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今の自分にとってのベースというもの

ここしばらくずっと自分にはベースとなるものがなかったのだなということに最近ふと気づいた。そう思ったのは、ベースとなるものがあるということによって、頭がクリアになっているという感じがしたからだ。

日々の中でやっている身の回りを綺麗にすること。整えること。当たり前な人には当たり前なそのことが、僕にはちゃんとできていなかった。日々のことに追われ、他に優先順位の高いことがあると、いつもどこか言い訳して、自分に言い聞かせ、疎かにしてきた。

食事をした後の皿洗い。曜日ごとのゴミ捨て。洗面所や風呂場の掃除。少し汚れているなぁと思ってテーブルを拭くこと。そんな一つ一つのことを、毎日ルーティンとしてやること。「明日でもいいやぁ。」と放置して、気付けば数日が経っている。そんな状況が以前の暮らしでは日常化していた。

一つのやること自体はほんの数分で、もし時間がかかったとしても30分、1時間もかかるようなことではない。気づいたのに、あっと思い出したのに、そのままにすると、そのことが自分の中に残る。先送りにしているだけで、そのものがなくなるわけではない。

そんなことがいくつもあると、そのことに頭が支配される。常にそのことが頭の中には残っている。目の前のことに集中できない。常に何かに気がとられていて、今ではないことがちらついて、そのことを考え始める。堂々巡りをして、どんどん自分の内側に閉じていく。

一つ一つのことは小さくても、数が多くなると、そのことだけでいっぱいいっぱいになる。できているがなくなる。そして圧倒される。そういう時、大抵忙しいと感じているように思う。物量的にというよりも、気持ち的に余裕がなくなっている。余白がない。

毎日のルーティンを、必ず毎日その日その瞬間に完了させていく。すぐできなくても、できるだけ早く終わらせる。1つ1つのことを当たり前にやる。あっと気づいた時、その場ですぐにやってしまう。そうすると、目の前のことに集中する。自然と目の前のことに集中している。目の前のこと以外のことに気を取られなくなる。

自分の内側が整っていると、至って静かだ。ここぞという時にパッと反応できたり、周りのことが見える状態になって、いろいろと周りの情報も自然と入ってくる。そういう感じがしている。

今の自分にとってのベースは、そういう日々の当たり前を当たり前にやることだ。余計なものはできるだけない状態にして、目の前のことに集中できる状態を作ること。隅々まで意識を巡らせること。そういう1つ1つの積み重ねのうえに成り立っているのだなということを最近ふと思ったのでした。


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