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記憶、自伝、メモワール

格差により敏感になれるような転換が人間に起こらないか?

自らが行使しているパワーってものをなるべく正確に感じられるようになるにはどういう変化が必要なんだろうか?

そういうことを考えている私ですが、その方策として、過去の振り返り方を見直してみる、というのはどうか?という考えが浮かびました。

きっかけはとあるエッセイを読んだことなのですが、「面白いこと言うなあ」と思ったのが、その著者さん曰く、自分の場合(70年ちょっとの)自伝を書くと仮定して、記憶を紐解くというと、自分の生の記憶というよりも、圧倒的に自分が読んだ物、つまりは自分以外の誰かが語ってくれたことになってしまうのだそう。

みなさんはどうでしょう?

まあその方の場合、お医者さんであり、病気や(アンチ)エイジングについての研究もされていることもあり、「誰かが語ってくれた記憶」というのも、遺伝子に刻まれた記憶、はたまた、私たちの祖先も祖先、何十億年前のバクテリア(の記憶)にまで遡ってしまうのですが。。。

なんか面白い手だなぁと。

これも記憶というより歴史を辿る感じになってしまうのですが、メジャーな歴史的イベントというか史実の大まかなところ(関係する人物や組織など)はともかく、それらを取巻く状況や環境について、「筋が通るように」という条件はあれど、かなり大胆に様々な仮説を立ててみる、という方法。これなんかもいけるんじゃないか?と考えています。

例えば正統派の歴史では名前なんて絶対出てこない、主要人物の部下の部下の部下とか、遠い遠い親戚とか、友達の友達とかを想像して、もっともらしい話を仕立て上げる。どうやってその(歴史的)事件は起こったのか?起こらねばならなかったのか???

格差などは今現在拡大しつつある問題なので、過去を振り返る、しかも空想マガイやバクテリアなんて話を語って一体何の効果が期待できるのか?疑問に思われることでしょう。格差に限らず、社会の様々な問題を解決するにはそこで暮らす私たちが、繋がり合い、支え合いをよく理解するようになることが重要で、そのために良好なコミュニケーションというのは欠かせないと言われています。分かり切ったことのようで、現代のコミュニケーションの様子を見ていると、忙しいといいますか、様々な人と関わり合うとしても、いや様々だからこそでしょうか?都度その出来映えといいましょうか、その場を切り抜けるといいましょうか、出会い触れ合いの時点(その時々の現在)のお互いの姿形、周辺環境、時事などなどに意識が集中しがち。「集中しがち」とはいえ、出会う人々にはそれぞれメモリーもあり、つまり、過去を踏まえているわけなので、過去からの経緯を全く振り返っていないわけではありません。けれどもやはり無難で画一的な踏まえ方(巷に出回っている歴史)に落ち着いてしまう傾向が強くなってしまう。そうなると、その時点(現在)で持っているものの違い、それが支配する人間関係なんかを大きく変える可能性も随分と低くなる。変わらないだけならまだしも、現状観察されているとおり、どうも格差は広がっているようです。現在の問題を何とかすることが大切とはいえ、こと問題が格差であるなら、ここ(現在)に至るまでの経緯について、多種多様な見解が交錯することで、例えばとあるグループの行使できているパワーの源泉が再確認され、それを踏まえて現在の力関係を定義し直してみようか?というような機運も生まれるのではないか?そういうアイデアなのです。

歴史小説っぽいと思われる人もいるかもしれませんが、歴史小説というとちょっと仰々しい。ということで「自伝」よりもさらにお手軽そうに聞こえる「メモワール」なんて呼び名を揚げてみました。(これも上で触れた最近読んだエッセイからのパクリなんですが。。。)

過去からの成り立ちを振り返る(想像してみる)ということは、そうする人自身の振り返りにも役立つそうです。さらに思い出してみたことを書き留めると、「書く」という作業にも「自己振り返り」の要素があるとのことなので、効果倍増!ということにはならないでしょうか?特に「今現に行使しているパワーって案外おっきかったんだなぁー」というような気付きを得るという面で。そして、そういう気付きがあってこそ、世の中の格差、不平等をどうするべきか?というアイデアも、より具体的にイメージできるようになるのではないでしょうか?


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