【遠距離現在 Universal / Remote】素人なりに現代アートを理解しようとした話 2【感想文】
3月某日、突如ぽっかりと暇ができたので国立新美術館に行ってきた
超~久々に来た気がする
数年前に行った佐藤可士和展以来かもしれない
今回の目当ては「遠距離現在 Universal / Remote」という現代アートの企画展
やばい、ちょっと難しいかもしれない
けど、以下の一言が最も端的で分かりやすい説明かな~と思った
個人的に面白いな~と思ったのは、コロナ禍におけるリモート社会を「コロナ以前の作品を通して振り返っている」という点
コロナ禍を乗り越えた我々からすると「コロナを意識した作品なのかな~」と思ってしまうような作品が確かに多かったような気がする
もしできるのであれば、コロナの前と後で自分がこれらの作品に対してどういった感想を抱くのか比較したいと思ったりした
実際に展示作品を見た上で、本展の内容を自分なりに噛み砕いて言語化してみるなら、「『デジタル化・グローバル化によって拡大する社会』と『人-人や人-社会の"遠さ"』が二大テーマになっている企画展」って感じですかな~~~~~
上手く表現できてない気もする 難しい
以下、特に印象的だった作品に関する雑多なメモ
展示作品に関するネタバレを含みます!!!!!!映像作品のネタバレもあるので、これから見に行く予定の方は要注意で!!!!!!!!
なお、これを書いている人間は現代アートに関して全くの素人である、ということをどうかご承知おきください!
とんぼの眼/徐冰
(映像作品だったので写真はないです!)
制作中の様子を撮影したドキュメンタリー映像も含めると90分近くある、かなり大ボリュームな映像作品
個人的にはこの作品が本企画展の中で一番好きな作品だった!
これはYouTubeにあった予告編
「ネット上に公開されている監視カメラ映像のみを使って一本の映画作品を作る」というかなり挑戦的な作品
まずこのアイデアがめちゃくちゃ面白いと思ったし、世界屈指の超監視社会なんて言われる中国ならではの試みだな~と思った
けど、将来的には世界中の映像を使って同じような映像作品が作られる日が来るのかも?
監視カメラの映像を使っているので、各シーンで登場人物を演じている人達はそれぞれ別の人ということになる
故に、この作品に主演・助演は存在しない(音声は後付けなので、そういう観点で言えば演者はいるけど)
映像を切り貼りして全く別の物語が紡がれていくこの感じに対して、俗にいう「メディア/カメラの暴力性」のようなものを感じてしまった
映画内の殆どの映像が監視カメラという「どこか他人事な視点」からの映像であるが故に、「他人の生活模様を勝手に覗き見ている」ような感覚がして全体的に妙な薄気味悪さが漂っていた
あと「これ本当に監視カメラの映像なの???」みたいな視点の映像もちらほらあって怖かった
「誰かがパソコンの前で普通に仕事している映像」とか「寮の一室のような所で数人が麻雀をしている映像」とか
(これらについては監視カメラというより、ニコ生のような生配信の画面なのかもしれない)
解説に「ネット上に公開されている映像を使った」とあったから、「これらの映像全てが誰でも閲覧可能なんだよな・・・」って思いながら観ると物語の本筋とはまた違った怖さがあって面白い
あと単純にストーリーが怖かった これを「ラブストーリー」とカテゴライズして良いのか・・・?
心当たりあるご親族へ/ティナ・エングホフ
「孤独死」をテーマにした写真作品
孤独死の現場って「社会システムから切り離された空間」の最たる例なのかもしれない
実社会との社会的な距離がとても離れてしまっているように感じる
一方でコロナみたいに、人と人との物理的な距離が離れてしまっているが故に発生する現象でもあるのかもしれない
ムズカシイネ・・・
解説文を読んだけど、実際の現場の写真なのか、創作なのか、という点が微妙に分からなかった(自分は前者だと解釈した)
どちらにせよリアリティがすごい
空間全体をうっすら取り巻く「死の気配」みたいな何かにちょっと心がザワザワしてしまった
こうえん,うみ 他/木浦奈津子
実際に存在するどこかの景色を基に描かれた油絵たち
短時間で一気に仕上げることによって、必要最低限の情報のみが絵として残っている
確かに近くでよく見ると、筆の跡が見えて勢いの良さがよく分かる
そうやって景色を抽象化することによって、誰しもが「いつか見た、どこかの景色」と思えるような仕上がりになっている
実在する景色を基にして描かれているから現実的な筈なのに、ド派手な抽象化によって、ふわふわした、非現実的な仕上がりになっている
・・・といった感じの解説文を読んで「なるほど!!!!!」となった
個人的に、かなり納得度が高くて腑に落ちる解説文だった 「素人でも何言ってるのか分かるぞ!」度、高め
極端に短い時間で仕上げることによって大幅に抽象化されたそれらの景色は、確かに「いつぞやに、どこかで見たような気がする景色」に見えた
多分、見る人全員がそう思っている
あなたが生まれてから/エヴァン・ロス
木浦奈津子氏の作品の余韻を引きずりながら、次の作品に行くか~と角を曲がったら、
これ。
超~びっくりした
ついさっきまで「大胆に抽象化されたどこかの景色」を眺めていたが故に、突如「めちゃくちゃ解像度の高い大量の情報」が視界に飛び込んできて、思わずその場で立ち止まってしまった
「インターネット・キャッシュ自画像」というシリーズの中の一作品とのこと
本展で展示されている「あなたが生まれてから」は、作者の元に次女が生まれた日以降に作者のコンピュータにキャッシュされた画像が敷き詰められた作品
娘さんはこの作品を見た時、一体何を感じるのだろう・・・とか考えてしまった
これも一種の「親から子への愛」と言えるかもしれない
確かにシリーズ名の通り、現代社会においてキャッシュ画像って「その人をその人たらしめる要素」の一つであるのかもしれない
キャッシュ画像はその人の人間性を映し出す鏡なのかも?
裏を返せば、キャッシュ画像によって自己を表現できてしまうくらい、我々はコンピュータを触りすぎている可能性がある
キャッシュ画像なので自らの意思で「見に行った」と思われる画像だけでなく、ブランドロゴや広告のような「無意識的に飛び込んできた」と思われる画像まで、とにかくあらゆる画像が節操なく羅列されていた
現代社会に生きる我々は普段、これだけの量の情報を(意識的・無意識的問わず)視界に入れているのか・・・と考えるとちょっと怖くもなってしまった
おわり
現代アート展についての感想文は昨年公開したタグコレ以来でした
本当はタグコレ以降も現代アート展にちょこちょこ足を運んでいたんだけど、多忙を言い訳に感想文をサボってしまっていた
反省
自分みたいなズブの素人からすると、正~直、現代アートの内容って殆どが「解説文読んでもよく分かんね~~~」って感じなんだけど、その「よく分かんね~~~」の中にある「これは何となく分かるかも」な部分を探すのが個人的には面白い
アートという性質上、絶対的に「分かる!」って断言できるものは殆どないんだけど、相対的に「ここは分かるような気がする・・・」みたいに感じる所はちらほらある
この「分かんね~~~」の中から「ちょっと分かる~~~」を探す作業が「自分流現代アートの楽しみ方」って感じです
あと「よく分かんね~~~」な部分に関しても「何がどう分からないのか」をちゃんと考えてる時間は結構楽しい(感想文としては「分かる」の部分に焦点を当てて書いちゃってるけど)
「分かる」「分からない」どちらの感覚に関しても頑張って解像度を高くしていきたい気持ち、あります
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