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お金のゆくえ

ところで、お金をバンバン使ったほうが道徳的に優れているというのは、直感には反するけど、やっぱりそれだけ現代がサービス業主体の社会だということなんだと思う。

衣食住足りたらそれでいいと満足してたら、サービス業で自分の労働力を売るしかない大多数の人々を食わせられなくなる。

もちろん、道徳とか倫理とはいっても、同時に遊び、あるいは美意識の感覚にも支配されている。ほんまに困ったら田舎に住んで畑耕して自給自足すればいいっていうのはそうなのだが、しかし、現実に、人間は衣食住足りたら足りたで、他の何か面白そうなことをせずにはいられない傾向がある。

そういう傾向があるのであれば、それを無理に抑圧したり「説教」したりするのではなく、サービス業社会、消費社会というのをある程度肯定して、その中で互いに「食わせあう」という倫理を起動させても良いわけだ。まあ実際、消費って基本楽しいものなので、倫理と遊びが一体になってもいるわけです。

消費社会でお金を回すことの倫理。ただ、それは必ずしも知り合いの店で飲食したりエルメスのバッグ買ったり・・というわりと分かりやすい消費にはとどまらないのだと思う。最近は「貯蓄から投資へ」といってNISAなんかも盛り上がってるけど、貯蓄や投資だって、立派なお金の「回し方」だとは思うんですよね。

日本人の預貯金は1000兆円を超えるともいわれますが、預金だって、ただ単にお金を眠らせているだけではない。銀行は預金残高を根拠に、企業に融資したり国債を買ったりしているわけで、預金している国民の側も、実は間接的に投資に参加しているようなものである。

貯蓄もすでに投資であり、投資を通じて、私たちはカネを死蔵することなく、広く社会全般に還流させることができる。とはいえ、「投資」という営為には不思議なところもあります。

先ほど、人間は衣食住足りて自給自足というのではどこか満足できない。消費なり労働なりで何かしら自己を実現せずにはいられないんだと主張しましたが、

やはりそれでも、自分がどこか非本来的な生活をしていることにも薄々気づいているわけです。

本来は「食えればいい」んであって、そこからすれば、現代人はやたら無駄にモノを消費しすぎだし、また無駄に仕事をしすぎ(ブルシット・ジョブ)である。ただ、現代の高度に産業化された社会でさまざまな付加価値が生産された結果、一応カネだけは、必要十分な衣食住のレベルを超えて、とにかく預金口座には貯まっている。サービス業という虚業(あるいは乞食業)で生きていくしかない私たちは、「同胞のために」、多少無理してコンビニで余計にお菓子を買ったり、Amazonではなく地元の書店で本を買ったりする。でも、そういうのがどこまでいっても本質的じゃないことにも気づいていて、消費することへの疲れもまた感じている。

「年収800万円を超えたら幸福度はさして上がらない」みたいなことが言われるように、私たちは、衣食住のレベルをあまりに逸脱したお金を、うまく使えず、持て余している。よくわからないし将来何かあるといけないから一応貯金したり保険に入ったりしているが、それも銀行が投資に回してうまいこと運用している。消費といっても、人間には身体時間という制約があるわけで、どんなにマクドが好きでも、それを一日中・一年中食べ続けることはできない。

結局、高度成長期の洗濯機とかテレビとかクルマとかって、それを開発し販売する側に、「こんな素晴らしい製品を、一人でも多くの人に味わってほしい」という熱量があったんだと思いますが、今は多くのビジネスで、「自分なら買わないようなモノを消費者に売りつけている」という風景が濃厚になっている。アップルを創業したスティーブ・ジョブズだって、我が子にはiPhoneを使わせなかったし、また、市井の普通のサラリーマンだって、自分の仕事について、「自分の子どもにはさせたくないなあ」という感覚をうっすらもっているようにも思います。中学受験や海外留学も、自分みたいにならないためにさせている節がある。

私たちはお金を持て余している。

お金はお金で、何かしら行き場を探している。

お金貯まってもとくに買うものがないから、保険や投資信託のような形で、資産運用に回していく。

衣食住が足りて、日常的な製品についても、ユニクロ、無印良品、アップルあたりで十分すぎるので、お金もあまり使わなくなる。それでも世の企業は何らかの需要に応えて顧客を確保していかないといけないので、全体としては、そこまで需要のないニッチなものが増える。ハゲ薬とか糖尿病治療薬(やせ薬)みたいな、今までだったら「仕方ない」で済まされていた(あるいは悲壮な個人的努力に委ねられていた)ようなニッチな分野が市場として開拓されるが、普遍的なニーズではないので、全体としてカネはますます消費よりも投資に回り、投資に回るからさらに再び変なニッチ商品が開発され、世の中がマイノリティに対してちょっとずつ住みやすい世界になる一方で、カネはますます余り、投資に流れていく・・みたいなサイクル。

これが、まあブルシット・ジョブが増えたり、変なよーわからん進歩が繰り返される背景ですよね。カネはカネで何かしらの行き場を求めているので、余ったお金がどうでもいい進歩のために使われていく。別に、通信が0.02秒から0.01秒に短縮されたところで、どうでもいいっちゃどうでもいい進歩なわけです。でも、じゃあお金他に使い道あるのかっていうと、これといってない。とりあえず貯金でもするしかない。だから、気づいたらそういう行き場を失ったお金が謎の投資に使われて、いつの間にか5GやAIの時代になっていると。


議論が散らかってきたので、以上を簡単にまとめておくと、

近代化とともに衣食住の問題が大方解決されて、私たちはサービス業に従事して謎の付加価値をせっせと生産してカネを稼ぐようになったが、衣食住が足りていることに変わりはないので、稼いだカネを何に使ったらいいのかわからない。その結果、日本人の預金通帳は1000兆を超えるまでになったのだが、それも、銀行なり投資信託なりを通じて、とにかく経済の発展に使われている(らしい)。個人のレベルでもカネの使い道がよくわからないが、カネもカネで行き場を探しているので、98点まで来ているものを100点に上げるような、誰得かわからない謎の進歩のためにカネが投資される。それで出来上がった商品・サービスも、やはり相変わらず「なくてもいいっちゃいいもの」なので、人々はますます貯蓄や投資の方にカネを回すようになり、そしてそのカネで、再びよくわからないニッチな需要向けの商品開発がなされていく。自分は絶対買わないけど、きっと世界中の誰かが買ってくれているから、なんとか保っているんだろうなあ・・的な感覚で当座は正当化しておくほかない、というか。

現代の資本主義はまだまだ謎が多い。

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