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変わりゆく中でも、変わらないもの

なんだかんだでかわらないもの。ほと回想するイメージ。試合に負けたくないという気持ちが先行する。

高校の時の自分は、場数を踏むことを避けていた。現状をキープしようと、どこか保身に走っていた。負けることがこわかった。

負けるということも含めて、経験として、その先にある勝つということに執着していたら、もっと振る舞いは違っていたのだと思う。

出来るだけ争いはしたくないと、争いを避けて、平和主義者を気取っている自分。負けぬ嫌いな自分と如何様に共存しているのか。

表裏一体なのか、どこか矛盾を孕んでいるような、それでいてどちらも自分である感じもする。どっちということでもないのかもしれない。

どうもこの先のことを考えようとはしていい自分の思考がある。もうここに辿り着いたことに満足している。そんな自分がいる。

昨日の自分とは、さっきまでの自分とは違う自分。自分の感じを使うということ。上がるかどうかという基準を持つこと。

楽しいという感じは、人にも伝播する。そうして受け取ってくれる人は確かにいる。身近に存在している。

自分自身からもっとエネルギーを放つということ。やることをちゃんとやること。おもいついたことを、どんどんその場で実現していくこと。

重たい雰囲気を持っている閉じこもりの自分。不安と生きていては、何も進まない。面白くない。ワクワクするかどうか。

もっと自分の気持ちに、感情に素直になること。お題目ではなく、どこかの何かをなぞるではない、今を生きるということ。

言葉にするとどこか虚しくなったり、空虚さを感じてしまったりする。でもそこで止まってしまっては先がない。

負けても負けても、勝つための負けるという過程。負のイメージであって、自分にとっては、できれば避けて通りたい感情。

だけどそのことに正対したり、向かい合っていくこと。その上で、そのことを含めて、試みを進めていくこと。

同じように見えても、違うかもしれない。同じだったとしても、全く同じではない。諸条件の中で、取り上げてるものだけは同じかもしれない。

実際には分かり得ないことだっていくらでもある。可能性を信じること。少しの可能性でもあれば、希望になり得る。

たとえ可能性がなくても諦めなければ、可能性がないことそのものだって変わりようはある。そういう可能性を持っておくこと。

閉じこもらずに、出ていくこと。茨の道でも、突き進んでいくこと。もっとスリリングに生きていってどうか。閉じこもりな自分よ。

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