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「働かざるもの食うべからず」を考える

SNSのXでこんなポストがあった。

「働かざるもの食うべからず」への問い

労働は、今日において最もホットな問題の一つだ。みんな、労働のことで悩んでいる。ちゃんと就職できるだろうか、正規職員に無事昇格するだろうか、そもそもこの仕事に意味はあるのだろうか、人を救う体でそれより多くの人を傷つけていないだろうか、AIに奪われない仕事とは何だろうか、なぜ自分より働いていないアイツが高給取りなのだろうか。

現代人は働きすぎだとよく言われる。「一日8時間・週5日」というのは、昔に比べるとマシになった方なのかもしれないが、やはり長い、多い。都会だと通勤の時間もあるし、休日でも緊急の応援要請にうっすら身構えている。あるビジネス系の本は、人類史の99%は狩猟採集民であり、我々の進化的身体は、現代の情報過多な文明生活に適応するようにはできていないと云う。今でもアフリカの奥地などで生活する狩猟採集民は、実は一日に3,4時間しか働いておらず、余暇を仲間との団欒に費やす充実した暮らしを営んでいる・・云々。

狩猟採集民、それどころか200年前の江戸時代の農民も、一日の労働時間は3,4時間だったという話も聞く。満員電車での通勤もない。そこから200年、産業革命や情報革命を経て、我々の近代的文明生活は確かに便利で豊かなものとなった。技術革新や生産性の向上は、労働の負担を減らし、本来なら、我々の労働時間はもっと減っていていいはずである。狩猟採集民が一日3,4時間の労働で済むのだから、今日の文明的水準なら一日1,2時間、いや、なんなら全く働かなくても、健康で文化的な最低限度の生活は実現可能なのではないか。

しかし、現実は真逆で、我々の労働時間は長くなる一方だし、しかもその中身というのが、どんどん劣化している。仕事のための仕事、顧客のバカさを出し抜いて儲ける仕事、文句を言うためだけに問い合わせてくるクレームへの対応。こんなことやってられん!と奮起して自己表現を志し、楽曲を制作してみたり小説を書いてみたりYouTubeに動画を投稿してみたりするが、みんな同じことを考えているので、全く稼げない。注目もされない。小耳に挟んだが、今や小説の懸賞に応募する人口の方が、小説を買って読む人口より多くなっているらしい。そういえば、音楽だって水よりも安い時代だ。

なぜ、このような倒錯した事態になっているのか。いろいろ考えてみたが、ひとつ、「産業革命による人口爆発」というファクターを思考の補助線として導入することで、見通しが良くなるような気がする。


現代とは人口爆発の時代である。先進国では少子化が深刻な問題として俎上に載るが、地球全体では、人口はむしろ増え続ける一方だ。

現在の地球の人口は80億人と推定されている。しかし、これは何も昔からずっとそうだったわけではない。

200年前、産業革命がまだ始まったばかりの頃の地球の人口は10億人ほどだった。200年余りで8倍に増えたのである。日本でも、明治維新前の人口は3300万人ほどだったので、そこから4倍ほど増えていることになる。

国連人口基金駐日事務所ホームページより

上の図表を見ても、過去に、このような爆発的な増え方をした時代はない。産業革命後の現代世界とは人口爆増の時代である。人口爆発と言ってもいい。

産業革命以来、度重なる技術革新で生産性が向上し続け、経済の中心は農業から工業に移った。都市の人口が増加し、それに伴って都市自体も拡大し、文化的で豊かな生活を多くの人が享受するようになった。

翻って、産業革命前の、農業主体の経済では、地球全体で10億人しか養えなかった。当時の農耕技術と地球の生産力の水準では、それが限界だったのである。とすると、産業革命以降、エクストラに誕生した70億人は、もともと地球が想定していなかった人口なので、資本主義的工業社会の中で己の労働力を売って生きるほかない。いわば資本主義が生み出した70億人、である。

生産性が向上し、資本の増殖とともに世の中が便利で豊かになっても、地球の人口が以前と変わらないままであれば、彼らはその豊かさを存分に享受できるだろう。もともと「毎日火おこしするの大変やしなんとかならんかな」と思っていたところに、ガスや電気、給湯技術や関連家電が登場すれば、その人のQOLは明らかに上がるだろう。前より楽になった、豊かになったと実感できる。

しかし、便利になる以前を知っている人(10億人)だけならいいのだが、問題は、まさにその便利さ・快適さ自体が、新たな人口(70億人)を産み出したことなのである。

なんとなく思うのだが、産業革命に端を発する一連の(資本主義的)進歩は、進歩以前の人間を豊かにすることはできるが、その進歩そのものによって新たに誕生した人口の幸福や豊かさについては、必ずしも保証していないのではないか。

技術革新が人間を不幸にするわけではおそらくない。もともといた人間を基準にして考えればやはり恩恵がある。問題なのは、技術革新が人口を増やしてしまうことだ。技術革新は、一方では多くの仕事を用済みにするにもかかわらず、いやだからこそ人口が増えて、その増えた人口には(人手が不要になったので)適切な仕事があてがわれない。仕方がないので、無理やり仕事を作り出してやたら忙しく働くことを強いられたり、「機械にもAIにもできない、この私にしかできないことは何だろうか」と、砂漠で一本の針を探すようなクリエイティブ競争を強いられたりする。

生産性の向上で人口も増えたが、技術革新が人手を不要にするので、多くの人が少ない仕事を取り合う構図が強まる。仕方なく「それも仕事にしちゃう?」みたいなことをしてなんとか多くの人に仕事が行き渡るよう工夫するが、当然ながら、希釈された個々の仕事はどんどんつまらないものになっていくし、つまらない差異で目立とうとする輩ばかり増えていくと。


「働かざるもの食うべからず」という標語に漂う現代特有の生きづらさ。そのしっぽが、ちょっと見えてきた気がする。

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