古き良き歴史と最先端の建物とが共存するまちづくりを目指す「鹿島建設」
浜松町Life Magazine、第8回は、浜松町駅西口開発計画現場所長である鹿島建設㈱の川端さん。様々な建設現場をご経験されてきた川端所長に、浜松町芝大門ならではの街や開発の魅力について伺いました。
東京のランドマークとしての世界貿易センタービル
―鹿島建設さんと浜松町の関わり合いを教えてください。
弊社と浜松町の関わりの最初は1970年に完成した世界貿易センタービルの建設です。当時は東京では霞ヶ関ビルの次に完成した超高層ビルで、鹿島は両方のプロジェクトに携わっていました。当時世界貿易センタービルは、東洋一の高さということで話題性もありましたし、当社は他にも浜松町駅や大江戸線の工事なども手掛けていたので、会社としても非常に思い入れの強い街です。
―1970年代から浜松町に関わられていたんですね。歴史が長いですね。
当時、東洋一のビルを作るわけですから、会社として非常に熱い思いを持って工事に取り組んでいたと思います。当時の社員たちも気を引き締めて臨んでいたはずです。
―川端所長としては浜松町での思い出はありますか?
実は子供の頃の思い出が一つあります。世界貿易センタービルが完成した1970年、私が10歳の時の夏休みに、親に連れられて世界貿易センタービルの展望台に登ったことがあるんです。当時の東京には大きなビルはほとんどなくて、四方どこも良く見えました。世界貿易センタービルから見たら竹芝方面は海でしたし、羽田空港まで見えていました。陸側の方だと東京タワーと霞ヶ関ビルがとても高く見えていました。
私の出身は北海道でしたので、連絡船と汽車を乗り継いで東京に来て、世界貿易センタービルを見に来ていました。当時の世界貿易センタービルは、さまざまな交通手段を使ってでも訪れたくなる、東京の象徴的な観光スポットでした。
当時訪れた世界貿易センタービルの一番上にあった「シーサイドトップ」という展望台のパンフレットを大事に保管していた記憶があったので、実家を探したらパンフレットが残っていました。
―その時見た高層ビルの印象が鹿島さんを選んだきっかけだったり・・・?
選んだきっかけにはなってないですね、残念ながら(笑)けど建築の道を選んだのはそういう思い出が影響していたりするかもしれないですね。
―解体された旧世界貿易センタービルはオフィスに限らず様々な機能がありましたね。
思えば解体した世界貿易センタービルの地下の飲食店街はにぎわってましたよね、夜もかなり混んでましたし。バリエーションに富んだお店がたくさんありました。
風車さん、あおしまさん、ワインコーナーさん等沢山お世話になりました。 蕎麦屋さんもあったしカレー屋さんもあったし、ラーメン屋さんもありました。どこも美味しかったですよね。
―風車さんは思い出に残っている方が多いみたいですね。
私たちはよく「工事の音が響く」とご指摘をいただいていました(笑)。若い社員が謝りに伺ってご指導頂いて、その後そのままスパゲティを食べる、というのが定番で。私もよく食べに行っていました(笑)
最先端と下町が共存する街へ
―浜松町の再開発を担当されてどれくらいになりますか?
10年ほどです。こちらに着任する前は東京駅の八重洲口のグランルーフを担当していたこともあって、世界貿易センタービルだけでなくモノレール、JR、地下鉄含めた大規模再開発であるこちらに着任しています。
―地元の方々とのお繋がりはありますか?
建設工事というのは各方面にご迷惑をおかけする部分も多いので、街の皆さんのご理解をいただきながら、一緒に建物を作っていくという姿勢がとても大事だと思っています。その上で、街の方々と繋がっていくためには街に飲みに行くのが一番なんですよね(笑)。プロジェクトに関わるまでは浜松町に飲みにくることは少なかったですが、いざ街に繰り出すと、大きな通りから一本入った路地にいいお店があったりして魅力的なんですよね。
一人でブラブラ歩きながら良さそうなお店を見つけて出して、事務所のメンバーを誘って飲みに行ったりしています。コロナの影響で最近はなかなか行きにくくなりましけど、まただいぶ規制が緩くなったのでそろそろ活動開始ですかね(笑)。
―浜松町の良さはどんなところに感じますか?
飲みに行き始めて思いましたが、浜松町は意外と下町の雰囲気がありますよね。移動や通勤で使う駅というイメージが強いと思いますけど、街に繰り出すと意外と路地が面白い、良い街だと思います。 元々が増上寺の門前町だということもあって小さいお店が多いのでしょうけど、そういう部分は意外と知られてないですよね。
あと、一か所に固まった商店街がある、とかではなくて、街全体に店があって散らばっていることも特徴ですよね。街歩きしながら社員と飲みに行くのが楽しいです。
街の歴史と最先端の建物の共存のために
―これからどんな街になっていって欲しいですか?
下町の情緖は残しながら、最先端の高層ビルが核となって人が集まってくるような、古き良き要素と、再開発という新しい要素とが上手くマッチする街になって行けば良いと思いますね。街と世界貿易センタービルが上手く連携して街全体が活性化されるといいなと。
世界貿易センタービルや駅に人が来て、その人たちが街に出ていくという、そういう流れができるといいですよね。そういう開発になるなら、この仕事に関わっててよかったなって思える気がします。
あと、増上寺や芝大神宮があり、門前町という歴史があるということや、そこに由来する下町感は大切にしていきたいですね。そういった歴史やそこに紐づく情緒が残っているまちはそう多くはないと思うんですよ。なのでそうした良さを残しながら、新しい世界貿易センタービルが共存していくようなことを実現できれば、浜松町の独自の魅力になっていくと思います。
―地元の方からの期待なども感じますか?
そうですね。町会の方々と話すと、世界貿易センタービルをシンボルにしてこれまでの浜松町を作ってきたという思いが感じられるんですよね。なので、次の世界貿易センタービルにもとても大きな期待をしてくださっていますし、新しい貿易センタービルを起点に街をもっと盛り上げいきたいという想いを抱いていらっしゃいますね。そうした想いに応えるためにも、ただの乗り換え駅にならないようにしたいなと思います。
―新しいものを作るということと今まで積み重ねてきた歴史の融合が大切ですね。
新しい世界貿易センタービルの3階は全てデッキで繋がりますし、最後は竹芝の方とも繋がっていきますから、再開発を通じて動線は非常に多岐に変化します。駅は人の中心ですし、世界貿易センタービルを通っていろんな人が浜松町に行くわけですから、今までの世界貿易センタービルが浜松町の核となってきたように、新しい世界貿易センタービルが浜松町の起点となって、幅広い世代の人が歴史のある浜松町に流れていくことによって、新しい相乗効果を生み出していってくれればと思います。
取材・文:吉田孝輔(世界貿易センタービルディング)・中塚麻子(玉麻屋)/編集:坂本彩(玉麻屋)/撮影:yOU(河﨑夕子)
鹿島建設株式会社
https://www.kajima.co.jp/
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