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イライラの奥にあるもの

イライラしたことがありました、MAIです^^

聖人君子ではありませんので、イライラすることってあります。イライラは人の感情です。本能です。湧いてきて当たり前です。感じ切ってあげましょう(と自分に言い聞かせ)

すっごく、むっすぅ~とした雰囲気で、本当にその仕事嫌そうですね、みたいな顔で、レジのお会計をしてくれた人がいました。おまけに、同じ商品を2回も”ぴっ”ってされたらしく、後で返金対応に店に戻るという。

時間返してよと、お店に戻る道中、気持ちを少しもっていかれてしまいました(笑)

よくイライラの原因を、人に見出していました。

あの人がこうしたから
あの人がこう言ったから
あの人がこうしないから

イライライライライラ(震)&我慢。

でもこの現象って、本当はただの”キッカケ”なんです。”あの人”はありのままで生きてるだけなんです。でもそこに自分が意味をつけて反応しちゃうのです。

どう感じるか=どう意味をつけるか?だと思っています。

本当のイライラは、この”キッカケ”に、自分の内面が化学反応を起こしたときに、イライラ電流が流れます。

私の内面にあったものは”仕事はキッチリ&マジメにしなければならない”という信念です。

そうあらねば、と思っているので、キッチリ&マジメに仕事しますし、もしそれができない自分がいたなら、自分を否定しますし、さらに、それができない他人がいたなら、その他人すらも否定しはじめてしまいます。

単なる現象(むすっとした人がレジをピってしてるだけ)をキッカケにして、自分が持つ信念(期待)に答えられない他人を心の中で責めはじめてしまうのです。

自分の中にある「こうあらねば」を他人に投影した結果、イライラが発生したのです。期待メガネというか、要望フィルターというか、そんなものを通して他人を見ちゃうのです。

自分に対する期待と要望が、他人という鏡に反射して自分に返ってきました。自分に課した期待が苦しいからイライラしちゃったんです。

こんなとき(イライラしたとき)、本当はどうしてほしかったのか?本当は何を感じたのか?を感じなおしてみるようにします。

本当はただ「気持ちよく対応してほしかった」。でもそれが実現しなかったから「かなしかった」ということだったんです。

イライラしてたんじゃないんです。イライラしたかったのでもないんです。ただただ、悲しかった、だけなんです。

あー、私、かなしかったのか。

みたいなことを道中考えていると、気持ちが落ち着いてきました。ネガティブな感情であっても、本音や本当の感情、を認識できると、心が少し楽になったのでした。

お金も返ってきましたし(笑)

今は機嫌よくコーンスープを飲んでいます(喜)


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