任した。
たしかその秋ごろ。
教室の教壇に一冊の卒業アルバムがあった。
●●区立●●小学校 担任の前勤務校。

「見ていい?」

わたしは友だち数人と、担任の許可を得るとそのアルバムのページ繰った。

あるクラスで、途端に、私はフリーズした。目が離せない。
白地に柄の入ったシャツを着たポニーテールの ”その人” は、あまりに美しかった。目が強い。大きな眼と整った鼻と口、卵型の輪郭。宇多田ヒカルのお母さん、藤圭子べ―スに今田美桜が交ざったような顔立ちかな。
容姿だけではなく、雰囲気に魅入られた。

同級生より格段に大人っぽくて、圧倒的に違うオーラを放つ。「売れるタレントはオーラが違う」と似ているのかも知れない。

彼女の写真の下に印字された、特徴的な名前を指さして、「この人なんなんですか?」思わず担任に尋ねた。

「あぁ、大変だったんだ」という。
彼女は、倉庫に保管してあったペンキを持ち出して、校舎の壁に派手にぶちまけたり、ガラスを割ったり、突然にとんでもない行動にでる。家庭が多少荒れていたのだと担任は付け加えた。
よくぞ聞いてくれた!みたいな担任のにやけた顔と口調に、相変わらず嫌悪を覚えた。私はこの担任があまり好きではなかった。

彼女が校舎にペンキをぶちまける姿は、ピッタリだなと思った。ほんの少し、その行動、分からなくもないと感じた。
彼女はわたしより3学年上だった。


その日から、私の記憶には、彼女の卒アルの写真と、鮮やかなペンキをぶちまける彼女の姿(妄想)が深く刻印された。

**

時は過ぎて、高校2年。
私は理科準備室にいた。面談の待機だったかな。準備室には理科の女性教諭 R先生がいた。学年担当でもなく初めて話す先生だったけれど、なんとなく雑談をしてすぐに打ち解けた。

なぜだか深い話しになり、
R先生はこの学校の前まで中学校にいた、と切り出した。

その中学では、とても賢い子がいたけれど、学校に来なくて家に行くとシンナーや薬物をやっていた。母親はネグレクトで父親が何度も変わるような荒廃した家庭にあった。


なぜか分からない、ハッとした。
先生は続ける。

中学に入学したときには、兄姉と兄の仲間に斡旋され、毎夜のように売春を繰り返す。彼女がちゃんと客と会うかを兄姉は監視して、その「稼ぎ」を取る。

教師らは総出で、夜の繁華街に彼女を探し回り、寸前のところを引き戻そうとする。それは監視する兄姉との攻防戦。彼らは教師を警戒して彼女を隠す。
彼女を保護できないとき、彼女の学校での様子がおかしいとき、もしかしたら、と思うと胸が潰れるほど苦しくて、自分の無力さにも辟易とするのだと、R先生は私の眼をじっと見た。

先生ってどこの中学にいたの?

◯◯だよ

わたしの住まいの隣町、あの卒業アルバムの小学校と同じ町である。

わたしはいきなり、彼女の名前を口にした。

R先生は、本当に驚いたように一瞬止まってから、「なんで知ってるの?」と聞いてきた。私はあの卒業アルバムの一件を話した。

「彼女は・・・本当に可哀想だった」

R先生は、義務教育中には保護者や家庭の呪縛から逃れる術がほとんどない。それでいて心身は大人になる。子どもたちの環境の厳しさ苦しみと教師としてできることの限界に、いた堪れなさと、問題意識を持っていた。

彼女たち兄妹は、補導や養護施設の保護も繰り返していたようだった。

**

それから1年後くらい。
学校から帰宅すると、居間のイスに若い女性が座っていた。7ヶ月くらいの丸々とした赤ちゃんを抱いている。母がにこにこしながら、私を末娘と紹介し、女性を私に紹介した。

苗字が、彼女と一致している。

よく分からず、ぼんやりしてしまった。
その苗字はかなり珍しい。
名前の法則も一緒である。
まさか・・・

女性が帰ったあと、母に尋ねた。
女性はシンナーや薬物の乱用していた。親の環境も同じ。たいへんな境遇にいたのだと母は言っていたと思う。
兄と妹がいるという。

おそらく、姉。


アルバムのなかの彼女とは似つかず、真反対の地味な顔立ちで穏やかそうなイメージだった。

女性とは、母が熱狂的に信仰する宗教の場で出会ったようだ。

彼女の壮絶な毎日への想像がもどり、
何をしているのか、想像を拒んだ。
ーー現在形の想像をわたしは今も拒んでいる。

姉に怒りや憎しみは湧かなかった。
この姉や兄が悪の根源ではない。

**

11歳から37年間。
事件を聴き込む刑事のように周辺情報だけが固まり、まん中はポッカリと空いている。そこにはピン留された彼女の卒アルの写真がある。

夜の街、たむろする部屋、ことに及ぶ姿、そのあと…様々な場面を浮かべれば、憤りやどうしようもない気持ちになることもあった。
だけど、なんかもっと、もう少し違う大きさのどこかで、彼女を感じるようなものがある。

その後もさまざまな環境や状況の人々に出会ってきたけれども、選択や出会いのなかに、彼女の存在が多少なりとも影響してきたのは確かである。


自分のなかになぜ、知らぬ彼女が、
常に存在しているのだろうか?


もしかしたら、それは彼女ではない。
彼女を通して、わたしの奥にあるテーマ、課題、なんなのか、どんな風であれ、掘り下げた先の大切な私自身と向き合うための、彼女だろうと、うすうす気づいてはいる。

だけどまだ、その答えはよく分からない。

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