口承伝説、紅姫。完

 いつも、ボテ前田が「運営のおばさんたちってバカだからさあ」と言っていた。「俺の声っていい声してるでしょ? この声でちょっと演説ぶっちゃえば、おばさんたちなんていくらでも騙せるからさあ」。
 堤さんとか、向井さんとか、神崎さんとか。劇場のおばさんたちがフォークソングを歌うようにボテ前田が爽やかに演説すると、「いいわねえ、いいわねえ」とニコニコと笑って聴いていたものである。
 ところが、いつも問題は起きるのである。
「吉川君、どうしてあなたはそんなに問題なの?」
 ニコニコ笑っていた、堤さんとか、向井さんとか、神崎さんとかが、冷たい目で俺を見つめる。俺は劇場の事務所まで自転車でやってきて、何もしないうちなのに、「どうしてあなたはそんなに問題なの?」と来る。
 そういう時は決まって、「おばさんってバカだからさあ」と笑っているボテ前田のことを、最近になって気づいた。ああ、ボテ前田が「吉川君は問題ですからね」と演説したら、おばさんたちが真に受けて「吉川君は問題だ」と思っているのか。
「吉川、どうしちゃったの?」
 柴田パープリンが不思議そうに叫んでいる。前田と同じ指導者クラスの人間なのに、名前のごとくパープリンだ。二十八歳のこの男までがボテ前田に騙されている。
 船橋子ども劇場の誰もが、もはやボテ前田に騙されて「吉川君は困った人」というデマを信じていた。
 「なんで、そんなデマ流すんだろう?」
 誰かがふと、そう言った。何故か、理由は分からない。ボテ前田のような知能レベルの低い奴に、いちいちやることに対して意味があるか?

 船橋子ども劇場は、そう言ったボテ前田のような奴のせいで小さく潰れていくことになるが、ボテ前田はそのあと中学教師になったらしい。
 散々と、子ども劇場でやりたいだけのことをやってきたボテ前田は、さて、社会に出ようというときに、出られなかったらしい。
 26歳になるまで、教師になれなかった。
「前田先輩? ああ教採来たよ。二次に来なかったから、一次で落ちたんじゃないの?」
 教員採用試験の二次面接もとより、一次の学科ですでに落ち続ける人生だったらしい。28歳までで、上限の教採である。しかも、26歳でなれたと言っても、からくりがあってのことらしいのだがよく分からない。
 社会に出る時は安定した公務員。しかも教員こそが「約束された将来」と、つねづね言っているボテ前田だった。何故か、出世や高収入などと言ったものを望むのではなく、「クビ」がない公務員こそが「約束された将来」で、「俺は絶対に、その約束された将来をこの手にする!」と豪語していたものだった。
 ふーん、と聞いていたが、その割に、セコイ組織でセコイデマを流して、人を貶めているうちに、その「約束された将来」も「風前の灯」となるかに見えていた。

 ボテ前田が教師になったのはいいのだが、クラス担任を受け持たせられたら、これが全然持っていられない。
 朝、ホームルームにボテ前田が現れたと単に、「げろげろー」な空気が教室中に漂い、あまりの異臭に生徒たちが逃げてしまう。
 授業をやるったって、「お前らにはでんちとうんちの違いも分からないもんな」「お前らにはあんことうんこの違いも分からないもんな」。これじゃあ、授業にならないよいと、教師外される。
 通知表を書くったって、「次の学期、成績落とした女子はブラジャー没収だからな」と書くような奴だから、とうとうクラス担任を外される。

 そのあとボテ前田はサッカー部の顧問になって。なんでサッカー部? ボテ前田はサッカーなんか出来ないぞ?
 そう思ったらグラウンドの草刈り要員で、朝から晩まで学校中の草を刈り続ける。確かに教員にはクビにはすることができない。だからどんな形でも学校においておかなければいけない。
 こんな形で学校においておいたのが間違いだった。
 朋美が放課後、教室に一人きりでいたところを、ボテ前田に見つかってしまった。
 ボテ前田は自分から女子の服を無理やり脱がすような男じゃない。しかし、もっと卑劣な奴だってことも知らなかった。
「パンツ脱ぐまで学校帰さないからな」
 
 夏になると思い出す。朋美が死んでいたのがいい事だったのか、悪いことだったのか。死んでしまうしかなかったって、それで片づけてしまうことは、涙さえも出ない。

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