今交換されているもの

虚偽のマスク?

お金が媒介すると虚偽のマスク同士を交換することが苦でなくなる?

物々交換だとやりにくい。ウソ丸出しすぎるから。出来ない事はなくて、それは当事者同士や交換の当事者の周囲にいる人々の間で、こっからここまでは架空の世界だぞって話がついている場合。

お金が媒介する交換というのは、こっからここまでは虚偽だとかファンタジーだとか、ほぼ話つけるなんて手間かけてないだろう。

人間には”交換欲”みたいなものがある?変身願望に似ている感じで。例:複数のアイデンティティを持つ或は経験する。”交換”というよりも”ちょっとしたなり替わり”?

常にマスクのようなもの、人々が交換に応じやすいものが必要だ。しかも虚偽とはいえ、各々マスクの持ち主は「ちょっと虚偽ってますが。。。」と弁えているような。(「あ!アイツー。交換してやがる!くっそー!おいらも!!!ええやんけ。アイツが交換してんねんから。な。な。」という感じで、交換可能なものなら、「自分に合っているか?」だとか、「ちょっと相手を騙し過ぎてないか?」とかはほぼ無頓着に被って使っちゃうんじゃなくて。。。)

今最も使われやすいマスクはお金で媒介されるマスク。だからみんな虚偽っぽさに無頓着になり易い。

お金はなくならないはずだから、お金で媒介されても虚偽っぽさが無視できないようなマスクを発明できたなら。。。

できるんか???そんなこと。。。

コトバの成り立ちや、人間の頭?心?(体もか)のはたらき方について、細々と説明はできる。

でもそれを聞いた人が、ウヒヒって思って”交換欲”をそそられるような何かが欲しい。

そんなもんあんのか???

多少は苦労しなきゃ”交換可能”にはならないんだけど、そうはいっても「やろう!」と思ったらわりと簡単に手が届くような方法で。(「時間-パワー」のフレームワーク。実際私たちがやっていることだから、気付くだけでOK!?)

全員対象とはいえ、一律に着手させるのは無理なので、ターゲットを絞らねばならない、ということもあろう。(リーダー?)


真意或は意味は交換不能?

人が人を(できれば機械も)信用するためのストーリー?(出来上がったシステムが、人の間違いやすさ、冒険野郎振りにも期待するような。。。最低限無視はしないような。。。)

やはり自分自身を知ることしかないのでは???(機械やシステムだってそういう人間が作らないと、結局自分たちの間違いやすさとか冒険野郎振りがあたかも無いかのようなものになるだろう。)

中途半端にしといて、他者を見て評価・判断しようとするから、結局自他を含む人間を信用できないことになるのでは?

唯一絶対の信用できる人間像なんてものが無い以上、困った困った、もう人間なんて信用できない!!って言いたくなった時にこそ、自分自身に視線を移せるように。そのようにドタバタ(ジタバタ?)を続けないと、結局生きている人間を平気で無視するようになってしまうのでは???

「時間-パワー」のフレームワークは、他人のことばを分析するフレームワークだけど、結局分析者も自分のやっていることとして見るようになる(科学的手法に基づいた実証は難しいけど。。。)。これが売り???ものになるのだろうか???ちょっと考えてみよう。

ともかく「意味の発生する仕組みややり取りされる過程ってのは関係性と不均衡を踏まえて理解する必要がある」って線で着手してみるか。。。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?