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眠れない夜に書き綴ってみた。
今夜は眠れない夜です。
皆さんは、どんなGWをお過ごしですか。
僕はGW前にコロナ陽性になり、ずっとホテル療養をしていました。
もうすでに体調は回復していますが、どうやら昼寝をしたことが原因で、眠れなくなったようです。
そこで、最近考えていることについて書き綴ってみます。
「人は死んだら終わりなのか。」
という問いについてです。もし僕と同じで眠れない夜を過ごしている方がいましたら、読んでいただけると嬉しいです。
お婆ちゃんのお葬式での話
僕は、人は死んだら終わりなのだと考えます。
けれど、死んでも終わりじゃない!と信じている自分もいます。
それはあるエピソードがきっかけです。
昨年6月に最愛のお婆ちゃんが亡くなりました。享年89歳でした。
僕が知っている中で一番若い頃のお婆ちゃんは、とても怖い人でした。
毎年お盆休みには、家族で祖父母の家に帰省します。久々の祖父母の家にテンションが上がってしまい、靴を揃えず家に上がろうとすると、すぐにお婆ちゃんに叱られたものです。
しかも、その叱り方が・・・
「あんたたち、靴を揃えなかったらお爺ちゃんに家出されるわよ!」
実際にお爺ちゃんは温厚な方で、叱られた記憶は全くないのですが、この本当はお爺ちゃんは怖い人なのかもしれないと思わせるやり方に、幼かった僕は怖さを感じたのでした。
そんな怖くてエネルギッシュなお婆ちゃんでしたが、晩年は陽気でユーモアのある方でした。
印象的な思い出として、はじめて妻をお婆ちゃんに会わせに行った時のことです。
お婆ちゃんは僕の母を指差し、「きっつい義母さんでしょう?ごめんねぇ。」と妻に言って場を和ませてくれました。帰り際は陽気に「グッパーイ、グッパーイ」とお別れ。
この時が最後になりました。
そんなお婆ちゃんとの思い出はたくさんありますが、僕が、お葬式で思い出したのは、お爺ちゃんが亡くなった後の、一人取り残されたお婆ちゃんの寂しそうな姿でした。
口数が少なくなり、一人せっせと食後の片付けをして、静かに自分の寝室に入る。そんなお婆ちゃんが心配で、中学生だった僕は、毎晩のように、寝る前にお婆ちゃんの寝室に行き、お婆ちゃんの話を聞いていました。お婆ちゃんの話には、いつもお爺ちゃんの話が出てきました。
大事なのは「I LOVE YOU」よ
お婆ちゃん「あの人はね、いつも私に”I LOVE YOU”って言ってくれたがね。”I LOVE YOU”よ。大事なのは、”I LOVE YOU”」
「I LOVE YOU」
中学生だった僕がこの言葉の真意を理解するには、少々若すぎたようです。
しかし大切な人に出会い、結婚した今となっては、この簡素な英語が心に響きます。
愛する人が側にいる喜びも、その人を愛し、その人に愛を伝えることの大切さも、お婆ちゃんに教えてもらった気がします。
お婆ちゃんの言葉は僕の中で生きている。そう感じたエピソードです。
故人の言葉は心の中で確実に生きている
人は死んだら終わりなのかもしれない。いやきっとそうだろう。
僕は大好きなお婆ちゃんと一緒に過ごした日々の喜びを、忘れてしまっていることに気づく瞬間があります。その瞬間、人は死んだら終わりなんだと思うのです。
それでも、お婆ちゃんの言葉は、僕の心の中で確実に生きている。
お婆ちゃんがくれた「I LOVE YOU」という言葉は、時に僕を叱ってくれたりもする。
そう思うと、人は死んでも終わりじゃない!と信じたいのです。
さて、皆さんはどう思いますか。
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