ちくわちゃん今を見つけて
ずいぶんと長いこと眠ってしまっていた。目を覚まして、あたりを見てみるとずいぶんと見える景色が変わっている。とてもきれいに見えていた景色は、思っていたよりもずっとごちゃごちゃとしている。
それはただ見ているちくわちゃん自身が、なんとなくでしか見えている景色を見ていなかった。ただそれだけどのことなのだ。わかってしまえばとても単純なことではあるのだけど、わかるまでに時間がかかる。
きっとそのことに気づくまでの時間が必要だったのだろう。一度気づいたら、その存在はなくならない。なかったことにすることはできる。だけど、存在自体は実在している。次のステージへと進むのだ。
あとはその存在とちくわちゃん自身がどう付き合っていくか。そのことに取り組んだり、挑んでいくかだ。試されている。きれいだと思っていた景色は、実はとても荒れ狂っている。
1つ1つを均したり、整えていくということをしていかないと、どんどん荒れた状況は悪化していく。実際には悪化しているのに、以前までは悪化すればするほど、見える景色はより華やかなものになっていたのだった。
まったく逆のことが起こっているのに、まったく別の世界が展開されている。だけど、それはすべてはつながっていて、表裏一体だ。ただそのことには、渦中にいる時は気づけない。気づかない。
現実にある世界を、実際よりもより美しく、いいものであるかのように、自分の都合の良い世界として展開していくと、そういう色眼鏡をいつの間にか獲得している。
ずっとその世界で生きていくこともできる。だけど、ちくわちゃんは違った。見えている世界が、実際とは真逆な虚構の世界として存在してしまっていた。都合の良い世界の姿がそこにはあった。
ちくわちゃんにとって、その世界は楽園であって、パラダンスだ。苦しさやしんどさ、大変なことは一切ない世界。だからこそ、なんでも好きなことができる。そう思っていた。
毎日をお気楽に、のほほんととなんとなくでも過ごしていける。それはとても心地がよくて、幸せを感じていた。そういう世界で生きていくことを、自分自身が引き寄せていた。望んでいた。
そんなちくわちゃんであったけど、どこかで虚しさを感じてもいた。自分自信の実感や納得感を得ることができていなかった。だけど、そういう自分がいることには目を背けていた。スルーしてしまっていた。
見てみないふりをしていた。楽しい振る舞いをして、そこで安心安全を獲得していた。そんな生活であるけど、何もかも変われない、これ以上頑張ろうとしても、どこかで頭打ちでこれ以上にはならない感じもあった。
そんな状況が飽和状態に達すると、ビリビリとヒビが入る。ガラガラガラと崩れ落ちて、現実の世界が現れる。実際には、もともと目の前にあって、それまでとなんら変わってはいない。うっすらとした何かがかかっていた。
変わったのはちくわちゃん自身である。だけど、正直自覚はない。というか、今の状況に愕然としているし、全てを投げ出したくなる気持ちもある。だけど、ここが踏ん張りどころなのだと思うのだった。
この先へ行くためには、この道を歩いていくしかない。決めたから進んでいくこと。時には立ち止まることもあると思う。たとえ逆境であっても、そのものを楽しんでやる姿勢であり態度を持っていること。
気の持ちようで、塞ぎ込んでいるだけではただただ内側で自分の問題に取り組んでいることにしかならない。そこから抜け出さないと、ただの厄介にかかってしまった状況で泥沼だ。
そこから這い出して、抜け出して、今の自分自身を見つめること。深く自分とつながること。感じ取ること。ある場で起こっていることは、それ以外のちくわちゃんがやっていることすべての現れであること。
その事実から始めること。今この場がどうなっているか。何が起こっているか。そのことから始めて行かないと何も始まらない。今の自分の状況を認めること。その上で、前を向いて歩いていくこと。
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