オレオレ詐欺は所得の再分配か?
本当に悪い奴って誰?
いい服を着て旨い料理を食べてる、という説も巷にはあるらしいけど。
プラスチックやゴムが空気に触れて劣化するのは、我々一般消費者には防げない。そのことを我々一般消費者はあまり気にしない。製造者なら、防げないことぐらいは知っている。強靭なメカを作り、劣化を避けられないバンドに装着。強靭・精巧をウリとするメカは、修繕修理、クリーニングも全て製造者対応だ。
バンドが切れたらさようなら。
って。
できるわけないっしょ!!
でも素晴らしいデザインや性能のメカを矢継ぎ早にマーケットに流し込むメーカーを「阿漕な商売だ」と非難することはあまりない。たまにはあるけど。
生まれた時点で、人間はいい人だ。
乱暴に思われるだろうけれど、私は、そういう理解でいいと思っている。
生まれた時点ではいい人も、成長とともに、常に行うことが悪い、なんて場合も出てくる。
さすがに「常に」だと、もはや極悪人にしか見えないだろうけど、「行い」ベースで見るなら、ほとんどの人間は少なくとも小悪人だろう。
私たち人間のいたいけさは、生まれ持っての善の魂と、行いに必ず混じる悪の要素とのギャップにあるのだろうともみることができる。
大多数の人間は、そういったいたいけな部分を携えながら、日々、平気そうな顔をして生きているともいえる。
モノゴトの本質?
そんなものにゃ無頓着だとしてもね。
個々人ベースではそうした比較的やさしめな見方はできるし、それでいいとも思っているんだけれど、人間って群れるじゃない?やっぱり。なもんで、群れ方については結構厳しめの見方をしてしまう。
「あんまりそのやり方、フツ—って思うなよ!」と。
ワタシお得意のぼやかしまくった抽象的な表現ですが、どんな群れ方にせよ、自らOKを出しているような輩たちには漏れなくムカッとくる。
群れ方なんて様々なんだけども、現代目にする群れってのは、漏れなくカンタンな方に流されたもの。
カンタンってのは目に見えるもの勝負ね。
なんでそんなことが断言できるのか?
敢えて難しいことに拘るってことは、群れないってことだから。
勘違いして欲しくないのは、群れない群れないっていくら言葉で言ったってムダで、結果的に群れてしまう以上、漏れなくカンタンな方に迎合、服従してしまうということ。
群れないというのは実質不可能。そういうこと。
個々人ベースのやさしめの見方が活きてくるのもそういう事情があってのこと。群れて小悪人を働いたところで、別に構わない。清廉潔白だなんて主張する必要もない。ただ小悪人であることを免れないことは知る。
自己正当化ってんなら、所詮小悪人だってことも含め、正味、自分自身を正当化すればよいこと。
自らが属する群れ???
そんなんたまたま。巡り合わせでしょ?
属する群れが立派だからってそのメンバーが立派か?っていうとそこに必然的なつながりはない。
自己正当化とは、何にせよ、終いには自分自身が責任を負うということ。
少子高齢化の傾向が明らかな今、若年層が、既に年金生活を送っているような世代に好ましからざる思いを抱いたって不思議ではない。
「あの人たちと自分は違う」
そんなもんだろう。かなり抑え目に言って。
気持ちは分からないではない。
けど。
細かいようだけども、表現方法には注意した方がいい。
端的に言って、世代(群れの種類)間の問題にはしないように。
どんなにフェアな商売だと言ったって、資源の分配は均等にはいかない。
分配の結果は勿論のこと、プロセスだってフェアではありえない。
そもそも置かれた状況が異なるわけだから。
また、均等に再分配なんてことが可能なほどいろんなものが満遍なく散らばってるなら、誰も知恵や労力を割いてフェアな取引なんて追求などしない。資源の散らばり方は不均等だし、不均等さを利用できるのはいつだって強い方。つまり、盛んにいろんなものを動かしたがるのはそれが”できる”から。そして、”できる”ってのは決してそれ自体がオートマチックに正義とはいえない。
誰もが小悪人だと言ったように、自己正当化するにしたって限度ってものがあるのだ。
”正しいポイント”を何点積み上げようが小悪人である事実は消せない。
寧ろ”正しいポイントの加算”に拘泥すればするほど、極悪とは言わないまでも、冷酷、非常な行為に自らを染め上げることになる。
ポイント低い奴のこと見下したり、フェアな競争の上での敗者だ、とか何とか言っちゃって切り捨てるわけだからね。
いい服着て旨いもの食ってるって比喩はあながち外れちゃいない。
いい服も旨いものも世間様の評価から完全に独立などしていない。
社会貢献などの各種”善行”もそう。
”正しいポイントの積み上げ”のみに拘泥する輩は”善行”を着飾って安心しようとする。善悪は自分以外の何か(例:服やメシ)が決めてくれると思っている。決して中身の自分自身を愛でているわけではないのだ。
着飾っちゃいけないなんてことも言ってないですから。
ただ自慢はあり得ないよね。着飾っているものにせよ、所詮小悪人でしかないモノホンの自分自身にせよ。
謙遜だの、つつましやかな幸福追求だの御託を並べるなら、ひとまず、分けて安心するような慣習は慎むべきよね。
どんな風に世界を分けられるとしても、私たち人間一人一人から善行のみを抽出なんてできない。
抽出できた気になって安心する。
そういう方法を全否定はしないけれど、徒党を組んでやるのだけは避けて欲しいと思う。
金持ちからはだまくらかして盗っちゃったってかまへんとか。。。全く善行でもなんでもないけれど、正当化はしているさ。”弱いグループ”、”虐げられたグループ”、、、。そういったグループの正当化ね。
バカも休み休み言わなければならないのだけども。。。
徒党を組んじゃったら。。。休めなくなっちゃうからね。。。そしてバカなことと思っていたことが常識になると。。。
結構長いヒストリーを積み重ね、そして、この今まさに起こっている負の連鎖。
抜け出すことは可能だろうか???