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日本人の生産性が低いのは「90→100にこだわり過ぎるから」

日本人は国際的にも学力レベルで優秀だし、勤勉だし、生産性を高める努力もしていると感じる。僕はヨーロッパで仕事をしたことはないけれど、アジアの国では突出して働いていると思う。

なのに生産性は上がらない。どころかOECD諸国では最悪レベルだ。この原因を考えてみた。

仕事の効率を数字で考えてみる

仕事の仕方、という意味で、仕事の完成度をを0〜100の度合いで考えたとき、80ないし90の完成度で多くの人間は満足する。新興国の人たちなどは50〜70くらいでも満足できる。それはもともとの完成度の基準が低いからだ。

プロダクトそのものが少ない環境であれば、完成度がたとえ10くらいでもある程度の需要は満たせるので、0じゃないだけまし、というレベルかも知れない。実際東南アジアでそんな感じの考え方をしている人を沢山見た。

こんなふうに大体の人が求めているものは80くらいでも十分なのに、日本人は特に80〜90、ないし90〜100を突き詰めようとする傾向にある。と思うのは僕だけではないだろう。「神は細部に宿る」という言葉が一番好きな民族だと思う。

ここに労力を割くことは、実は非常にコスパが悪いのだ。仕事の完成度を90から100に持っていこうと突き詰めると、時間としては0から90までと同じくらい労力がかかる。

僕が考えているのは、最後の詰めに時間をかけすぎてしまうが故に生産性を犠牲にしているのが日本人なのではないか、という仮説だ。

セロトニンの少なさによる不安の縛り

他にこの仮説を裏付ける話としては、幸福ホルモンと呼ばれるセロトニンの分泌だか運搬量がアジア人、その中でも特に日本人に少ないのだそうだ。このことが日本人を他国に比べて不安を感じる民族にしている。

不安を感じるから必要以上に準備せざるを得ない。人に任せられないから自分でやってしまって分業がうまくいかない。不安だから休めない。みんなが休まないから休みづらい。。。こんな話は日本の組織あるあるではないだろうか。

働く本人たちからの批判も多い中でもこんな働き方を続けてしまうのは、遺伝子レベルでの縛りがあると考えるほうが妥当なのでは、と考えた。あと島国なので他の文化がオペレーションレベルでは入ってきづらい。

日本人の特殊性は、中から見ているとなかなか気づかないが、少し海外に住んでみたりするとその完璧主義と言えるくらいのサービスレベルの高さに改めて感動する。

その異常なきれい好きさ(マルコポーロが来た頃の江戸時代でさえ街が裏通りまできれいだったとか。)なんかを見るにつけ、やはりもう少しここについて考えてみてもいいのかなと思った次第。

この先に世界のサービスレベルが上がってくると、日本人の出番も出てくると思う。ただその前にその付加価値も学習されて、AIに仕事を奪われてしまうという未来も十分あり得ると考えているし、むしろそうなって欲しいと思っている。

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