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揺れる葛藤の中で

私は、2年間ジブチで溶接科の高校の先生として青年海外協力隊で活動してる。

ジブチで生活していると、過度の貧困が目に入る。

海岸沿いの砂浜で寝る人たち。
信号待ちの度に物乞いをする子供たち。
家と呼べるのか自信がないトタン板で組み立てられたスペースで生きる家族。
裸足で物乞いをしている少年。
私が片手にペットボトルを持って歩いていると、その水がどうしても欲しいと言い寄ってくるこども。

彼らに何かしてあげたい。

「ここからでは何もしてあげられない」
と言ってた日本にいる時とは違う。

目の前の裸足の君に200円のサンダルをプレゼントすることだってできるし、
毎日2Lの水をあげることだって無理な話ではない。

何もしてあげられない。ではなく、
何でもしてあげられる。
に変わったんだ。

だからこそ、自分の力の範囲で彼らに何がしてあげられるのかを定めて、行動したいのだ。

でも、躊躇したくなる自分もいて。
物乞いの子供一人を支援することは容易だけど、無限のようにいるストリートチルドレンたちを支援することは無理だから。
だから、どのようにどのような規模で支援すればいいかで悩み始めて立ち止まってしまうのだ。

僕が億万長者なら、孤児院のようなものを作って彼らが安全に寝れる場所を作ってあげれるし、満足できる量のご飯を3食届けて、
彼らは、物乞いしていた時間を勉強する時間に代替できるかもしれない。

しかし、僕はお金持ちでも何でもない。
だから、少ない軍資金の中で彼らに最大効果を出すことが何かで悩むのだ。
それと、僕が何を目標としているのかもよくわからなくなるのだ。

ぼんやり、彼らの生活がよくなればいいな。
とか思っているけれど、それでは彼らが将来につながる本当の問題の解決につながる気がしないと思うのだ。

今この瞬間、彼らに物乞いしなくて済むだけの現金を上げてもどうせいつか底が尽きて、また物乞いすることになる。
じゃあ、彼らに教育をしようと思っても、
まず教室がないし、
彼らに効果的に教えれるかな。

子ども食堂を1日開いたところで、彼らのご飯は一回分しか助けてあげられないし、

結局私は、彼らに何をしてあげたくて、彼らがどのような未来を歩んでほしいのか。を明確にしないとこれ以上進めないのだ。

もっと情報をあつめること。
そして、
【やってみようと思ったことをとりあえずやってみること】
を大事に残りの1年8か月過ごしていこうと思う。

とりあえず挑戦して失敗してみないと駄目な気がするんだ!!!!

失敗さんよ。かかってこい!!!

絵夢  note '失敗さんかかってこい'


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