わたしが部活をやめた話

私は高校時代までは比較的まじめでおもしろくない人だった。だからまじめに部活に参加していた。

私が所属していたのは陸上部。専門は走り幅跳びをメインとした跳躍競技。
最初に言っておくが私は運動は得意ではない。もともと体幹が非常に弱く、電車で毎回フラフラしてしまうような人間である。

そんな私に一番向いていたのが走り幅跳び。走って踏み切ればいい。その単純さに私は惹かれた。ちなみに短距離もある程度は練習していたが、スターティングブロックを用いてスタートをするのが苦手であったためやはり適正はなかった…

中学校の時から高校1年終了までは走り幅跳びだけで試合に出ていた。

私の言っていた中学校は田舎の自然豊かな環境にある場所に立っていた。どの部活もみんな部活の垣根を越えて、仲が良かったし、変な選民意識もなかった。だから校庭を使用していた部活(野球部。サッカー部、陸上部)は順番にみんなで分け合って使えていたし、私も走り幅跳びの調整をたくさんできた。
中学校の時は普通に4メートル近い記録を出せていたし、助走の距離も、テンポもきちんと練習できていた。そんな環境だった。

しかし、私が進学した高校はそんな恵まれた環境ではなかった。野球部が強いとされる自称進学校だったのだが、校庭は使わせてくれないし、走り幅跳びの練習ができる砂場なんてなかった。砂場だった場所は野球部の校庭整備に使われてしまい残骸となっていた。野球部が一番偉いんだ、そんな妙な選民意識が根強かった。

走り幅跳びの練習をしたいのであれば外部の競技場に行かないといけない。ただ外部の競技場で練習するためにはお金もかかるし、準備に人手もいる。
練習はまともにできないのに大会に出るのは強制。
本気でやる人はお金を出してまで行ったのだろう。ただ私は母に申告しないとそのお金がもらえないといった状況だったため、母にお願いをするのも怖くてできなかった。

それなのに大会に出なければ周りからの顰蹙を買う。何なら応援に行くのも強制。それをしなければ盛大なサンクチュアリが与えられる。(そして集団の凝集性爆上がりという悲しい話。)

私は心身のバランスを欠き、ある時自分の試技の時になんとなく酸素が薄くなってしまったような気がした。周りからの視線が怖く自分がどう思われているのかが不安になりすべてがばらばらになってしまったような気がした。

その後顧問の先生に事情としばらく大会には出ないことを伝えた。

それでもきちんと応援に行った。部活の人は私をどこか腫れ物扱いしていたし、私もなんかここにいたくないなと感じていた。

ある日私は先輩女子マネージャーにつかまってこう言われた
「あやせさんいつまで大会に出ないの?練習もまじめにしないで」

同い年のマネージャーにも同じようなことを言われ続けた。

もう冷めていた。やめる。絶対にやめてやる。


その後幽霊部員になり、高3で自然消滅した。

現在、その彼らの連絡先はすべてブロックさせてもらっている。連絡が来ることもないし、することもないとは思うが、あるというだけで非常に不快なのである。

どんなに自分がやっていることが好きでも心が一回拒否してしまえばそれまでである。

どうか、今好きなことがある人は無理をしすぎずゆるゆると頑張ってほしい。

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