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災害は誰の人生も緩やかに変えている

災害が人にもたらす影響は、目に見えるものよりもずっと広く、深い

東日本大震災から9年、あの地震は平凡な私の人生もしわじわと侵食している

発生当時、学校にいた私は新築の校舎に大きなヒビが入る瞬間を目の当たりにした。その光景は父に連れられた沿岸部よりも、泥地みたいに波打ったコンクリートよりも、数年後に学生ボランティアで訪れた震災遺構よりも、私の脳裏に色濃く残っていた。ということに、大人になってから気付いた。

家は内陸にあったので被害は軽く、電気は一週間、ガスは一か月で元に戻って、しばらくするといわゆる普通の生活に戻った。それからは何不自由ない生活を送って、震災を忘れることはなくても、意識しない日も増えていったと思う。

それでも、就職活動の時期に無意識にのうちに惹かれたのは、大学の専攻が生かせることよりも、ワークライフバランスよりも、地震から建物を守る技術を扱っていることだった。あんなに大きな建物を壊してしまうほどのエネルギーを持つ地震への怖さ。被災した人にとって、安心できる建物があることの心強さ。当時は意識もしていなかった思いが芽生えていた。

面接で興味を持つきっかけを、こみ上げるものを必死に抑えながら話している自分に、驚いた。その時、自分自身の思いの強さに初めて気づかされた。

入社後、サラリーマンの宿命には逆らえなくて直接関わることはできていないけれど、災害とうまく付き合うための建物づくりとか、まちづくりとか、勉強しながら考えている。どうすればいいんだろうね、難しいなあ...

当時はどんな光景や映像を見てもどこか別の世界線のものを見ているような気がして、正直強く気持ちが動くことはなかった。けれどもあの時に見た光景はじわじわと私を侵食して、気付いたら私の選択に大きな影響を与えていた。

災害が人に対して物理的に与える影響は局所的なことが多い。けれど、災害は人の心にはもっと広く、思わぬところまで深く染み込んでいくのだと思う。

日本中どこでも災害が起こり得る現代、当事者がフォーカスされがちだけど(もちろん一番大変だけれども)、被害が少ない人達、周りの人にも知らず知らずのうちに災害は侵食している。心のケア、といったら語弊があるかもしれないけれど、寄り添える社会であればいいなあと思う。

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