この10年で自分はどうなったか、変わったか、、、
日常として生きているこの世界は、微妙な均衡をキープすることで、そのように生きることのできるように、都市という要塞が人々を守ることで保たれている。また制度という社会における仕組みも、その一助となっている。
自然は非常に残酷である。そのことを体感的に感じていて、在野の研究者として知られるアメリアのエリック・ホッファーの言葉が思い出される。
人間は自然に左右される生活から、自分たちを守るために要塞としての都市を築いてきた。もちろん全てから遮断されるわけではないし、いくら隔絶したとしても、地球という星の環境の中で暮らしていることには変わりがない。
外的な要因によって、影響を受けるということを、減らしてきたという人類の歴史がある。10年前の東日本の震災の時と、今のコロナによる日本社会のこの状況。
自分の中で重なる点は、日常と思っている日常は、微妙なバランスの上に、常に非日常となり得る要因を孕みつつ、常に非日常であるはずのことも日常として暮らしていけるようになってる社会に生きてるということだ。日常としているものはあってない。
あまりにも日常が当たり前になっていて、非日常に触れる事態になった時に、その変化に耐えきれずに、反応が行動として出る。そうしないと、バランスを保つことができない。不足した安心を埋めることができない。
今思うのは、全てがゼロになった時に、リセットするとして、ここから始めるという時に、何をしたいと思っているか。そのことをもっとこだわって、追求していくこと。そうあっていい。
行動しないと、何も始まらない。行動しながら、修正しながら、次の行動をしていく。そうして、次へ次へ進めていくこと。形にしていくこと。
いきなり完全なものはできなくてもいい。完全なものを出すまではとか待っていると、足踏みしていると時間がもったいない。
やれるようになった時、もっと早くやっていればと、もっと早く気づいていればと思う。だけど、自分はもうすでに気づいていたはずだ。
そのことを選ばなかった。選ぶことができなかった結果としての今である。悲観する必要はなく、その時の自分は選べなかったし、選ばなかった。だからその延長線上に今がある。
時間はかかったとしても、その時間は自分にとっては必要だったと思ってみる。そう思えた時に、何をどう選ぶか。これまで通りでいいのか。
あとは勇気を持って、選ぶことだ。自分にとってワクワクする方へ。自分の納得感のある行動を。気持ちがいいかどうか。その基準にこだわって。
もっと自分の感じていることを大事にすること。自分の感じていることを信じること。この10年の中で、ぐるっと一周して、はっきりと余計なものが削ぎ落とされてきている。そんな感じがしているのだ。
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