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久しぶりの出社と読んだ本

05.13 わたしのいるところ

 昨日、久しぶりの出社。

 1グループ、1週間に1日、ひとりしか出社が許されていないこともあって、オフィスのフロアはガラガラだった。1ヶ月以上も出社していなかったので、朝から少し緊張して(いや本当は前の日の夕方くらいから)お腹が痛くなった。昼過ぎまでお腹が痛くて、脂汗をかきながらたまった書類の整理・仕事をした。真っ白くて発光しているような机とだだっ広く、ずーっと先まで見渡せてしまうオフィス、悔しいが我が家のよりもずっと座り心地のいい椅子で背筋が伸びる。…だけど7年間強、この場所で働いていたにも関わらず、なんだか全くここは異世界だなあと思った。

遠くにいるはずなのに、他の人の会議の声がいやに大きく聞こえる。

(私は次の7年間をどこで過ごすのだろう。7年後は何をしているのだろう)

 前にもそんなことを考えた時があった。今から7年前、オリンピックが東京で開催されることが決まった時だ。私は電車の吊り側を掴んでいて、何かの広告を見るとも見ずに、考えていたのだった。

先日、「わたしのいるところ」という本を読んだ。

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「その孤独が、いつか背中を押してくれる」という言葉と、それから生まれ育ったローマと思しき町に暮らす45歳の「わたし」にとてつもなく惹かれて。同じ町に45年間暮らしているということ、今は1人で暮らしている、その人の小さな楽しみや興味や過去、他人への好奇心と孤独が静かに書かれている。亡くなった叔母の日記を見つけて読んでいる姪、になったような気持ちになり、主人公の「わたし」に対してとてつもない親近感というか愛情みたいなものが湧いてくるのを感じた。日記みたいな、エッセイみたいな小説。

 7年後、それから15年後(45歳)。わたしの居場所について考える。そこで、わたしは、どんな風に毎日を過ごしているのだろう。

 大きな時間軸で考えるのは楽しい。

 だけど些細な変化は毎日毎秒起きていて、行ったり来たりを繰り返しながら進んでいる。多分、7年後も15年後も、今について、過去について、未来について考えたり、思いを馳せたりしているのだろう。そして、その時間も過ぎていく。その積み重ねなのだ、とこの本を読んで思った。

 「今」をしっかり堪能すること、その上で何に挑戦していくかを可能な限り自分でしっかり考えて、あとはゆっくり周りの世界を見ながら過ごす。未来の事は分からないけれど、そうやって歳を重ねていきたいなあと思った木曜日の朝。今日は在宅勤務で、コーヒーが美味しい。

 


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