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考えすぎると、土壺にはまる

「ねぇねぇ、最近どうしたの?会うの久しぶりな気がするんだけど、、、」

「そうだよね。。。。僕も君に会って、そう思ったよ。しばらくぶりだね。」

「しばらくぶりって、そんな人ごとのようなこと言うなよ。一体どうしたんだよ。どうしたんだろう?と、心配してたんだから。」

「そうだったんだね。ごめん。。。。自分も気にはなっていたんだ。最近自分を出すことができていないなって、気にはなっていたんだ。本当だよ。別に体調を崩していたとか、そういうんじゃないんだ。ただただ考えすぎていたんだ。」

「何を考えすぎていたのさ。」

「自分ってどんな感じだったっけって思ってさ。どこか延長線上にいないと、いけないようなそんな感じがしてさ。そのことを考え出したら、もうわけがわからなくなってしまったんだ。」

「そんなことで悩んでいたのか。」

「そんなことって!!?」

「ごめん、言いすぎたよ。言葉を間違った。でも、もう大丈夫なんだろう?こうして会っているということは。」

「うん、ようやくさ。こういうことを何度もやっているんだと思う。これからもやるんだと思う。だけどさ、自分がどういう時に、泥沼に陥るのか、そこから這い上がるにはどうすればいいのか。やっとわかったような気がするんだ。」

「それはよかったじゃないか。そういう実感って大事だよね。”この感じ”と思うるようになると、そのことに戻れば、また進むことができる。何も、掴んでいないと、どこに戻ったらいいのかも、行先もわからない中で、彷徨うことになってしまうからね。」

「そうなんだよね。僕も何度もそういうことは経験してきたよ。」

「君も苦労しているんだね。」

「苦労というか、生きるってそういうことだろ。何もない人生なんてないさ。10年という長い単位で見たら美談として聞こえることであっても、細部を1つ1つ見ていくと、山あり谷ありでがっくんがっくんしているのが普通さ。そういう逆境を乗り越えるからこそ、人は強くなれる。たくましくなるのさ。」

「ずいぶん君も悟ったようなことを言うね。だけど、それだけのことを経験してきたってことだよね。やってきたからこその言葉なんだよね。これまでは見えていなかったものも、見えるようになっていく。」

「同じ世界を見ているはずなのに、見え方が変わると、まったく違った世界のように見えてくる。まったく違った世界であるかのように、あらゆることが新鮮なものとして入ってくる。」

「そんなふうになったら、面白いだろうな。」

「最初は戸惑うけどね。この世界とどう付き合って行ったらいいのか。自分が一度解体されてしまって、その上でに新たに立ち上がっていく場合もあるしね。とても美談なんかにはならない話さ。」

「だけどそういう経験をすることって、大事なんじゃないかな。挫折だったり、劣等感だったり、屈辱的なことだったり、自分を許せなかったり、そいう逆境にどう向き合うか。立ち向かっていくか。そのことが試されているのだと思う。」

「逆境が訪れた時に、どう対峙するか。誤魔化さずに向き合って、取り組んでいくということ。渦中にいる時には、とても苦しいし、逃げ出したくなることもあると思う。だけど、そのまま終わってしまっては何も始まらない。その瞬間は逃げるということを、回避するということを、去るということを選ぶことも自分の選択だ。自分を守ってあげられるのは、最終的には自分であって、そういう弱い自分も自分として受け入れることはあっていい。僕はは、そう思う。その時には果たせなくても、敵わなくても、自分にとって取り組むべき大事なことなのだとしたら、また取り組むべきタイミングは訪れ得る。その時に、ちゃんと立ち向かうことができる、闘うことができるように、準備を整えておく必要はある。臆する必要はない。毎日1つ1つを、着実に、誤魔化さずに取り組んでいく。そのことがあれば、力は必ずついていく。」

「”何事も、一生懸命やれば力はつく”だね。」

「そうそう。その通り。感覚的に、その実感を持っていたんだろうね。ある問いかけに対して、ぱっと出た言葉だったもんね。あのことは覚えているよ。」

「僕も覚えている。」

「しばらくしてから、卒業のタイミングで書かれたメッセージにそのことが書かれてあって、そういえばと思い出したんだったもんね。」

「そうそう、そうなんだよね。」

「なんだか、ひとまとまりが終わった感じがしたな。」

「僕ももう息切れだよ。」

「そろそろだね。次はいつ会えるかな。」

「うーん、どうだろう。もう大丈夫なんじゃないかな。そのうち会うさ。」

「そうだね、それじゃあまた。」

「うん、また。」

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