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大脇幸志郎「なぜテレビの健康情報は間違いなのか」〜シラス講義メモ

先日、シラスで放送された大脇幸志郎先生の講義、タイトルは「なぜテレビの健康情報のほとんどはまちがいなのか」について、覚書。

  • テレビの健康情報はほとんど間違いと断じてよい

  • なぜなら、実験をしていないから

  • 正確には、実験の名に値する実験がなされていないから

  • ミクロな物質や細胞レベルの機序を解明しただけでは、それがそのまま「健康に良い」という主張には結びつかない(飛躍しすぎ)

  • 「一日8000歩で健康に」(京大)も因果が逆かも。歩くから健康なのではなく、8000歩歩けるくらい健康な人が可視化されただけではないか(そもそもデータの取り方も雑)

  • 解明」とか「突き止めた」という表現が出た時点でアウト。結局、入力と出力の中間に入る専門用語を増やしただけだから。梅干しに含まれるクエン酸が〜とか、そのクエン酸で活性酸素が取り除かれて〜などというのは、喩えて言えば、東京から新幹線で大阪に行きたいのに、途中の名古屋の次の駅がどこであるか解明したようなもの。「大阪に行くには名古屋を通過しないといけないらしい。ではその次は何駅なんだ?」というわけで枇杷島駅を解明するのに成功するが、そこを通るように行くと、大阪にはやはりなぜか辿り着けない。枇杷島は在来線なのだ。

  • 個人的には「〜な効果が期待される」という表現もアウトではないかと思う。いろんなことを解明して専門用語を並べたあとにしばしばさりげなく付言されている表現だが、これも、大阪の直前の駅まで解明(天満でも北新地でもいい)されたから、あとはそこを通って大阪駅まで行けることが「期待されます」と言っているようなものだろう。

  • 正確な実験をやろうとして行き着くのがランダム化比較試験(RCT)

  • だがRCTですら、数多のバイアスに曝されている

  • 治りそうな患者に新薬を使って、治らなさそうな患者には偽薬を使うみたいなバイアスも

  • そもそも「対象群で条件が同じになるようにする」試み自体が結構けものみちな気がする。条件を揃えること自体に多大な労力がかかるがゆえに、そこからバイアスやノイズが完全に排除されることを期待すべきではない

  • 「ランダム化比較試験というよくできた方法を使っていても、いろんなところにバイアスが混じり込んでくるもの。だからまあ、バイアスをなくす方法というのは、ありません。どんな実験をしても必ずバイアスはあると考えておくことこそが大事」(大脇)

  • システマティックレビューなら信頼できるか?

  • 既存のあらゆる文献・データを収集して、それ以上やれないというところまで分析しても、それが真実であるということとは別

  • 結局、それをやっているのも人間だという事実。RCTでもそうだったが、人間というバイアスは過小評価できない

  • 研究は人間的、特に政治的要因に左右される

  • 「なぜ大抵の論文は嘘ばかりなのか」という論文

  • 大抵の論文は、小さい実験ばかり実践し、小さい効果ばかり強調し、絞り込まず多くの関連を試し、研究方法がそもそも曖昧で、利害関係や思い込みだらけで、無駄に多くのチームを投入してばかりである

  • 「医学論文に載っていることは、事実として間違っている場合が多い」(大脇)

さらに自分の言葉で簡単にまとめておこう。

  • 誠実なエビデンスを得るにはちゃんとした実験が必要。

  • しかし、実験をちゃんとしたものにしようと思ったら、様々な因子や可能性について膨大かつ綿密な検証が必要になる。バイアスを取り除く努力自体がとても膨大になるので、一般大衆としては、その実験がちゃんとしたものであるとは最初から期待しないほうがいい。

  • そしてだとすると、その実験から結論されるエビデンスや論文の正確性もまた期待に値しないものだとアプリオリ(先験的)に推定できる。

  • したがって、そもそも科学的な研究の成果は相当部分疑ってかかる、なんならはじめから相手にしないという態度が実践的に推奨される、と。

*   *   *

大脇さんが紹介していた「なぜ大抵の論文は嘘ばかりなのか」という論文で示唆されているように、論文というのはおしなべて小さい実験ばかり実践し、小さい効果ばかり強調するものだ。これは研究が進展すればするほどそうなる。哲学研究者のレオ・シュトラウスが看破していたように、科学的な研究というのは、Knowing more and more about less and less(どうでもいい知識ばかり増えていく)な根本趨勢を帯びている。そして不幸なことに、医学研究では、いわばlessをmoreに化けさせるメンタリティに歯止めがかかりにくい。部分的な真理とか蓋然性を部分的な話で終わらせず、うっかり長い物語にパッケージしてそこに潜り込ませて「飛躍」させてしまう。必要な行程を飛ばしてしまうのだ。だが一方で、その必要な行程を一つ一つしっかり辿り、充足させていくことができるかといえば、上の覚書で見てきたように、そもそもそんなことは期待すべきではなく、したがって、健康情報としてパッケージされたものは、その時点で相手にしないでおくことが得策となる。「本当のリテラシーっていうのは、テレビでおもしろおかしく言ってることっていうのは、あれは全部嘘なんだよと。見てその場でハハーおもしれえって言って楽しんだら忘れるべきなんだよと思っておくというのがリテラシーなんですよ」(大脇)と。

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