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削減したい不安

考え方としてはちょっと突飛な「トランス・ヒューマニズム」。それでも「日常の不安からの解放」は積極的に進めていってもいいのではないか?人類の現行の生き方やら姿かたちに拘らず、いろんな手段・方法を検討しつつ。

前記事で紹介した通り、巷で「トランス・ヒューマニスト」を名乗る人々は、死への不安から全く解放されたい人が多いらしい。確かに何やったって、どんな目に遭ったって死なないと分かっていたら、生きていく上での不安はかなり減るだろうとは思う。ただ実現までには時間もかかるだろうし、そんな能力(?)みんながみんな手に入れたら、地球上人間だけで溢れかえってしまいそう。それは私が目指したい、食べなくても生きていける体、だって似たようなもの。

このように問題山積の具体的な方法論はとりあえず横に置いておいて、ここでは不安について、「どんな不安がどれぐらい抑えられればより楽に生きていけるだろうか?」ということを考えてみたい。

「不安」と言ってしまうとネガティヴな印象が強いけれど、「期待」とか「冒険」と言うとネガティヴ感は随分と薄まる。

今私たちが見ているように、現行人類は、他の動植物たちとはかなり異なった繁栄ぶりを示しているけれど、私は「期待」とか「冒険」がこの繁栄を大きく後押しをしていると考えている。ともかく人類ほど、大して確証もないのに「こっちもアリなんちゃう?」ぐらいのノリで突き進む動物はいないのでは?

「自然からの情報を道具などを使わずに感じ取る力」みたいなものはどんどんと失っていっている感じがするけれど、人間には遊び心というか、ワンパターンじゃつまらない気持ちというか、何か違う行き方・やり方などなどを試したくなっちゃう心がまだまだしっかりと息づいていると思う。

「冒険」や「ギャンブル」にはドキドキが付き物。つまり、「期待」と「不安」とが同居している。ならば、あまりよくない方の「不安」というものは、「冒険」したい気持ちになれない、専らディフェンシヴにいきたくなってしまうようなものと定義できないか?

現代は特に意識していなくとも非常に多種大量の情報が流れ込んでくる。一人一人の情報処理能力云々もあるかもしれないけれど、概してそうした情報たちには圧倒されがちだろう。ということは「何によって?」というのは分からなくても、すっかり安心した気持ちというのは中々得られ難いはず。

何か自分の能力を大きく超えるものが圧迫してくるような感覚。

これが厄介に思える。

ただ、圧倒的な情報というのも、人々が盛んに動き回るからこそ発生し、出回っているはずで、質的に整えようとしたり、その他抑制的な手段には出ない方がよさそう。ということは、溢れかえる情報の中で不安を感じないようにならないといけない。

私の理解では、この世の中にそもそも情報なる物体は存在しない。私たちそれぞれが「関係あるな」「意味あるな」と感じるものが情報と名付けられる。「情報の渦に巻かれる」とか「ひっきりなしに流れてくる情報に圧倒される」とかいうのも「思い込み」、「幻」という意味があるということを示しているに過ぎない。ただ、そのように理解せよと言われたところで、納得できるようになるためにはかなりの事実探求心(精神修練)が必要になるので、一般向けではない。「トランス・ヒューマニズム」の文脈では、圧倒的に多様で大量の情報が流れ続けると、人間にはどんな変異が生じるだろうか?ということが関心事となる。

現状、既に何か変異に繋がる現象が刻々と起きているのだろうけれど、行き着く先はよく分からない。当然不安だ。ならばどうにかして行き先がまあまあの信憑性をもって見通せるようになればいいのでは?

遺伝子と脳とエネルギー

遺伝子というのは私たちを今あるような形に作り上げるキーにはなっている(全てを支配はしていなくても)。

脳みそとて、その形成には遺伝子も絡む。

いずれにせよ猛烈な情報量とそれを処理するのに必要とされるエネルギーとのアンバランスさが目下科学者たちを悩ませ、研究意欲を掻き立てている。

要するに現時点では謎だらけということなのだけど、一般向けには「現に稼働してるんだからあれこれ悩んだって仕方ないんじゃない?」で済ませたいところだ。

ここでもポイントは「情報なんてモノはこの世には存在しない」ということになるんだけど、その本質に入って行くよりも、「細菌、ウィルス、微生物たちと共生している」という事実を再確認する、というのが手っ取り早いのではないか?と考えている。ヒトの遺伝子だけじゃあ何ともならん。なぜなら細菌、ウィルス、微生物にだって遺伝子若しくはそれに準ずるものがあるわけだし、それらと「共生」している以上、単にヒトが今ある形を成して、それをある程度の期間維持していく中では、相互に電子などの媒体を使って交信し合っているわけだから。そういう交信する様を見れば、当然、「情報の受け渡し」という言い表し方がなされるわけだけど、「情報」ってヒトの側から見て意味あるってこと?それとも細菌やウィルスや微生物の側?ってのをハッキリさせることは非常に難しいはず。乱暴な言い方をすれば、ヒトの遺伝子の側で「こうしたい」と連絡して、概ねうまくいっているのに、細菌、ウィルス、微生物の遺伝情報フレームワーク側が突然別のことを主張し出したりする可能性だって十分にあるだろう、ということ。

基本特別なことは何もしない、ということになるけど、一つ、エネルギーのことは頭に入れておいてもいいんではないか?と思う。

無限だけど都合よく使えるようにするには相当な手間暇がかかる。

ならば、現に使えているものについては、隅から隅まで、電子一粒のエネルギーまでも洗い出す。

一般向きでないね。。。一見。

でも、そういう到底できそうもないことを想像することで、却って注意が向くということもないことはない。

大事なのは「それもこれも別に効率性(エネルギーの効率利用)のためってわけではない」と理解すること。それじゃあしんどい。元の木阿弥。ちっとも楽にならない。

私たちの脳ミソは中々エネルギーを使う。もうこれはそういう傾向にあるということだから、いっそどんどん加速させる。

え?

それじゃあしんどくないか???

いえいえ。

脳ミソにバンバンエネルギーを送るというのは、別に私やアナタが使うためではないのよね。意識的にそうするわけでもない。

どっちかというと、共生している皆さま(細菌、ウィルス、微生物たち)の方の出方を窺いたい。

そう思えば楽じゃない?

というか楽と感じるために現に稼働している仕組みを受け入れてなるべく無駄なエネルギーを使わないようにする。それがこれまた現に着々延々と継続強化されている脳ミソへのエネルギーの偏りを強めることになる。それがまずはヒトの遺伝子にどういう変化をもたらすか?そして、共生する皆さまとの関係はどう変わるのか(変わらないのか)?

エネルギー。効率的にではなく、共生の事実を踏まえて上手に使えるように(そして変異を待つ)。

いやはや。不安解消への道も険しいな。

でも、変異を期待はしてしまう。トランス・ヒューマニスト(私)なのでありました。


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