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身体の不調を通して自分を見つめる

日々の生活の中で、ふと気づくと目の前のことにフォーカスが当たっている。だけど、ただそれだけになってしまっている。忙しいと感じている時、やらないといけないことの数の多さに圧倒されて、それでもとにかく1つ1つやってくしかないと思っている。

そんな時、自分は今どんな感じかということを感じ取ることを一切していない。感じていないはずはないけど、渦中にいると、感じ取っていないという自覚もなく、日々を過ごしてしまっていることがある。どこか落ち着かなかったり、息苦しかったり、何かに追われている時というのは、常に張り詰めていて、気を緩めることがない。

つい数週間前に不調は起こった。1日の中で雨が降ったり止んだり安定しない天気もあったけど、今はもう完全に真夏日で蝉も元気よく鳴いている。梅雨明け前の6月下旬の暑さに、身体が悲鳴を上げたのだった。今までなったことがなかった熱中症?脱水症状?のような、とにかく体調を崩した。

経口補水液を飲むまでは、水分は取っていたけれど、塩分がどうも足りていなかった。むしろ水分は喉の渇きに負けて、いつも以上にがばがばと飲んでしまっていた。それなのに、あまり身体には蓄えるような補給になっていなかったようだ。経口補水液は身体にじわっと染み渡った。

特に支障を感じない時には意識しない身体の動きも、体調を崩した時に、どこかが悲鳴をあげた時に、ようやく身体に注意が向く。意識せざる追えない状況になって初めて、何もなく動いている身体のありがたさを身に染みて感じる。自然にやれている動作も、フル稼働してはじめて可能となっている。

こういう状態のときは、食べるものもなんだか食べたい感じがいつもとは違った感じではっきりしている。身体の栄養にすぐになるようなもの、僕の場合は、その時、魚が食べたいと思ったけど、焼き魚や何か手を加えるものは選択肢になく、缶詰も違うなと思い、スーパーで煮干しを買った。

そんなこんなで身体を労る日々を数日過ごして、思ったよりも全快するまでに時間はかかったものの、現在は通常運転に戻っている。暑さにへばらないように、できる限り食事や睡眠を怠らないようにしないとなと思う。それよりも、思いっきり汗を書くくらい身体を動かしたいなと思う。

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