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現実を見ろという人の現実なんて”なんぼのもんじゃい”精神を確立する

こんにちは!MAIです^^

”現実”という言葉に惑わされてはいけません。

なので、自分が見ているものが”現実”と定義するのだ!と決めております。

それは自分が編み出した自分だけの物語を生きるということです。

不意に「現実」という言葉を、胸にさされる時があります。

「もっと現実的に考えろ」
「現実を見ろ」
「現実は甘くない」
「現実では食べていけない」

こんな風に言われたとき、ダメージをくらうんだわーい。うるせーわーい、と思いながらも、ささるんだわーい。

(∪ ´ω` )ワイもたまにはふるふるするんだY。

それは、自分が思い描く自分の物語が、挑戦的であったり、創造的であればあるほど、ゆるぶりがおっきくなるっていうか。ぐぬぬぬってなる。

だってまだ手に入ってない、これから生きる物語ですから、自分の現実として具現化に至ってないのでうまく反論できないのです。

そこをつついてくるってズルいよね。

自分よりも成功しているように思われる方や、仕事がうまくいっていて社会的に立場がありそうな人に言われると、そうなのかな?って一瞬考えさせられることがあるんです。

そこで大事なことが、それが的を得たアドバイスなのか、聴く耳を持つ必要がないマウンティングなのかを聴き分けるということであります!

それが的を得たアドバイスなのかどうかは、自分の気持ちがどう着地したか?で考えるようにします。

そのアドバイスの通りに生きた自分で幸せになれると思うならイイんですけど、そうじゃないなら、どんなアドバイスも続きません。

こんな風に”現実”って言葉を使って自分の物語を否定されると、何か、心の柔らかいところを爪楊枝でつつかれているような、毎回沁みる口内炎のような、そんなチクってした気持ちが起こることがあるんですよね。

しかぁし!

この”現実”って具体的なものを指しているようで、まったくもって抽象的!具体的に聞こえるんですけど、その中身は抽象的。

なんやねん、”現実”って、と思います。

それは、その言葉を使った人の”現実”であって、私の"現実"とは違うんです。”現実”の捉え方がまるで違います。

現実的に考えろ、というのは、その人が考えるように考えろ、とうことです。

現実を見ろ、というのは、その人が見るように見ろ、ということです。

現実は甘くない、というのは、その人が生きている世界が甘くない、ということです。

現実では食っていけない、というのは、その人の基準では食っていけない、ということです。

MAIなんかは、むしろどうやって生きたらこの日本という国で食っていけなくなるのか、と思うわけです。

それぞれ別の物語を生きてるわけですから、見ている”現実”なんて、千差万別、千変万化する目の前のドラマです。

そんなどうとでも解釈できる現実を、さも自分が生きている現実が正解かのように説こうとするのは、なんぼのもんじゃい!で蹴散らしましょう。

そうして”現実”の押し売りはやめておこうと思ったのでした。

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