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ありをりはべりゐまそかりで痛みを超えていく

こんにちは!MAIです^^

注射を打ったわけです。ほんとにヤです注射。針がささる瞬間を見ていられません。小学生の頃は担任の先生に抱きしめてもらいながらじゃないと注射できなかった(笑)

なんとかならないだろうか・・・あの瞬間から逃れる方法を・・・

そして「ありをりはべりゐまそかり」というラ行変格活用を心の中で唱え続けるということを編み出したわけです。熟慮の結果、3秒で編み出すことができました。

痛いやつが入ってくるーーーーって思うと、見てないのに、気持ちが痛いことにフォーカスしてしまって、しかも見てない分、いつ痛いのかわからないから、余計痛いんですよ(笑)キタあぁぁぁみたいな。

ありををををを”””りいいいいいいいはぶえええぇりぃぃぃぃぃぃぃっ

ゐっ

ぐらいのところでいっつも終わるw
”ゐまそかり”までフィニッシュしたことがない。フィニッシュさせてくれよ。

なんてことを看護士さんは知らないんだろうな(当たり前)って思いながら現場をあとにするわけです。

何が言いたいのかって、何かにフォーカスをあてると、あてたところのイメージがどんどん膨らんでいくんです。

痛い

と頭の中で唱えた瞬間、頭はそれでいっぱいになってしまって、痛さが倍増するような気分になる。痛い痛い痛いがエンドレスリピートする。脳内が痛いに占有される。"痛い"の炎症が広がっていく。

同じく、

無い

と思うと、いかに"無い"のかを数えるというパラドックスに陥ることがあります。

ちょっと何言ってるかわからないと思うので、具体例をあげますと・・・

スキルが無い
実績が無い
人脈が無い
経験が無い

これですよ。これ。行動する前に思っちゃうことありがちなやつ。コンプリートしてましたよ~!全部思ってましたよ~!

他にも無いものねーがぁぁぁぁって、さらに無いものをサーチする始末。

そして、自分の中で、無いことを”強化して”、もうないないづくしでどーしたらええねん(涙)って思ってました。

そして、無いことを確認して、迷わず、どうしたらいいんだに陥ることができたんです。おさまりがいい。

でもちゃんと"ある"んです。"ある"ものを数えたことがないだけで、さらにフォーカスしつづけたことがないだけで、”ある”んです。

"ない"って思ってるのは自分だけで、少しずつでも行動を起こしておれば、"ある"ことに気づけるタイミングが必ずやってきます。

それは自分で気づく、というよりも人に教えてもらうことの方が多いように思ってます。

自分ではネイティブに当たり前にできてることって、人にとっては当たり前でなかったりします。空気のように吸って吐いてるから、特別だって思えないんですよね。だから気づかない。

しかも自分ができてることって意識したことがなく、頭の中で”言語”として認識してないから、余計、気づいてないってこともあります。

それを言語化して教えてくれるのは、自分ではなく、他人だったりします。

これがすごいね!とか、これが得意なんだね!とか、よく言われることです。なので人に逢いにいけばいく程、言語化が進みます。

”ない”ことにフォーカスしても、"ない"ことしか見つかりません。"ある"ことにフォーカスしつづけるから、”あった”ことに気づける瞬間がやってきます。

何があるのだろうか?を頭の片隅で問い続けると、空白を埋めようとする脳が答えを見つけてくれます^^

これが人に逢いにいくことの一つの醍醐味かなって思うのです。

さぁ!今日もアポるぞー!

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