ちくわちゃん、自分との再会:後編
「こういう存在の仕方もあるのか。」と思ったちくわちゃん。これまでの自分を、客観的に見る自分が現れた。何もしなくても輪にいればそれでいい。すごく楽だし、とても新鮮だった。
だけど目立ちたがりやでお調子者な気質がなくなったわけではない。それなのに、所属や場面で使い分けするようになっていった。ちくわちゃんは、とても器用なことを始めたのだった。
自分ではない誰かがいるならそれでいい。人がやっていることはやろうとは思わなかった。負けず嫌いだけど、わざわざ戦いは挑まなくてもいい。戦わなくていい場合には、回避するのが常だった。偽善な平和主義者だ。
いつしかちくわちゃんは、楽を覚えてしまった。どちらでもいい時には、楽を選んでしまう。ちょっと油断すると、楽を選んでしまうのだった。そんなスパイラルに陥っていった。
別に始めから深刻だったわけではない。メンバーの中の一人として存在することで、なんの問題もなかった。そういう存在の仕方もあるのだということが分かったというだけだった。始めのうちは。
でも、ある時から、やりたいのにやらなかったり、思っていることや感じていることがあるのに出さないで、余計な遠慮をするようになった。空気を読んで、自分は出さないままに、場に自分を合わせるだけになっていった。
メンバーの中の一人として、ただ存在しているということであれば、別段、なんの問題もない。それが、ある存在の仕方を狙って存在を薄め、意図的に隠れ蓑に隠れ、存在するようになった。
本人不在な存在になっていった。全体のことは常にいつも気にかけていて、その中で、自分の存在を最適だと思う位置にスライドする。そういう器用なことをやっていた。
そんなことをしていてもどうしようもない。それなのに、自分自身に素直になれずに、場に自分を合わせ、自分自身をそのままには出さないようになってしまったちくわちゃん。
本人が不在であっては、そこに存在している意味がない。存在しているとは言えない。その存在は不自然で、場にとってはノイズにしかならない。そういうことが、ある時に明らかになったのだった。
でも問題になるまで気づけなかった。周りのことが気になって、常に周りを気にする存在。自分自身の振る舞いや行動、態度も、周りからどう思われているか、どう見られているかということによって規定させていた。
周りの状況がよく見えている。だからその状況に自分を合わせることができた。でも、そこにちくわちゃんは存在しない。全体のことを常に気にしている。そんな特性は、元々の気質に由来するが、発揮のし方が違った。
ある時から、自然に存在するということができなくなっていった。ちくわちゃんは、自分の頭の中で作り上げた像や決まっていることに自分を当て嵌めようとするようになってしまった。
常に正解を求め、その場の感じよりも、すでにあるものを、予定調和な存在として、そつなくこなすような感じになってしまった。想像を超えるような展開はなく、悪くはないけど良くもないイマイチな感じになっていった。
目立ちたがりやでお調子者な性格と表裏一体な、敏感なまでに周りのことを気にして感じ取る能力。使っている気質の源泉は同じなのに、場に対しての出方が違っている。出し方一つで、全くもって印象は変わる。
場に与える影響も、まるっきり逆になってしまう。ありのままに、自然に存在していれば、それだけでいい。それが、自分ではない自分として存在しているとしたら、もうその時点でおかしなことになっている。
そんなのは嫌だ。イメージと実際のちくわちゃん自身との間にある齟齬には、もううんざりなのだ。そんな自分にさんざん振り回されてきた。元々持っている気質を、ありのままに出していくということ。
そのまま出すだけで、全然違う。まったく別の印象になる。自分にとっては馴染みのあるはずなのに、いつの間にかご無沙汰してしまっていた。そんな自分との再会をちくわちゃんは果たしたのだった。
(おわり)
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