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あなたがみえない。(前)

わたしは筋金入りの かぎっ子育ちです。
3歳くらいから。ひとり時間はドラマやアニメを観続け、兄のレコードをこっそり聴いたり、料理したり散歩したり。ネグレクトに片足首ツッコんでいたのかな。
自覚のない淋しさは積もったのかもだけど、自覚ではけっこう満喫でした。ひとり対話とかメディアと対話とか、年季の入った特技です。

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ちょっと前、参加している交流会の先輩と千駄木で呑みました。
視野がとびきり縦横パノラマで、思慮深く、私は感性という言葉をあまり使わないのだけど、感性が、存在が美しい。つまるところ、憧れのおふたりです。お一人は年上、お一人は年下。


年下の先輩が、ひょうたん型のガラスの器で冷酒をかっぷり呑みながら、「くり子さんのことが見えてこない。きょうは聞きたいですー」とおっしゃる。


わ、わたしですか!?
ちょっと意外な展開に調子が狂います。


交流会はオンラインだから、時間内ではプライベートの話しをする時間はほぼありません。

でも、どうもそういうニュアンスとも違う風。なんだろう?

雑談をするなかで、私のプライベートがひとつ分かると、先輩おふたり、なるほど!となりました。
これもまた意外。
けれども気分が軽くなって、それが私の人間関係での重石になっていたと気づきました。


あぁそうか。覚えあり。
7年ほど前、公立高校で勤務した時期から、その後、いまに至る流れのなかで、封印するようになったプライベートがいくつか、いや、いくつも、ある。

誰かの出自や経験、環境に対する、人の裏表、色眼鏡、払拭しようのない偏見、本音と建て前のようなものの強烈さをいくつも目の当たりにして、そういうことかと。いい年して、今さら怯えてしまった。
社会で自分は、到底話せば憚られる人生なのかも、と思い込んでしまった。
以前のわたしはそうではなかった。

なんて振り返るうち…
数年前、父が亡くなったころを思い出しました。
(つづく)

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