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Wedding Epilogue
あまり個人的なことをnoteでは書かないつもりでしたが、書きたい衝動を抑え切れず、パソコンの前に座っています。
先日3月19日に結婚式を挙げさせていただきました。
コロナ禍のため、家族や親戚、そして今でも仲良くさせてもらっている旧友だけに来ていただき、ささやかに開催。お越しいただいた方も、残念ながら来ることが叶わなかった方も、私にとってはかけがえのない大切な存在です。たくさんの祝福のメッセージに心から感謝申し上げます。
ありがとうございました。
お陰様で、素晴らしい式になりました。コロナ禍で長らく再会できていなかった家族や親戚、友人と一緒に過ごせたことが何よりの喜びでした。
まだ、余韻に浸っていた昨晩のことです。
寝る前に、井上靖さんの『孔子』を読んでいたところ、この言葉に出会いました。結婚式直後に、このいかにもお堅そうな本を読むというギャップには、我ながら不思議に思っています。笑
子在川上日。逝者如斯夫。不舎昼夜。
(子、川の上に在りて曰わく、逝く者は斯の如きかな昼夜を舎かず)
愛弟子である子路や顔回に先立たれた孔子。
ある時、川の遠く、流れの果ての方を見ながら言います。
過ぎゆくものは、みな、この川の流れの如きものであろうか。昼も夜もとどまることはない。
![](https://assets.st-note.com/img/1647996551801-EebT7JXFCS.jpg?width=800)
撮影日:2022/1/23 場所:岐阜県
誰よりも人間らしい孔子のことです。愛弟子の死に際して、人の一生も、一つの時代も、人々が造る歴史も、この川の流れのように、移ろいゆくものである。その儚さに対する嘆き、悲しみ、寂しさを唄ったのだろう、と思います。
人と人が出会い、結ばれる喜びも、大きな時代の流れの中であっては、本当に小さな一つの出来事に過ぎないのかもしれません。
私たちの結婚も大きな流れの中で、いずれ過ぎ去っていくものだと思います。
それでも、あの日の喜びを大事なものとしてずっと心に留めておきたい。
と思うのです。
孔子のこの言葉は、さまざまな解釈があって、中には人生教訓のように語られているものもありますが、ここではあえて、感じるままに書き残しておきたいと思います。
それにしても、話は逸れますが、井上靖さんの文章は平明です。時代が過ぎ去っても読まれる文章というのはこういうことなのでは、と教えていただいている気がします。
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